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『岩田さん』の第一章、第二章、第三章を、読んでみてください。糸井重里が岩田聡さんについて書いた、『抱きしめられたい。』もあわせてどうぞ。

●もくじ

第一章 岩田さんが社長になるまで。

高校時代。プログラムできる電卓との出会い。
大学時代。コンピュータ売り場で出会った仲間。
HAL研究所黎明期とファミコンの発売。
社長就任と15億円の借金。
半年に1回、社員全員との面談。
もし逃げたら自分は一生後悔する。
◆岩田さんのことばのかけら。その1

第二章 岩田さんのリーダーシップ。

自分たちが得意なこととは何か。
ボトルネックがどこなのかを見つける。
成功を体験した集団が変わることの難しさ。
いい意味で人を驚かすこと。
面談でいちばん重要なこと。
安心して「バカもん!」と言える人。
プロジェクトがうまくいくとき。
自分以外の人に敬意を持てるかどうか。
◆岩田さんのことばのかけら。その2

第三章 岩田さんの個性。

「なぜそうなるのか」がわかりたい。
ご褒美を見つけられる能力。
プログラムの経験が会社の経営に活きている。
それが合理的ならさっさと覚悟を決める。
「プログラマーはノーと言ってはいけない」発言。
当事者として後悔のないように優先順位をつける。
◆岩田さんのことばのかけら。その3

第一章岩田さんが社長になるまで。

高校時代。プログラムできる電卓との出会い。

 高校生のとき、まだパソコンということばもないような時代に、わたしは「プログラムできる電卓」というものに出会いました。それで授業中にゲームをつくって、隣の席の友だちと遊んでいたのですが、思えば、それがゲームやプログラムとの出会いですね。
 その電卓はヒューレット・パッカードという会社がつくったもので、アポロ・ソユーズテスト計画のときに宇宙飛行士が持っていって、アンテナの角度の計算につかったというふうに語られていました。当時、とても高かったんですが、皿洗いのバイトをして半分くらい貯めたら、残りを父親が出してくれました。
 その電卓にはとてものめり込みました。専門誌なんてもちろんありませんし、誰も教えてくれませんから、とにかくひとりでやるわけです。試行錯誤していると、そのうちにだんだん「あ、こんなこともできる、あんなこともできる」とわかってくる。
 いま思うとそれはかなり特殊な電卓で、「=」のキーがないんです。たとえば1と2を足すときは「1」を押したあとに「ENTER」のキーを押すんですね。で、「2」を押して、最後に「+」を押すんです。どこか、日本語のようでもあって、「1と2を足して、3と4をかけて、12を引くと、いくらですか?」というようなかたちで入力していくんですけど、もう「=」がないだけで、ふつうの人はつかおうと思わないじゃないですか。そういうものを自由につかいこなすというのが、当時の自分にとっておもしろいわけです。
 そんなふうにして、なんとか完成させたゲームを、わたしは日本のヒューレット・パッカードの代理店に送ったことがあるんです。ものすごく驚かれたらしくて、「とんでもない高校生が札幌にいるらしいぞ!」と先方は思ったそうです。いまでいうと、任天堂にどこかの高校生が明日売れるような一定の完成度のある商品を送ってきたような驚きがあったんじゃないでしょうか。でもその当時、わたし自身は、自分がなにをしたのかという価値がまったくわかっていなかった(笑)。
 そして、わたしがその電卓にのめり込んだ2年後ぐらいに、アップルコンピュータのマシンが世の中に出回ってくるんですね。
 そういった経緯で、初期のコンピュータに触れてすぐ、わたしのコンピュータへの幻想はなくなりました。コンピュータは、なんでもできる夢の機械ではないとわかったんです。別の言い方をすると、コンピュータが得意なことはなにか、そして苦手なことはなにか、というようなことが、高校生のときに一応ちゃんとわかっていた、ということです。
 また、わたしのつくったその電卓のゲームをたのしんでくれる友だちが、たまたま自分の隣の席にいたということも、とても大切なことでした。
 その子は、ちょっとおもしろいやつで……なんていうか、わたしがつくったものをよろこんでくれる、わたしにとっての最初のお客さん、ユーザー第1号だったんです。
 人間はやっぱり、自分のやったことをほめてくれたりよろこんでくれたりする人がいないと、木には登らないと思うんです。ですから、高校時代に彼と出会ったことは、わたしの人生にすごくいい影響を与えていると思いますね。

