東京カリ〜番長・水野仁輔さんが選ぶ カレーの思い出。
#その2

僕は、小学校低学年の頃、
夕食にカレーを作っている母親に向かって、
「福神漬けのないカレーはカレーじゃない!」
と言い放ったことがあるそうです。
大人になってからそう聞きましたが、
僕自身は1ミリも覚えてません‥‥。
福神漬けといえば、元祖は上野の「酒悦」。
七福神が名前の由来で、
7種類の素材を使っているのが本式です。
大根、カブ、ナス、ウリ、なた豆、蓮根、シソの実。
僕は着色料で真っ赤になった福神漬けも好きだけど‥‥。

さて、みなさんからいただいた思い出を紹介しましょう。


006
コモリ/女性/35歳

家庭の事情で、小学校6年生の頃から社会人になるまで
祖父と祖母と私との3人暮らしでした。
祖父母は二人とも大正生まれで、カレーライスの事を
「ライスカレー」と言ってました。
その祖母が作ってくれたライスカレーを
初めて食べたときの衝撃が未だに忘れられません。
まずルーの色が薄い黄色。
黄色っぽいと言うのを通り越して薄い黄色。
具はよくあるジャガイモ、にんじん、お肉とか。
でも全部1センチくらいの大きさ。
そして肝心の味! なんだか薄くて塩味しかしない。
辛くもない。カレー風味のルーといった感じです。
それまで給食のカレーや母の作るカレーを
カレーだと思ってた私は、
椅子から転げ落ちそうになるくらい衝撃でした。
ライスカレーは私が社会人になり
一人暮らしをするまでもちろん食べましたが、
おかげでカレーが
大好きじゃなくなってしまったんです‥‥。
今思えば、当時食べ盛りの私が
好きそうなメニューを作ってくれてたんだと思います。
ハイカラな物が好きだった祖母は、
カレーやハヤシライス
(これも「ハイライ」って言ってました)、
クリームコロッケといった洋食もよく作ってくれました。
私も今は市販のルーを使ったごく普通のカレーを
作って食べてます。
でも時折祖母の作ってくれた
素朴な味のライスカレーが食べたくなるんですよね‥‥。
祖母は3年前に他界し、
今となっては食べる事も作り方を聞く事も
できなくなってしまいました。
あの時椅子から転げ落ちそうになった自分に、
「作り方を習っときなよ!」って言えたらなー。

いやぁ、これは新年一発目から深い話ですよ。
椅子から転げ落ちそうになるほど拍子抜けしたカレーの味を
恋しく思うようになるっていうのはさ、
僕にとってはひとつの理想形なんだよなぁ。
人を好きになるのも一緒かな。
なんともないと思ってたり、
好きじゃないなぁと思ってたりした人を
いつの間にか好きになってる。
それって、無意識にいいとこを見つけて
好意を持つわけでしょ。
「やっぱり、俺、この人のこと、好きだなぁ」みたいな。
ああ、いいなぁ。
なんか、カレーと関係ない変な話になっちゃった。
ところで、カレーライスとライスカレーの違い、
知ってますか?
諸説あるんだけど‥‥。
自宅の食卓や庶民的な食堂で、
ライスにカレーがかかって出てくるのは、ライスカレー。
リッチなレストランでライスと別に
ソースポットかなんかでうやうやしく出てくるのは、
カレーライス。
なんとなくそう呼ばれてた時代があるんだって。

007
まるる/女性/40代後半

大学を卒業して数年後だったか、
友人カップルとその女友達、私とで、
旅先で、カレーをつくろうということになりました。
買い物の相談をしていると友人が、
「じゃあ、まずは牛肉買わないとね」と。

とたんに他の3人が
「ええ?! 牛肉?!」
私「うちはいつも豚だったよ」
友人彼「うちも豚でもつくるけど、あえていえば鶏だよ」
さあ、残るは友人の女友達。
ここまでで肉の種類は出つくした。
では最後のひとりで決着がつくか、と
私たちが期待のまなざしで彼女を見ていると‥‥。

「うちはね、いつもひき肉‥‥」

「うわ~、それもあったか~!」と、
みんなで大笑いした、いい思い出です。

「うちはね、いつもベーコン」
「うわ~、それもあったか~!
 表面がこんがりするまで炒めて
 カレーに入れたらうまいんだよね~」
「うちはね、いつもマトン」
「うわ~、それもあったか~!
 あの風味はスパイスの香りと
 相性がいいんだよね。
 インドでマトンといえば、ヒツジの肉じゃなくて
 ヤギの肉を使うのが一般的なんだって」
「うちはね、いつもハンバーグ」
「うわ~、それもあったか~!
 子供が喜びそうだね」
「うちはね、いつも鶏もつ」
「うわ~、それもあったか~!
 通だね。しょう油とみりんを
 隠し味に使ったらおいしくなりそう」

