建築事務所に2年間勤めたのち、
ストリートプレイヤーの存在を知り、
自分が本当にやりたいことに気づいたジル・サンクロワ。

バーモント州まで出向き、
竹馬に乗って、はじめてショーに出演し、
その思いはいっそう強固なものになります。

さて、その後は?
ジル・サンクロワの語る
適度に長い物語の続きをどうぞ。


『ジル・サンクロワの適度に長い物語 その1』

バーモント州での経験のあと、家に戻り、
私は、いったいどうしたら、
パフォーマンスで生活していくことが
できるだろうかと考えました。

そして、いろんな人に相談し、
いろいろと考えた結果、
ストリートで演じるグループを
つくってみたいと思ったんです。

とくに、私の得意とする竹馬は、
ストリートでやっているときに目立つだろう
というふうに思いました。

お手本にしたのは、
ブレッド・アンド・パペット・シアターです。
私は、伝説や神話をひとつの軸にして、
ダンスやアクロバットを組み込みながら、
音楽を奏でて大きなストーリーを
つくってみたいと思ったのです。

それには、やはり資金が必要です。
私は、この、
「神話をモチーフにしたストリートでのパフォーマンス」を
ひとつのプロジェクトとしてまとめ、
それを政府に提案して資金援助してもらおうと考えました。

それが、1979年のことです。
幸運なことに、政府は私たちのアイデアを気に入り、
5000ドルの資金提供をしてくれました。

私はそのお金でライターを雇い、
ストーリーを書いてもらいました。
セットやコスチュームもつくりました。
そして、いろんな友人にこのアイデアを話し、
関心を持ってくれる人がいないか探しました。

やがて、資金は底をつきました。
私たちは、もっとお金が必要でした。

調べてみると、もうひとつ、
政府が私たちのプロジェクトを
援助する可能性のあるプログラムがありました。
それは、芸術を助けるプログラムというよりも
新たな雇用をフォローするプログラムで、
簡単にいえば、プロジェクトが政府に認められれば、
資金の半分を政府が出してくれる、というものです。

私は、さっそくプロジェクトを提出しました。
けれども、結果は思わしくありませんでした。
政府の担当者はこう言いました。
「あなた、経験もないのに、
 本当にこういうことができるんですか?」って。

私はがっかりしました。
そのとき、私の友人の、ある画家がこう言いました。
「一般に広く知られている人にだったら、
 政府も信用してお金を出すだろう」と。
それにはどうしたらいいのかと私が訊くと、
その画家はこう答えました。
「キミが有名になればいいんだよ!」って。


(続きます)





シルク・ドゥ・ソレイユの国際本部は、
ゴミ処理場だった土地に建っています。


シルク・ドゥ・ソレイユの本拠地は、
カナダのモントリオールにあります。
といっても、モントリオールの中心部に
建っているのではありません。
市街地から車で約1時間半ほど走ったところで、
大きな社屋が姿をあらわします。




この場所は、1960年代に埋め立てがはじまり、
まずは石切り場として使用されました。
そしてその後は40年もの間、
年間約100万トンのゴミが捨てられてきた
ゴミ処理場だったのだそうです。
世界にひろがるシルク・ドゥ・ソレイユの本社を
アメリカではなく、カナダのケベックの、
町はずれのゴミ処理場に建てたこと、
そしてそこに、いまは
シルク・ドゥ・ソレイユの中核を成す
たくさんのスタッフがいきいきと働いていることに、
何か決意のようなものを感じずにはいられませんでした。

今回の訪問で、我々は
この本社ビルを歩き回りました。
シルク・ドゥ・ソレイユのすべてが入っている、
と言っていいくらいに、
いろんなものが詰まっていました。

(スガノ)

2008-04-08-TUE

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