大学時代。コンピュータ売り場で出会った仲間。

 わたしが大学1年のときですから1978年のことですが、池袋の西武百貨店に、たぶん日本ではじめてパソコンの常設コーナーができるんです。わたしはそこに毎週末通っていました。
 そのころのコンピュータ売り場には、コンピュータの前に座って、一日中プログラムを書く人がいっぱいいたんです。だって、ふつうの人には、コンピュータなんて買えないですからね。
 当時のわたしは大学の入学祝いや貯金に加えてさらにローンを組んで、なんとか自分のコンピュータを手に入れていました。それはコモドールという会社の「PET」というマシンでした。
 そのコンピュータの売り場が池袋西武百貨店にありまして、わたしはそこに自分のつくったプログラムを持っていくんです。高校生のとき、一緒に電卓のゲームをたのしんでいた友だちは違う大学に通ってましたから、そのころわたしには相方がいない状態でした。
 たぶん、わたしは、自分のつくったものを「人に見せたかった」んでしょうね。池袋の西武百貨店に行けば、そこには同好の士がいつもいましたから、見せる相手がいたんです。
 そしてその売り場では、いくつかの重要な出会いがありました。まず、後のわたしにもっとも刺激を与えることになるプログラムの名人がいた。
 彼は、ある日、売り場のコンピュータをつかってプログラムを書いていました。ところが、そのプログラムがなかなかうまく動かなくて、首をひねっている。わたしはそれを後ろから見ていたんですが、「あそこが間違っている」とわかったんですね。
「それは、ここを直したら動くんじゃないの?」
「ああ、たしかに」
 それがきっかけで仲よくなったんです。彼が大学2年生でわたしが大学1年生でした。
 その売り場では、同じコンピュータをつかい合う人たちが、自然とユーザーグループみたいな集まりを形成していきました。そして、売り場の店員さんとも仲よくなっていくんですが、わたしが大学3年生になるころ、その店員さんが会社をつくるんです。
 その会社は、HAL研究所といいます。
「会社つくるんだけど、バイトしに来ない?」とその人に言われて、わたしはそこでプログラムの仕事をはじめるんですが、それがおもしろくておもしろくて、けっきょくわたしはその会社に居着いてしまうんですね。
 ですから、HAL研究所という会社は、「そこらのプロ顔負けの能力を持ったバイトの子たちを集めることに偶然成功した会社」だったといえます。
 大学は4年でちゃんと卒業しました。ただ大学生のときは優等生ではなかったと思います。なぜなら、HAL研でのバイトのほうがずっとおもしろかったから(笑)。
 コンピュータの基礎を教えてもらったという意味では、大学の勉強は役に立っていますし、大学に行ってよかったとも思いますけれど、後の仕事で実際に役立ったことのほとんどは自分でやって覚えたものです。

HAL研究所黎明期とファミコンの発売。

 アルバイトだったわたしは、大学卒業と同時に、そのままHAL研に入ってしまうわけです。それが自分に合っていたというか、やっていることがおもしろくてしょうがなかったんですよ。
 HAL研究所はちいさな会社でしたから、わたしは若くしていろんな判断をくだす当事者になるんですね。とりわけ「開発」に関しては先輩がまったくいなくて、わたしは開発系の社員第1号でした。ですから、開発のことはわたしが全部判断しなければいけない。相談に乗ってくれる人は誰もいないんです。
 そして、ここにまたひとつ、運命のめぐり合わせがあって、わたしが正社員になった翌年に、任天堂からファミコン(ファミリーコンピュータ)が発売されるんですよ。
 わたしはアルバイトのころからパソコンで動くゲームを開発していましたが、ゲームをつくるうえで、ファミコンというハードには明らかに「従来と異質のよさ」がありました。
 当時、何十万円もしたパソコンよりも、1万5千円のファミコンのほうがゲームを遊ぶうえで圧倒的に適している。わたしは、このマシンで世の中が変わるような気がしました。そして、「どうしてもこれに関わりたい」と思ったんです。
 HAL研究所に出資していた会社のうちの1社が、たまたま任天堂と取引がありまして、その会社の人に任天堂を紹介してもらいました。そして、「どうしてもあのファミコンの仕事をしたい」という一心で、わたしは京都の任天堂に行くんです。
 当時、わたしは二十代前半です。スーツは着てるけど、明らかに慣れてない。そんな若造が突然現れて、「仕事をやらせてください」なんてね、もらいに行くほうも行くほうだけど、仕事をくれるほうもくれるほうだなぁと、いまから考えると思うんですけど(笑)。
 請け負ったのはゲームソフトのプログラムでした。それが任天堂とのつき合いのはじまりです。ファミコンの初期に出た『ピンボール』や『ゴルフ』はわたしがHAL研究所の人と一緒につくったものです。
 ファミコンのソフトは、とにかくつくるのがおもしろいですし、なにしろ自分のつくったものが世界中ですごくたくさん売れていくわけです。受託でやっていた仕事だったので、売れたからといって儲かるわけではなかったんですけど、自分たちがつくったものを「みんなが知っている」というのはうれしいんですよね。隣の席の友だちしか知らなかったものが、世界中に広がっていくわけですから、わたしとしてはおもしろくてしょうがない。
 ファミコンのリリース後、間もなくして関わったことで、結果的にファミコンというゲーム機が大きく成長する過程に携わることができたのは、とても運がよかったです。HAL研究所も、たった5人だった社員が、10年で90人くらいになったのかな。
 わたしの立場も開発の責任者みたいになって、なんとなく名刺には課長と書かれてたりしたんですが、やがてそれが開発部長になりました。
 いま振り返ってみると、当時、わたしたちが開発したゲームは、「企画はあったけど誰もつくれなくて困っていた」というようなソフトばかりでした。そこである程度の評判を得ることができたので、技術的に評価してもらえて、つぎの仕事につなげることができたんじゃないでしょうか。

