HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
思えば、孤独は美しい。 糸井重里 Lonely is beautiful. Shigesato Itoiほぼ日ブックス

『思えば、孤独は美しい。』 について

ほぼ日刊イトイ新聞 永田泰大

糸井重里の1年分のことばから、
自分の好きなことばを
自分の好きなかたちで切り取り、
自分の好きな順番に並べて本にする。

そのような、多くの人がやりたくてたまらないであろう、
たのしいに決まっている仕事を今年もやり遂げました。

こんな身もふたもない物言いを、
普段はもちろんしませんが、
年に一度、本を出すこのタイミングでだけは、
担当編集者の個人的なご挨拶として
大目に見ていただいているように思います。

どうもありがとうございます。
11冊目の本も、とてもたのしくやりました。

糸井重里が今年の本につけたタイトルは、
『思えば、孤独は美しい。』といいます。
なんと、本質的な題名でしょうか。

長く読んでくださっている読者のみなさんは
おそらくご存じであるように、
「孤独」「ひとり」「さみしさ」といった
「人がひとりでいること」は、
糸井重里という人の深い部分を
ずっと流れているテーマのひとつです。

ことわっておきますが、
糸井重里は決して暗い人間ではありません。
どーんと落ち込むフェイズがあったり、
ネガティブな将来だけが見えて絶望したり、
といった人ではありません。
むしろ、いつもゴキゲンな人だと
断言してしまってもいいと思います。

にも関わらず、
彼は「ひとり」でいることを受け入れ、
望んで「孤独」を保持し、
しばしば「さみしさ」と向き合います。
そしてそれらを、
人にとって、なくてはならない、
大切な要素なのだとくり返し書きます。

『思えば、孤独は美しい。』

このタイトルには、糸井重里が日頃から述べている
「ひとり」ということの肯定が、
象徴的に、そしてとてもきれいに表れていて、
とてもいいとぼくは思っています。
もっと率直に表すなら、惚れ惚れしています。

『思えば、孤独は美しい。』

おそらく、ぼくだけでなく、多くの人のこころのなかで、
何度も反射してあちこちを照らす
タイトルなのではないかと思います。
きっと、気に入っていただけますよね?

さて、1年に1冊、
糸井重里のぜんぶの原稿とツイートから
ことばを選んで編むこの本には、
彼のその原稿を書いた年の出来事が
どうしても反映されます。

たとえば、2012年に出た本には、
その前年に起きた東日本大震災にまつわることばが
たくさん掲載されることとなりました。
2012年には吉本隆明さんが亡くなり、
翌年の本にはそれにまつわることばが自然に増えました。
一昨年、岩田聡さんが亡くなったことは
糸井にとってとても大きなことで、
昨年出た本にはそれに影響されたことばに
たくさんのページを割きました。

そのように、
糸井重里の毎年の傾向を感じながら、
本をつくっていて、ぼくは思うのです。
糸井重里が抱えるテーマは増えていくのだな、と。

当たり前のことですが、
毎年、糸井重里に影響する大きな出来事は、
その年が終わったからといって、
糸井のなかから消えてしまうわけではありません。
それは、年が変わろうと、本が新しくなろうと、
彼のなかにずっと残り続けるのです。
だって、それはそうでしょう、
雑誌の特集じゃないんですから、
1冊ごとに切り替わるわけがない。

だから、東日本大震災のことは、
糸井のなかに、いまもずっと残っています。
気仙沼について、福島について、
糸井はふつうにずっと考え続けています。
吉本隆明さんのことばや考えは、
糸井のなかにそもそも溶けていて、
亡くなってからも、ご存命のときと変わらず、
行動や決断の指針として活かされています。
元任天堂社長にして仕事仲間、
そしてなにより大切な親友でもあった
岩田聡さんのことは、
まるでまだいる人のように書かれていて、
糸井が岩田さんに語りかける声も、
岩田さんがそれに応える声も聞こえてくるようです。

毎年、ひとりの人のことばと考えを、
文字というかたちでざっと見直し、
選んで、並べて、本にするということは、
なかなか経験できることではありません。
それを10年以上も続けるなると、
たぶん、そうとう特殊なことだろうと思います。
だから、これはひょっとしたら
そういう変わったことをしてみないと
気づかないことかもしれないと思うのですが、
特別な作業を11年続けていたら、
ぼくは、こんなことに気づきました。

どうやら、人が何かを忘れてしまうというのは、
そんなに簡単なことではなさそうです。

少し詩的な表現になりますが、
ある人の毎日のなかに、
新しい音が鳴ると、その音は、
無に消え入ることなくずっと鳴っています。
消えたように感じても、じつは音は鳴っています。
もう耳がその音に慣れてしまって、
鳴っていることに気づかなくなったとしても、
音は、薄く、かすかに、ずっと鳴り続けています。
やがてつぎの新しい音が鳴ります。
その音も、そしてそのつぎの音も、
ずっと、その人のなかで鳴り続けています。
いってみればそれは通奏低音の和音。
寄り道を一瞬だけ許してもらえるなら、
それは、糸井重里だけではなく、
ぼくやあなたもきっとそうなのです。

東日本大震災のことも、
吉本さんのことも、岩田さんのことも、
ブイヨンのことも、ほぼ日のことも、
野球のことも、トンカツのことも、
ずっとずっと、続いていく大切な要素として、
糸井重里のなかに残り続けています。
つまり、この「小さいことば」シリーズの本は、
タイトルを重ねるたびに、
内包するテーマが増えていく。
糸井重里のなかに鳴り続けるテーマは
幾重もの薄い層になって堆積するから、
反映される本は年々豊かになっていくのです。
だって、なにしろ、この本は、
糸井重里が生きることに紐づいているのですから。

ああ、すみません、
なんだか重たい世界観を
強調し過ぎてしまった気がします。

バランスを取るために言うわけではありませんが、
あいかわらずこの本のある側面は軽やかです。
全部で231のことばを収録していますが、
一日ですっと読めてしまうでしょう。
それをぐっと我慢して、
少しずつページを繰るのももちろんおすすめです。

ヒグチユウコさんにお願いした装画は、
ご覧のとおりたいへん素晴らしく、
プリグラフィックスの清水肇さんの
ブックデザインも冴え渡っています。
和田ラヂヲさんや福田利之さんの絵も最高ですし、
ブイヨンや街を撮った糸井の写真もとてもいいです。
どうか、手に取ったなら、すみずみまで、
じっくりとたのしんでください。
きっとくり返し読めますし、
棚にあるというだけでもうれしいと思います。

だから、毎年、思っているのですが、
やっぱり今年も思ってしまいました。

ああ、いい本ができた、と。





2017年12月 永田泰大(ほぼ日)

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