坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第221回
ダライラマ法王のマンダラ伝法灌頂


ほぼにちは。

ミッセイです。

ひきつづき宮島を訪れて、
ダライラマから仏教の教えを受けています。
(5日間のスケジュールでした。)

朝、会場の大聖院さんに、
行く前に宮島の色々な所を訪れたのですが、

豊臣秀吉によって建造された、
豊国神社(ほうこくじんじゃ)、
通称、千畳閣(せんじょうかく)は、
僕にとって、
とてもうれしい出会いでした。

というのも、
建築の本で福島県、
熊野神社長床の写真を観て以来、

「実際に行ってみたいなぁ。」

とずっと思っていたのですが、
千畳閣の太い柱を、
何本も使った雰囲気が、
僕のイメージの中の熊野神社と
一致する雰囲気があって、

その空間に身を置くだけで、
溢れてくる、
じわーっとした感動を堪能しました。



思わず、
正座してお経をあげたりしたのですが、
日本の神様って、
やっぱり僕達に、
ぴたっと来る部分がありますね。



さて、
ダライラマ法王の伝授は、
いよいよメインの、
両界曼荼羅(マンダラ)の
伝法灌頂(でんぽうかんじょう)に入りました。

最初は、
チベット仏教が独自に持つ種類の、
密教伝授を計画されていたらしいのですが、

法王が、
日本に伝わった密教の大きな特徴である、
金剛界マンダラ、胎蔵マンダラの、
“両界”マンダラを、
チベット仏教の伝統の中で、
お授けしたいという希望を自ら提案され、
今回の伝法灌頂になったということでした。

伝法灌頂というのは、
密教の実践をする上で、
かならず必要になる
インドの王位継承の儀式をベースにした、
とても大切な儀式なんです。

今年は僕が住職を務める、
栄福寺にも念願の曼荼羅を納めましたが、
第216回 両界マンダラを栄福寺に納めました。

両界曼荼羅の存在は、
僕達、
日本の真言宗のお坊さんにとっても、
すごく大きな存在なので、
インドから直接密教が伝わった、
チベットの両界曼荼羅の灌頂を授けて頂くのは、
とても有難いんです。




そして、
灌頂は誰をラマ(師)にして、
授かるかというのが、
すごく重要な事とされるので、
ダライ・ラマ法王から授けて頂くことは、
僕にとって本当に、
すばらしい縁としか言いようがありませんでした。

今回は他宗の僧侶も参加されましたし、
たくさんの僧侶以外の方もこの儀式を受けました。
(8割以上は僧侶以外の人だったと思います。)

最初はダライラマ法王の前の、
最前列はチベット人僧侶の
ために用意されていたのですが、

ダライラマ法王が法話を開始するにあたって、
まずされたのは、
その座席を何人かの日本人僧侶に、
譲らせるということでした。

法王にとって、
チベット僧は、
親しい親戚のような存在で、
チベット仏教にとって、
お客さんの僕達を、
歓迎してくださったのだと思います。

僕にとって縁が重なって、
(僕がお世話になっているお坊さんが、
 大聖院に縁がある人だったり。)
前行法話から始まる、
灌頂の全日程を、
法王の目の前で受けさせて頂きました。

灌頂は、
長い時間をかけて行われます。
その中で、
法王の加持された聖水を口に含んだり、
実際に王冠を頭にかぶったり、
ある特定のイメージの色や形を(例えば月とか)
法王から指示されてそれを瞑想したりします。

その中には、
僕達が受けた日本の伝法灌頂と、
同じ部分もあったり、
初めて見る部分もあったりしたのですが、
加持されたクシャ草という植物を、
一日目に渡されて、



その長い方を布団の下に敷いて、
短い方を枕の下に敷いて、
いい夢を見るように祈願します。

これは、
とてもおもしろいと思いました。
(僕はダライラマ法王が、
 栄福寺にやってきて、
 犬のサクラが逃げ出すという夢を見ました。
 しかも、逃げたサクラをチベット僧達が、
 ヤリを持って探し回ってるんです!)