社長就任と15億円の借金。

 わたしが32歳のときに、HAL研究所は経営危機に陥るんです。そして33歳のときにわたしは社長に就任するんですが、会社がそういう状況ですから、まったくめでたいことではありませんでした。
 わたしが社長になった理由は、すごく簡単にいうと、ほかに誰もいなかったからでしょう。わたしはいつもそうなんですが、好きか嫌いかではなく、「これは、自分でやるのがいちばん合理的だ」と思えばすぐに覚悟が決まるんです。
 広い意味で会社が倒産して、とりあえずは、マイナス15億円というのがわたしの社長としてのスタートでした。結果的には15億円を、年に2億5千万円ずつ、6年間で返すことになりました。もちろん、その間も会社の維持費がかかりますから、社員に給料を払って会社を回しながら、それとは別の借金として返していきました。
 返済はしましたが、借金という意味では、そのときいろいろな人にご迷惑をおかけしていますから、そんなに胸を張っていえるようなことではないんですよ。
 ただ、得難い経験をしたのはたしかです。それだけの借金を抱えるというのは、ある種の極限状態です。そういうときには、ほんとうにいろんなものが見えるんです。「人は、どういう接し方をするのか?」とか。
 たとえば、わたしが新しい社長として銀行に挨拶にいきますよね? 30代の若造が、「わたしが社長になって、がんばって借金をお返しします」と言いにいきます。すると、「がんばってくださいね」とおっしゃる銀行さんと、「ちゃんと返してくれないと困るんだからな!」と、すごく高圧的な態度に出られる銀行さんがいらっしゃるんですね。
 非常に興味深いことに、そのとき態度が高圧的だった銀行さんほど、その後、早く名前が変わりました。それだけ、あちらも深刻だったんでしょうね。
 接し方が難しかったのは、社外の人たちに限りません。
 会社が経営危機になったあと、わたしが社長になって会社を立て直しますというとき、わたしは開発部門のなかでいちばん総合力の高い人だという程度の信頼はありましたから、いちおうみんな言うことを聞いてはくれました。ただその一方で、基本的に会社には社員からの信用がないんです。というか、経営危機に陥った会社というのは、社員から見たら不信のかたまりですよね。だって、「会社の指示に従って仕事をしていた結果がこれか?」と思って当然ですから。
 ですから、わたしは社長に就任したとき、1ヵ月ぐらいかけてひたすら社員と話をしたんです。そのときに、いっぱい発見がありました。
 自分は相手の立場に立ってものを考えているつもりでいたのに、直接ひとりひとりと話してみると、こんなにいろいろな発見があるのか、と思いました。当時は、なにが自分たちの強みで、なにが弱みなのかをわかろうと思ってやったことだったんです。それがわからないと、自分は社長としてものを決められないですから。
 たとえばプログラムでいうと、判断基準は、短いとかきれいとか速いというものさしなんですよね。会社の最終決定者として、そういった、ものを判断するものさしをつくりたくて、社員ひとりひとりとの面談をやってみた。ところが、思った以上にいろんな意見が出てきました。
 やっぱり、マネジメントというのは、そんなに単純なものではないんですね。かといって、短期的な儲けを追求することがかならずしもただしいとは限りませんから、「それじゃ、どうすればいいのか」ということを、会社がある種の極限状態に陥った瞬間から考えはじめることになるわけです。
 たぶん、その面談のときにわたしは「判断とは、情報を集めて分析して、優先度をつけることだ」ということがわかったんです。「そこで出た優先度に従って物事を決めて進めていけばいい」と思うようになりました。
 そうやって判断を重ねていったら、物事がだんだんうまく回り出しますから、それはきっといろんなことに適用できる真実なんだろうというふうに感じて、それが自分の社長としての自信につながっていくんですね。
 いまのわたしには、あの当時よりもいろんなことが見えています。ですから、33歳の自分のチャレンジがいかに困難だったかを、いまのほうが、もっとよくわかるんですよ。