カレーに使う肉って、いろいろいっぱいありますね。


008
ニコ/女性/44歳

子供の頃から結婚して出て行くまで、
私の家は毎週金曜日はカレーでした。
私の誕生日までも‥‥。
結婚してから母に聞いたら、
「好きだから良いと思って」だそうです。
誕生日ぐらいは、お寿司にしてほしかったです。

なんか、カレーがお寿司に負けたような気がして、
非常に悲しいです‥‥。
いいじゃないですか、毎週金曜日が“カレー曜日”。
仕方がないですよ、たまたまその年の誕生日が
金曜日だったんだもん。
“カレー曜日”には逆らってはいけません。
そういえばその昔、
森山直太朗さんからメールが届いたときに、
文章の最後の署名部分に
「毎日がカレー曜日」って書いてあったなぁ。
森山さんは、きっと誕生日もカレーですね。

009
ふわふわうさこ/性/39歳

我が家のカレーの思い出と言えばクリスマス。
巷ではチキンバーレルだのターキーだのと
賑やかにしている中で、
我が家は地味なチキンカレー。
クリスマス以外には、
ビーフカレーもカツカレーも許されるのに、
クリスマスはなぜか毎年チキンカレー。
とうとうある日
「どうして家のクリスマスは
 地味なチキンカレーなんだよう?」
と文句を言ってみた。
すると、母がチキンカレーの由来を話してくれました。

太平洋戦争中、祖父母は大陸で別れ別れになり、
祖母は幼い子どもたちを抱えて、
それはそれは苦労をして敗戦の翌年に故郷に戻りました。
祖父もシベリアでの辛い日々を生き残り、
同じく敗戦の翌年に祖母たちに遅れること数か月後、
奇跡的に故郷に戻ることができました。
幼すぎた私の母は、
着の身着のままで戻って来た祖父を見て、
しばらくはそれが自分の
“お父ちゃま”であることに気づかないほど
変わり果てた姿だったそうです。
その年のクリスマス、祖母は当時としてはかなり奮発して
チキンカレーを作ったそうです。
再び家族が一緒の食卓を囲める感謝をこめて。
ちょっと人数が増えても、
カレーならみんなと分け合えるから‥‥と
家族の分だけでなく少し多めに。
それ以降、我が家のクリスマスのメインディッシュは
チキンカレー。
作り手が祖母から母に代わっても、
嫁に行った叔母も独立した私も、
それぞれの場所でクリスマスはやっぱりチキンカレー。
家族の歴史と思い出を煮込んだチキンカレー。
今年のクリスマスも作ります!

誕生日にカレーの話のあとは、クリスマスにカレー。
しかも、家族の歴史と思い出を煮込んだチキンカレー。
すばらしい。
この思い出メールを頂いたのは、昨年のことだから、
きっと昨年のクリスマスは
おいしいチキンカレーを食べたんだろうな。
こういうカレーは、誰も触れられない領域に存在するよね。
レシピを変えてはいけない。
ずっと続けてほしい。
なぜチキンカレーなのか、のストーリーも一緒に
受け継いでいってください。

010
ペンネームなし

うちの母は何故か、
カレーライスなのに味噌汁を添えました。

カレーの後に、味噌汁を食べると、
スパイシーになった口には
なんだか間抜けな味がしたものでした。

ある日、カレーのなべの隣で味噌汁を作っていたら
間違ってカレーにわかめを入れてしまいました。

今思えば、共働きの母は、毎日急いで帰ってきて
早く食べさせようと、ご飯を作っていたのですよね。

そんなときに、恐らく疲れていて
ちょっと間違っただけなのに
「え~なにこれー」
とにゅるにゅるしたわかめカレーに
さんざん文句を言いました。

今度社食でカレーを食べるときに
味噌汁も注文してみようかな。

カレーとみそ汁の組合せ、僕は大好物です!
カレーのスパイシーな香りと
みそ汁のシミジミとした味わい、
そしてほのかに甘いご飯。
これらを代わる代わる口に運ぶ喜びといったら。
日本人でよかったなぁと思っちゃいますよ。
ただ、わかめカレーはいただけませんな。
鍋を並べて作ってたらそういう失敗もあるでしょう。
間違ってカレーの鍋にみそを入れてしまったら、
それはそれでいい隠し味になりそうですね。


いろんな思い出をありがとうございました。
では、また次回。
みなさんの“カレーの思い出”をお待ちしています!
2013-02-01-FRI
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