坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第121回 死に対してワイルド

ほぼにちは。

ミッセイです。

前回の
「第120回 森に留まるつもりはない」
について、
少しだけ、
付け加えさせてください。

あの文章で、僕が伝えたかったことは、

「森を含んで生きる決意」

の、ようなものでも、
あるんです。

森と“だけ”生きる、
わけではなくてね。

「自分の中の、いろんな、
“深い森”のような、
 存在を探して、認め、
 時々、触ったり、
 くぐったりすること。」

を、僕はしたいと思っています。

あるいは、

“それがあること自体”

とかを、伝えたいと思っています。
自分や他人に。

なんでだろうね?

僕にも、あんまり、わかりません。

これは、
いろんな人の中で、
起こることだろうけど、

仏教や密教の中にも、
そのアプローチの手助けになる、
“なにか”が、
あるって考えてるんです。

それは、時に、

「やさしさ」

みたいなもの、
だったり、
するんですけど。

同時に、
とても大切なことは、
そこに“自分”が、
「いる」事だと思います。

ほとんど
“自分だけ”
に、ならざるを得ない、
場面だって、
とても多いと思います。

“自分を飛び跳ねる、通り抜ける”

瞬間や期間というのも、
同時に重要なんでしょうね。

でも、
やっぱりそこにも、
「それを見てる自分」
には、いてほしいと思ってます。

ともかく、(一連の)
ややこしい話を、
聞いてくれて、
本当にありがとう。

ここに、
このことを書いたのは、

「これは、あなた(読者の人)
 の話でもある。」

という、
感覚を強く感じたからです。

そう思いませんか?


以前にも書いたと思いますが、
今年は、
「お坊さんの葬式」
が多かったんです。

「お坊さんの葬式」

には、ほぼ例外なく、

「坊さん専用の受付」

というものが、存在します。

ここの受付は、
かなり雰囲気的に、
異彩を放っています。

なぜかというと、
異様に明るいんです。

ぜんぜん、
葬式という感じがしない。

笑い声も、世間話も当然という感じです。

これは、純粋に

“慣れ”

の問題かもしれませんが、
最近、この、

「死に対してワイルド」

な、坊さん達の感じを、
なんとなく、
頼もしく思っていて、
なんだか、気に入っています。

もちろん“度”が、
過ぎてたら、
誤解されやすいんでしょうけどね。

葬儀の途中、
受付のお坊さん達は、
いろんな話をします。

「栄福寺さん、
 おたく、さいせん泥棒って、
 来ますか?」

「来ますよ。
 以前は、もっとよく、
 来てたみたいですね。」

「ウチは、今でも、しょっちゅう。

 ところで、さいせん箱には、
 カギをしないほうがいいですよ。」

「???
 なんでですか。」
 
「カギをしてるとね、
 さいせん箱ごと、
 持っていかれます。
 あのね、
 さいせんってのは、
 中身よりも、箱の方が高いの。」

「あはははは。
 なるほどー。」

「そう。
 だから、カギしないんだよ。
 でもね、これに、
 文句つける人がいてさー。」

「誰だろう?」

「警察の人。
 
 “和尚、それじゃあ、
  逮捕できないかもしれない“

 だって。へんなの。」

「ははは、ヘンですよね。」

というような、
業界裏話を聞けたりします。

(泥棒さんへ
 栄福寺を含めて
 ほとんどの寺では、
 カギをしています。)

最近、よく話題になるのが、
お寺を訪れる、
言動および行動が、
「かなり」おかしな人達の話です。

「その人さ、
 いきなりやって来て、

 “栄福寺の御住職に、
  弓を習うように、
  お伝えくださいませっ“

 って言うんだよ。」

「ぼ、僕じゃないですか?
 弓ぃー?」

ぶったまげました。

「そう。
 そして、

 “XXX寺の、
  御住職をお討ちくださいませ“

 だって。

 どう、ミッセイ?」

「どうって、言われましてもね・・。」

この人は、他にも、
各お寺を混乱に
巻き込んでいるようで、

「中曽根さん(元首相?)と
 いかりや長介さんの、
 関係者がこの後すぐ、
 こられるので、よろしく。」

と、いきなり、
言い放って、
帰っていったそうです。

来なかったらしいですが、
よろしくって言われても、
どうしたらいいか、わかりませんよね。

皆さんなら、どうされますか?

いいアイデアが、ある方は、
メールで教えてください。

こういう話って、
聞くだけなら、
なんとなく、
おかしかったりするんですが、
現場の人間としては、
すこし、不気味です。

この前の葬儀は、
相当、長くて、
(途中で老僧が倒れるぐらい)

受付では、

「おすすめの映画」

まで、話が及びました。

「最近、中国映画に、
 はまっててね。
 
 栄福寺さん、
 なんか、みたことありますか?」

「えーっと、
 『初恋のきた道』ってのを、
 観たことありますよ。」

「ホントですか!

 私は、アレを何回、
 観たことか・・・。

 最高でしょ?」

「やや、実は、
“そうらしい”
 ってのを、聞きつけて、
 観たんですけどね。

 僕は、ぜんぜん、でしたね。

 わかんなかった。

 ってより、楽しめなかった。

 一緒に観た人も、そうだったんですよ。」

「ふ〜〜ん。

 あっ、
 それはねー。
 あなたが、

 “まっただ中”

 だからじゃないかな。

 恋をしたり、
 それで体や心が動くことが。

 だから、

 “あたりまえじゃん”

 って、思うんじゃないかなー。」

「うーん・・・。」

「ワタシなんか、

 “自分にも、
  この気持ちが、
  残ってんだー“

 って、
 興奮して、
 思い出して、
 涙が止まらんワケだけど。

 嵐の中の人って、
 その嵐が、
 嵐であることさえも、
 気づかない、

 みたいな。

 失うまでね。

 モホホホホ。
 
 しょうがないけどね。」

「ふふふん。

 そうなのかな。」

「かも、しれないよね。」


「そう、かも、ですね。」

しらふのお坊さんと、
恋の話をしたのは、
初めてだったけど、

奇遇にして、
お坊さん達が、
具体的な
恋をすることが許された、
時代と地域に、
生まれたことも、

なんだか、
特殊で、
おもしろいなー、
と思いました。

ミッセイ


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2003-07-20-SUN

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