半年に1回、社員全員との面談。

 会社がたいへんなときって「1週間後までにこれを仕上げないとたいへん!」という自転車操業状態がずっと続いているんです。ところが一度倒産してしまうと、まとまった時間を取ることができて、以前にできなかったことができるんです。
 その「できなかったこと」が、わたしにとっては、みんなとの対話、社員ひとりひとりとの面談でした。
 そしたらすごくたくさんの発見があって、じつはこれはものすごく優先度の高いことだということがわかったんです。だから、会社を立て直してまた忙しくなっても、社員ひとりひとりと話すことはずっとやめないできたんですよ。
 HAL研究所の社長だったときの面談は、半年に1回、社員全員と話していました。多いときには80人から90人ぐらい。時間はひとりあたり、すごく短い人で20分ぐらい、長い人で3時間ぐらいです。それを6年か7年ぐらい続けていました。
 最初に社員全員と話をしたとき、「面談してはじめてわかったこと」がものすごく多かったんです。それまでもふつうにコミュニケーションできていたと思っていた人でも、一対一で面談するとはじめて語ってくれることがある。変な言い方になりますが、「人は逆さにして振らないと、こんなにもものを言えないのか」とあらためて思いました。
 わたしなんかはわりと、相手に機会をつくってもらわなくても、機会を自分でつくって伝えればいい、と思っているほうです。自分のような人の集まりなら、面談は要らないでしょう。必要なことは必要なときに相手に言いますから。でも、みんながみんな、そうではありませんよね。
 わたしは、自分がどんな会社で働きたいかというと、「ボスがちゃんと自分のことをわかってくれる会社」や「ボスが自分のしあわせをちゃんと考えてくれる会社」であってほしいと思ったんですね。
 そして、わたしは「人は全員違う。そしてどんどん変わる」と思っています。もちろん、変わらない人もたくさんいます。でも、人が変わっていくんだということを理解しないリーダーの下では、わたしは働きたくないと思ったんです。
 自分が変わったら、それをちゃんとわかってくれるボスの下で働きたい。だから、自分も社員のことをいつもわかっていたい。それが面談をはじめた動機です。たいへんだけど、自分の得るものも多いなとわかりました。
 社員全員と面談するなかで、話し合うテーマは全員違います。ただ、面談のプログラムのなかで、唯一決まっているのが「あなたはいまハッピーですか?」という最初の質問でした。
 わたしはもともと企業理念などというおこがましいことを語るつもりはありませんでした。ただ、「会社というのは、ある共通の目的を持って、みんながそれを分担して、力を合わせるための場所だから、共通の目的は決めたほうがいい」というふうに面談のなかで思うようになったんです。
 それで、「商品づくりを通して、つくり手である我々と遊び手であるお客さんを、ともにハッピーにするのがHAL研の目的だと決めよう」と言ったんです。
 そう宣言したんだから、「あなたはハッピーですか?」と訊くのは文脈に合っているんです。で、そうして訊くとですね……まぁ、いろいろなんです(笑)。
 相手とのあいだに理解と共感がないなら、面談をやる意味はないとわたしは思います。ですから、相手が不満を抱えている場合、それはそれで聞くんです。でもわたしは、相手の言うことを聞くあいだに、自分の言いたいこともちゃんと言っているんです。
 不満を持っている相手は、不満がたまっていればたまっているほど、まずその不満をこちらが聞かないと、こちらの言うことは耳に入らないですよね。なにかを言おうとしたのに、口をさえぎられて「それはこうだよ」と言われたら、「あぁ、この人はなんにもわかってくれない」と思って当たり前ですよね。
 ですから、言いたいことは言ってもらいますし、言いたいことを言ったあとだったら、ある程度、入るんですよ、人間って。
 人が相手の言うことを受け入れてみようと思うかどうかの判断は、「相手が自分の得になるからそう言っているか」、「相手がこころからそれをいいと思ってそう言っているか」のどちらに感じられるかがすべてだとわたしは思うんですね。
 ですから、「私心というものを、どれだけちゃんとなくせるのかが、マネジメントではすごく大事だ」と、わたしは思っているんです。
 わたしには、社内の仲間に対しては利害の発想はないです。もちろんわたしがネゴシエーションをしたことがないわけでもないですし、ビジネス上、交渉を不要だという気はありません。でも、こと同じ会社で同じ目的を果たす仲間とのあいだで、それをする必要はないでしょう?
 やっぱりみんな納得して働きたいんですよね。ただ、会社がいろんなことを決めたときに、ふつうの社員の人たちはほとんどのケースで、なぜそう決まったのかがわからないんです。単純に、情報がないですから。
「社長はあんなことを言っているけど、どうして?」というようなことが、いっぱいあるんですね。
 面談でひとりひとりの話を聞いていると、「この判断の背景にある、この理由が伝わっていないんだな」とか、「わたしがこう言ったことが曲解されて、こんな不満を持っているんだな」ということがわかってくる。それで、自分はどうしてこういうことを言ったのかとか、なにがあってこういうことを決めたのかということを、もちろんなにもかもしゃべれるとは限りませんが、その背景をできるだけ説明していくんです。
 それは、けっきょくは「こういう材料がそろっていたら、君ならどう考える?」ということを訊いているのと同じことなんです。それで、相手が「ぼくでもそうしますね」ということになったら、安心じゃないですか。同じ価値観が共有できていることがわかると、お互いすごくしあわせになるんですよ。
 相手が誤解したり、共感できなかったりするときには、いくつかの決まった要因があるとわたしは思うんです。そのいくつかの組み合わせで、人は反目しあったり、怒ったり、泣いたり、不幸になったりしている。そういうときは、だいたい複数の要因が絡まっていますから、ひとつずつほぐして原因をつぶしていけば、すっきりするわけです。
 わたしが面談でどのくらい時間をかけているかというのは、つまり「相手がすっきりしたらやめている」ということなんです。その意味では、「できるまでやる」。それも決めたんです。
 みんながわたしを信用してくれた非常に大きな要因は、わたしがその面談を続けてきたことだと思うんです。生半可な覚悟では続けられませんし、それがしんどいことだということは、誰の目にもわかりますから。