儀式の中で、
様々な法話をダライラマ法王がされるのですが、
その中でも、

「自分の利益を捨て去った、
 他人のための行為をやっていると、
 自分は後からついてくる。」

などの言葉は、
心に残る言葉でした。

また、
密教を説明する中で、

「意味を離れて虚空のごとく」

という表現をされていたのは、
ずっと論理的な話が続いていたので、

「あー、その両面がいるんだなぁ。」

と思いました。

そして、

「自分が平凡であるという思いこみは、
 捨てなければならない。」

という言葉も、
ずっと考えてみたいテーマです。

「僕が僕である」という理由で、
僕達はどこまでも非凡であり、
まったく同じ理由で、
究極的な平凡なのだと、僕は思いました。
そういうことが当たり前に起こり得るのが、
世界なんだと思うんです。

そして灌頂は投華得仏(とうけとくぶつ)
という曼荼羅の上に花の種を落として、
自分の縁のある仏を決める、
密教にとって本当に特別な儀式に移ります。

日本では樒(しきみ)の葉を落とすのですが、
チベットでは種を使うのは初めて知りました。



今回は多くの参加者がいたので、
五人の僧侶が投華得仏を、
させて頂いたのですが、

五人目にすることになった
僕が得た仏様が、
大聖院のお堂と境内を埋め尽くした、
参加者全員の縁のある仏様になると、
ダライラマ法王が説明され、
法王の声の合図で、
投華させて頂いたのですが、
手がブルブル震えました。

胎蔵曼荼羅では、
あらゆる、
生物の利益をはかって
行動を始める智慧を持つ、
不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)を、

金剛界曼荼羅では、
灌頂智、とも言われる、
平等正智(びょうどうしょうち)
つまり、
すべての存在から等しい存在を
見出す智慧を司る、
宝生如来(ほうしょうにょらい)に、
縁を頂きました。

そして、
法王からこれからの生活で守るべき、
「戒」を授かりました。

前行の法話や講演を含めると、
のべ20時間近くにも及んだ、
この儀式の最後に
法王は、

「今日の灌頂はスタートなのです。
 仏教は儀式だけでなく、
 その内容の勉強をすることも大切です。

 そして、
 一番大切なのは、
 空を理解する事。

 それから、
 すべての生きとし生けるもののための、
 菩提心です。」

と結ばれ、
ゆっくり顔の前で合掌されると、
参加者の顔をゆっくりと、
おだやかな表情で見渡されました。


灌頂を終えて、
なかなか、
自分の中で整理できていない部分も多いです。

それでも、
僕達の心の深い場所には、
自分という「わくぐみ」ではない
場所があって、

それに、
手を触れることがちょっとでも出来るような、
仏教の勉強や瞑想が、
少しずつでも、
みんなとできたらいいなと思いました。

そして、
仏教の場所、メインステージは
実際の生活の中にこそあるんだと思います。

やさしい心を、
実現する事は、
誰かの言いなりになることでは、
絶対ないから、
とても心の強度がいるのだろうけれど、

ダライラマ法王が、
何度も話の中で使われた、
「なじませる」という事は、
「少しずつでも時間をかける」という、
意味でもあると思います。

仏教の話でなくても、

「うれしい。おもしろい。」

をちょっとでも、
僕達の生活の中で、
増やすことが出来たとしたら、いいね!


ダライラマ法王猊下、
本当にありがとうございました。

今回、
紹介させて頂いた法王の言葉は、
僕のつたないメモを頼りにしています。

どうか興味を持たれた方は、
実際の著作などに触れることで、
本当の言葉に触れてもらいたいなと思います。

僕は
『ダライ・ラマ 生命と経済を語る』
という著作を初めに読みました。
対談ですので、読みやすかったです。

今は、
『ダライ・ラマ、イエスを語る』
という本を少しずつ読んでいますよ。



ミッセイ


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2006-12-10-SUN
BACK
戻る