7歳のときから空想だけで地図をつくる男

地理人・今和泉隆行さんに学ぶ、知られざる趣味「空想地図」のこと。

地理・地図マニアが一目置く
「空想地図」という趣味をご存知ですか? 
この世のどこにも「存在しない街」を、
想像力と知識とセンスだけをたよりに、
1枚の地図の上に創り出そうというもの。
その趣味に26年間ハマりつづけているのが、
地図作家の今和泉隆行さん。
だれに見せるでも、どこかに発表するでもなく、
ただの個人的な趣味のひとつとして、
7歳の頃からずっと地図を描きつづけています。
代表作「中村市」の地図を愛でながら、
奇妙で不思議な「空想地図」の世界と、
作者の人生哲学をうかがってきました。
担当は、ほぼ日の稲崎です。

今和泉隆行さんプロフィール ▽

今和泉隆行(いまいずみ・たかゆき)

1985年生まれの33歳。
7歳のときに「空想地図」に目覚める。
現在は自身を「地理人」と呼び、
フリーの空想地図作家として活動中。
都市や地図に関する記事執筆、
テレビ番組・ゲーム・絵本の中の、
地理監修・地図制作にも携わっている。
2015年に「株式会社地理人研究所」を設立。
現在、首都「西京市」の地図も製作中。
著書に『みんなの空想地図』。

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第3回:さっさと終われ、10代。

──
子供のときになにかに夢中になっても、
大きくなっていく過程で、
そういう遊びってやめちゃいますよね。
今和泉
やめちゃいますね。
それこそ小学校3、4年になると、
子供の遊びは急に統一されていきます。

私の世代でいえば
「ミニ四駆」と「バトルエンピツ」です。
知らないと会話にもついていけません。
──
じゃあ、その頃は今和泉さんも‥‥。
今和泉
ところが私の場合、
5年生くらいから「空想地図」に
本気でのめり込んでいきます。
──
あ、逆に。
今和泉
5年生のときに、
この都市名の由来にもなった
「中村くん」という男の子が
転入してきたんです。
彼を空想地図に巻き込んだところ、
おたがいの地図を見せ合うようになって、
創作意欲がさらに高まっていきました。
──
中村くんはもともと、
そういう趣味があったんですか‏?
今和泉
なかったと思います。
中村くんも少数派の趣味集団
ということは知っていながら、
あえて飛び込んだのでしょう。
──
2人が地図を描いていたことは、
まわりの友だちも知っていた?
今和泉
知っていたと思います。
大きな声では言ってないけど、
別にかくしてもいなかったので。

ただ、中学校に入ると、
そのあたりの身のこなしが大変でした。
中学生って中途半端に
大人としてあつかわれますので。
──
小学校とはちがいますからね。
今和泉
とくに公立中学校には、
「平均的な中学生像からはみだすな」
という雰囲気があります。
まわりは中途半端に大人のフリをするし、
学校は授業以外の時間を監視できるように、
なるべく部活に入れようとする‥‥。
──
‥‥中学校が好きではなかった?
今和泉
嫌いでしたね。
でも、中学校が嫌いというより、
中途半端に大人のフリをする空気感が、
私と合わなかったんだと思います。
──
そういう生活の不満って、
空想地図の制作に影響するんでしょうか。
今和泉
それはないですね。
もしその不満が反映されるとしたら、
架空の街をつくるにしても、
もう少し「理想の街」になると思います。
でも、私の場合はそうじゃないので。
──
えっ?! 
中村市は今和泉さんの理想ではない?
今和泉
ぜんぜんちがいます。
中村市はなんのとりえもない、
別に積極的に住みたいとも思わない、
そういう街ですから。
──
ちょ、ちょっと待ってください!
 
今和泉さんは7歳のころから、
じぶんが住みたいとは思わない街を
描きつづけているんですか?
今和泉
そうです。
──
はぁぁぁ‥‥。
今和泉
まあ、小学生のときは、
理想のような街も描いていました。
でも、そういう街って、
結局どこかで行き詰ってしまいます。
で、最後まで残ったのがこの街。
──
理想じゃない中村市だけが残った‥‥。
今和泉
そもそも空想地図って、
理想の街を描くことじゃないんです。

ひたすら理想を盛り込んでいくのは、
ただ単に「じぶんがなにを望んでいるか」が
視覚化されるに過ぎません。
その追求は早々に終わりが訪れます。
──
はぁーー。
今和泉
さっきの中学校の話もそうですが、
ある環境に対する不満があったら、
環境を変える努力をするよりも、
その環境から
害を受けない処世術を磨くほうが、
じぶんにとっては楽なんです。

私の中学時代なんて、
それはもう処世術のかたまりでしたから。
──
それは、不登校になるわけでもなく?
今和泉
私、不登校になるほど、
繊細でも真面目な性格でもないんです。
どういうことかというと、
中学生でいることの最低条件って、
私にはそんなに難しくなかった。
だって、イスに座ってればいいだけなので。
──
そうはいっても、
中学生のときの人間関係って、
けっこう複雑だったりしません?
今和泉
まわりとそんなに仲良くせずに、
ヤバそうな人をなるべく避けながら、
ひとまずイスに座ってればいいんです。
学園祭などの行事は、
とくに期待しなければいいですし、
クラス替えで新しい友だちとの出会いも
期待しなければいいだけ。

中学生活での希望や期待をぜんぶ捨て、
ただ淡々と、やってくる日々を、
ひたすら後ろへ受け流していくんです。
──
そういう処世術を身につけて‥‥。
今和泉
もし中学生活が輝いてる人に、
すこしでも嫉妬したり、劣等感を感じたりして、
そこに追いつくための努力をしたけど、
ちょっとイタい感じになったら、
そっちのほうがヤバいと思ったので。
──
下手にがんばったら、
それこそ取り返しがつかないことになると。
今和泉
そうです。
もちろんそんなじぶんへの劣等感は、
ずっとついてまわります。
劣等感は第二次性徴とあいまって、
精神的にはどん底の状態でした。

ただ、その最悪な状態から抜けだす希望を、
中学生活では完全に捨てようと決めたんです。

その頃の唯一の希望は、
その中学校とはちがう雰囲気の高校に
進学することでした。
もっと自由が認められた高校に行って、
沼のような中学生活とオサラバする。
それだけをずっと考えていました。
──
「それまでは耐えるんだ」と。
今和泉
中学校のときは
「お前はこの学校にいる限り、
永久に沼から上がってこれない!」と、
じぶんに言いつづけていました。
──
相当な覚悟だったんですね。
今和泉
そのときはもう
「いい学校生活を送りたい」よりも、
よく分からない10代を早く終わらせて、
早く年をとりたかった。
もうほんとそれだけでした。
「さっさと終われ、10代」って、
いつも思ってましたから。

(つづきます)

2018-12-02-SUN