もし逃げたら自分は一生後悔する。

 わたしは、お客さんに対しても、うちに仕事をくれる別の会社に対しても、相手が期待した以上のものを、いつも返してきたつもりなんです。
 HAL研究所が会社として困難な状況に陥ったときは、そのリピーターだった会社の人たちが「ぼくらがなにかお手伝いできることがあったら、なんでもしますよ」と言ってくださって、じつは、わたしたちとの契約を切ろうとした会社は1社もなかったんです。
 いまから考えると、自分が困難な状況にあったときに、わたしはそれにものすごく救われているんです。ふつうはそういう状況になると「信用に不安のある会社には仕事を頼んではいけない」となるんですね。だけど、そうならなかった。
 経営が難しくなって十何億という負債を抱えたとき、「逃げる」という選択肢はいちばん最初にありました。だけど、まずそれを捨てたんです。
「もし逃げたら自分は一生後悔する」
 最終的に決断した理由はそれしかないと思います。
 理科系的に期待値を計算してなにが得かと考えたら、十何億もの借金を背負うという選択肢はないんです。ですから、逃げないと決めたのは、美学か倫理かわかりませんけど、そういう類のものです。一緒に汗をかいた仲間がいるのにどうして逃げられるか、というのがいちばん大きい要素でした。
 わたしは妻にも感謝しています。多額の借金を抱えた会社の社長を引き受けることに関して、彼女から一度も責められなかったですから。
 世間体も決してよろしくないし、一緒に生活する者として、すごいリスクを取っているわけなんですね。「なんでそんなことをしなきゃいけないんだ」と言われたって、ぜんぜん不思議ではないんです。でも、彼女はなにも言わなかった。それは、ほんとうに、ありがたかったですね。
 社長になってからも、開発の責任者は自分がやっていました。「なにがこの会社の強みか」ということを考えたとき、開発を軸に立て直す以外に道はないだろうとすぐにわかりましたから。それは頭のなかで10秒でわかる答えといってもいいかもしれません。
 わたしはそのとき、自分をつねにいちばん忙しいところに置くと決めていました。社内にチームはいくつかあって、忙しさのピークはズレていたわけですが、わたしはいちばん忙しいチームを応援しにいくことにしていました。
 そうしたのは、まず、「そのときにどんな課題があるのかを見つけて分析して解決する力」が、当時、社内の開発者としてはわたしがもっともあると思っていたからです。
 いちばんたいへんなところに自分が行くのが、会社の生産性にとってもっとも合理的であり、それと同時に、「岩田にものを決められること」に会社の人たちが納得するためには、問題解決の姿を目の前で見せることが、いちばんいいじゃないですか。「あの人が決めるならまあ納得しよう」と言ってもらうのに、こんなにいい方法はないんですよ。
 そんなふうにして、わたしは開発のトップに立つことで、会社全体を見ていました。とくに当時は、ゲームというものはちゃんとつくれば売れるという、打率の高いものでしたから、わたしが開発の現場にいることは、いろんな意味でよかったんです。スーパーファミコンの全盛時代です。
 会社が息を吹き返す大きな契機となったのは、『星のカービィ』です。
 最初は『ティンクルポポ』というタイトルでゲームボーイのソフトとして出す予定だったんですが、「このまま出すのはもったいない」と宮本茂さんがおっしゃって、いったん発売を中止し、調整し直して、任天堂発売の『星のカービィ』というソフトに生まれ変わるんですね。
 当時、『ティンクルポポ』は広告も出ていて注文も取っていたんです。たしか注文数が2万6千本でした。発売を止めたときは、当たり前ですが、会社のなかで大激論がありましたよ。だって営業の人からしたら、もう、メンツ丸潰れもいいところですから。
 しかし、最終的に、『星のカービィ』のゲームボーイ版は、500万本以上売れることになりました。単純に計算すると、当初の200倍も売れることになったわけです。
 あのときの開発中止がなければ、当然ですが、現在の『カービィ』シリーズはないんですね。『カービィ』はこれまでのシリーズ累計全部でいったら、世界中で2千万本以上売れていますし、『カービィ』が登場する『スマッシュブラザーズ』のシリーズまで含めたら、累計3千万本を大きく超えていますから(2005年取材当時)、ほんとうに大きな転機でしたね。

◆岩田さんのことばのかけら。その1

ちいさいころのわたしは病弱で喘息持ちで、
転校したあとにいじめられっ子だったこともありました。
そういうときに、弱者の立場をけっこう経験しているんです。
たまたま最初に入った会社もちいさかったですから、
大きな会社とかに対しては弱い立場ですよね。
そういう、弱者の立場というのを、
自分が経験できたことはすごくよかったと思うんです。
任天堂の社長という「弱者じゃない立場」になってからも、
わたしはそういうところでの経験が絶対に捨てられませんし、
また、むかし、たいへんだったことに対して
うらみを晴らすというような気持ちがほんとにないんです。

HAL研究所の社長をしていたころ、わたしは、
「もし自分よりも社長として適性のある人がいたら、
いつでもかわりたい」と、こころから思っていました。

わたし自身、開発者出身ですから、開発する人のマインドが、
ふつうの経営者よりは理解できているかもしれません。

大革命をするから、5年待ってください。
そのあいだは利益は出ませんと言ったら、
社長はクビになるんですよ。
だから、毎年、一定水準の利益を出しながら、
でも、変えていかなきゃいけない。
いってしまえば、飛びながら
飛行機を修理するみたいなところがあって。

わたし自身、振り返ってみても、
自分がふつうじゃなかったから特殊な道を選んだのか、
たまたま特殊な道を選んだからこういう自分でいるのかは、
もう、よくわからないですね。
ただ、少なくとも、これまで過ごしてきた環境と自分は、
とても相性がよかったんだろうなっていう、
そのくらいの感覚はありますけれども。

むかし、プログラムを書くというかたちでゲームをつくっていたときと
新しいハードやプラットフォームをつくっているときを比べると、
考えることの量や質は圧倒的に違いますが、
根本的な意識や姿勢はそれほど変わりません。
わたしはいま、むかしのようにプログラムを書く時間がないので、
プログラムを書くというかたちでは参加していないですけど、
自分もつくり手のなかのひとりだという意識ははっきり持てています。

自分たちは、なにが得意なのか。
自分たちは、なにが苦手なのか。
それをちゃんとわかって、
自分たちの得意なことが活きるように、
苦手なことが表面化しないような方向へ
組織を導くのが経営だと思います。

第二章岩田さんのリーダーシップ。

自分たちが得意なこととはなにか。

 物事って、やったほうがいいことのほうが、実際にやれることより絶対多いんですよ。だから、やったほうがいいことを全部やると、みんな倒れちゃうんです。
 ですから、自分たちはなにが得意なんだっけ、ということを自覚したうえで、「なには、なにより優先なのか」をはっきりさせること。順番をつけること。それが経営だとわたしは思います。
 それでは、自分たちが得意なことってどういうことなのか。わたしはこんなふうに考えています。
 仕事をするとき、同じくらいのエネルギーを注いでいるはずなのに、妙によろこんでもらえるときと、あんまりよろこんでもらえないときがあるんですよ。自分たちとしては、かけている手間も苦労も同じくらいなのに。同じ100の苦労をしたときでも、なぜかこっちの仕事のお客さんは100よろこんで、こっちの仕事のお客さんは500よろこんだ、みたいなことが起こるんです。
 もっと簡単にいうと、仕事をやっていて、ものすごくつらいときと、そうでもないときがあるんです。仕事だから、当然つらいことも混ざります。というより、つらくないわけがない。そのときに、つらさに見合ったぶんだけよろこんでもらえないと、さらにつらくなるんです。で、苦労以上の評価をしてもらっているときは、社員も、どんどん元気になって、どんどん伸びていくように感じる。逆に、悪い循環になると、見る見る社員がしおれていって「これは、面談をしなければ」というふうになる。
 つまり、自分たちがすごく苦労したと思ってないのに、妙に評価してもらえるときというのは、放っておいても、どんどんいい結果が出て、いい循環になって、どんどん力が出ていく状態。それが自分たちに向いている得意なこと。そうじゃないことは向いてないことだ、というふうに、わたしはだいたい判断していますね。
 基本的に、人間って、自分の得意なことと他人の不得意なことを比べて、「自分は正当に評価されてない、不公平だ」って文句を言うんですよ。それは、自分でも、知らず知らずのうちにやってしまうことがあります。
 これはわたしの勝手な説ですけど、生き物って自分の子孫を残すのが最終目的でしょう? 子孫を残すためになにをしなければならないかというと、「自分は、他の個より、この部分が優れています」というプレゼンをしないといけないんですよ。ということはつまり、「わたしという個は、他の個よりも優れています」というアピールをするのが上手なDNAがいま生き残ってるんですよ。そういうことが得意じゃなかったDNAはだんだんいなくなってるはずなんだから。
 だから、自分の得意なことをアピールする性質が生き物にはかならずあるわけで、自然とそうなってしまうんだと思うんです。会社という組織のなかでも、みんな、都合よく、自分の得意なことと、人の不得意なことをつい比較してしまう。
 だから、逆に、会社全体のことを考えるときには、こういうふうに考えて、こういう軸で比較や評価をしていきましょう、という共通認識を持たないと、すぐに「不公平だ」となるんですよね。
 苦しそうなことは、ほんとうはやめたほうがいいんですよ。だって、それは向いてないので。だけど、そうはいっても「我慢せなあかん」ということはあります。嫌いなことを全部やめようって、みんなが言い出したら社会生活が破綻しますから。
 つまり、基本的には、その会社が「得意なことをする集団であろう」ということを目指すとしても、人と人が一緒に仕事をするためには、最低限、苦手だろうがなんだろうが、やってもらわないと困るということを決めないと一緒に働けないんですね。というときに、その「最低限のこと」を、なるべくちいさくすることが、経営者としてただしいんじゃないかなとわたしは思うんです。
 そもそも会社というのは、持ち味の違うふつうの人が集まって、ひとりでは実行できないような巨大な目的を達成するためにあるわけですから。

ボトルネックがどこなのかを見つける。

 コンピュータの進歩が速いのは、トライアンドエラーの回数が圧倒的に多いからです。
 たとえば、ハードウェアを製造するときの金型を直すとかいうことになると、何種類かを試すだけでもすごく時間がかかります。でも、コンピュータのソフトウェアなら「マリオがどのぐらいの高さでジャンプすればプレイヤーが気持ちよく遊べるか」を一日に何度でも試せる。
 現実には、パーフェクトなことというのはまずなくて、トライアンドエラーのくり返しです。「あ、ちょっとましになった」、「あ、ちょっとましになった」とくり返しながら、すこしずつよくなっていくわけです。
 また、仕事には、たくさんの人が並列で処理しようとするときに、きれいに割れる仕事ときれいに割れない仕事があります。たとえば気象のシミュレーションみたいなことは、複雑であっても要素ごとに分けてばらばらのプロセッサで並列に計算をすれば、処理が高速化できるんです。一方、こちらのことがあちらに影響されて、あちらのことがまたこちらに影響を与えて、という種類の仕事では、そういった並列の処理ができません。
 あらゆることがそうですけど、仕事って、かならず「ボトルネック」といわれるいちばん狭い場所ができてしまって、そこが全体を決めちゃうんですよね。逆に、全体をどうにかしたかったら、ボトルネックがどこなのかを見つけて、まずそこを直さないといけません。ボトルネックより太いところをいくら直したとしても、全体はちっとも変わらないんです。
 わたしは、そのことはよく意識するようにしてきました。これは自分がコンピュータをやっていて得意だったことのうちのひとつです。
 たとえば、「もっとプログラムを速くしてください」というときには、ボトルネックになっている部分がかならずあって、それが全体を遅くしているんですね。
 プログラムの世界では、よく、「全体のなかの1%の部分が、全体の処理時間の七割から八割を消費している」などといわれるぐらい、そこばかり何回も処理しているということがあり得ます。ですから、そのボトルネックになっているところを直さない限りは、そうじゃないところをいくら直しても意味がないんですね。
 ところが、人は、とにかく手を動かしていたほうが安心するので、ボトルネックの部分を見つける前に、目の前のことに取り組んで汗をかいてしまいがちです。そうではなくて、いちばん問題になっていることはなにかとか、自分しかできないことはなにかということが、ちゃんとわかってから行動していくべきです。
 そのように心がけたとしても、行動のもととなるのは所詮仮説に過ぎないので、間違っていることもあるかもしれません。けれども、少なくとも「ここがボトルネックになっているはずだから、これをこう変えれば全体がこうよくなるはずだ」というふうに行動しなければいけないんですけど、わりとそれができないんですよね。
 わたしは思うんですが、ひとりで取り組むコンピュータの世界にも、誰かと一緒に仕事をする世界にも、じつは共通点がすごくいっぱいあって、その共通点を見つけることでわかることがたくさんあるんです。それがわたしの「判断すること」や、「困難な課題を分析して解決の糸口を見つけること」に、ものすごく役に立っていると思います。

成功を体験した集団が変わることの難しさ。

 何年ものあいだ、同じ方向の同じ考え方が通用して、それが成功をくり返していると、それによって成功の体験をした集団というのができますよね。
 成功の体験をした集団というのは、自分たちが変わることへの恐怖があるものですが、わたしがいますごく意識しているのは、あらゆる変化の速度についてです。たとえばいまって、いろんな環境がとても大きく変わって、人の考え方も情報の伝わり方もすごく変わっているわけじゃないですか。
 だから「いまよいとされているやり方は、ほんとうにただしいのか」ということを、わたしだけでなく会社中の人が疑ってかかって、変わっていく周囲の物事に敏感であるように仕向けていかないといけない、と考えています。
 お客さんのニーズも変わるし、マーケットの環境も変わるし、情報の伝わり方も変わるし、人が欲しいと思う内容も変わるし、実際に買いにいく人も変わるし、売り場も変わる。あらゆることが変わり続けていくわけですから。
 といっても、成功を体験した集団を、現状否定して改革すべきではないと思います。その人たちは善意でそれをずっとやってきて、しかもそれで成功してきている人たちなんですから、現状否定では理解や共感は得られないんです。
 世の中のありとあらゆる改革は現状否定から入ってしまいがちですが、そうするとすごくアンハッピーになる人もたくさんいると思うんです。だって現状をつくりあげるために、たくさんの人が善意と誠実な熱意でやってきたわけでしょう? 不誠実なものについて現状否定をするのはいいと思うんですけど、誠実にやってきたアウトプットに対して現状否定をすることは、やってはいけないと思うんです。
 わたしは任天堂がいまのこの環境なら変わったほうがいいと思うことはあるけれども、現状否定からは入りたくないし、入るべきだとも思っていません。
 放っておけば会社がつぶれるし、変わらなければいけない理由は目に見えている……という状態のときには現状否定から入っても誰もそれに反対しないんですけれども、なかなかそれほど極端な状況にはなりません。
 もちろん、任天堂も現状否定をしたいような状況ではありませんよね。
 わたしは任天堂前社長の山内溥さんのことをすごく尊敬していますし、「こんなにすさまじいことを、自分が同じようになしとげられるとは到底思えない」と、いまだにすごく敬意を持って見ています。
 ただ一方で、この局面で自分が託されたからこそ、やらなければいけないことはたくさんあって、それをしながら理解と共感を得るには、とても微妙な舵取りが必要です。
 わたしはいま、たくさんのことを変えてもいるのですが、否定したいから変えるのではありません。
「わたしがもしもむかしの時代にいたら、いま任天堂がやっているのと同じような方法を取ったと思うよ。でも、環境が変わったでしょう? 周囲が変わったでしょう? ぼくらが変わらなかったらどうなる? ゆっくり縮小していく道を選ぶ? それとも、もっとたくさんの人が、未来にぼくらのつくったものでよろこんでくれるようになる道を選ぶ?」ということなんです。

いい意味で人を驚かすこと。

 自分たちがつくるものに対して、最初、お客さんは、たいして興味がないどころか、まったく興味がない。いつもそこから、はじまる。
 そしてそこから、愛してもらうというか、わたしたちのつくったものに触れてニコニコしてくれる状態にまで線をつないでいかないと、自分たちの負けだって思ってます。最初だけ盛り上げて、とにかく買ってもらうというのではなく、半年後、1年後と、新しい提案を出し続けていって、お客さんが「ああ、気がついたら遊び続けてたわ」っていうことが起こらないとダメです。そうしないと、ほんとうの意味での目的を果たしたことになりませんから。
 発売したあとも、二の矢、三の矢があって、それがほんとうにちゃんと当たるのか。お客さんのこころを射抜けるのかどうか。お客さんに遊び続けていただけるのかどうか。大丈夫だと思っていつもやっているんですけどね。
 逆に、近視眼的な賢さといいますか、単純に、なにかとなにかを比べて「こっちのほうが得じゃん」ということでだけで選んでいくと、どうしてもそれは安易な道へ流れていってしまう。いま、任天堂がそうなっていない大きな理由は、自分たちの目的がはっきりしているからです。
 けっきょく、自分たちのミッションは、「いい意味で人を驚かすことだ」ということが、すごくはっきりしたんです。「人を驚かす」ということができなければ、新しいお客さんの数は増えないんです。
 人を驚かせるというのは、お客さんの予想を裏切ることでもありますから、強い決断が必要です。たとえば、ニンテンドーDSというゲーム機に、当初は多くの人が戸惑いました。「2画面とタッチパネルのゲーム機をつくります」って発表したとき、多くの人は「あちゃー、任天堂、変になっちゃった」っていうふうに感じたと思うんです。
 わたしたちからしたら、現在の延長上に未来はない、と思って決断したんですが、ふつうに考えている人にしてみれば、ただの常識外れに思えるんです。

面談でいちばん重要なこと。

 世の中の面接って、どうして答えにくいことから訊くのかなって思うんですよ。なぜ答えやすいことから訊かないのかなと。
 わたしの経験からいうと、面接官には2通りのタイプがあるんです。相手をほぐしてからその人の本性を引き出して、そのうえで選びたいと思っている人と、「ほぐれていないから話せない」というのもその人の社交性だったり、力だったりするから、そのまま評価してしまうという人と。
 わたしは、前者です。後者の面接官って可能性を一部しか見てないと思うんですよ。まずはほんとうの自分を表現してもらわないとなにもはじめられませんからね。
 わたしは、社内での面談というのは人一倍やるほうなんですけど、面談のいちばん重要なことって、相手が答えやすい話からはじめることだと思っているんです。
 社内ではじめての人と話すとき、わたしは「どうして任天堂に入ろうと思ったの?」という質問からはじめるんです。それはかならず答えられることですから。どんな理由だろうと、かならずなにかあるはずだし、自分のことだから自分で答えられるはずなんです。ありのままの事実を語ることができて、しかもその人のほんとうの姿を垣間見ることができる。
 ところが、「キミ、少子高齢化についてどう思う?」、「アメリカの景気はこれからどうなるのか?」なんて訊いても、答えられないかもしれない。それでは、面談をする意味がありませんから。
「どうしてこの会社に入ったの?」という質問のほかに訊くことがもうひとつあります。それは、「いままでやってきた仕事のなかでいちばんおもしろかったことってなに? いちばんつらかったことってなに?」ということなんです。
 これもね、自分のことですから、答えやすいし、なによりその人のことがわかるんです。

安心して「バカもん!」と言える人。

 新しく社会に出たばかりの人は、いろんなことを知らなくて当たり前なんですから、「知らないことを恥ずかしがらない」ということがすごく大事です。
「オレってけっこう賢いでしょ?」って思わせるようなことは、先輩には、みんなバレます。しかも、バレるうえに、自分を飾ることは、すごく感じが悪い(笑)。
 けっきょく、新人が会社からいちばん求められていることは、「飾るな」ということなんです。その一方で、いかに同じことで何度もほかの人を煩わせないかということ。
 それから、新人って、どういうわけか、明らかに説教しやすい人と、しにくい人がいるんですよ。安心して「バカもん!」と言える人と、腫れ物に触るように叱らないといけない人がいるんです。
 これって、じつはものすごい差なんです。こちらから与えられる量も、その人が吸収できる量も、最終的に大きく変わってくる。「バカもん!」と言われやすい人は、ものすごくたくさんのことを短期間に学べるんです。
 そして、「バカもん!」って安心して言える人が入ってくると、じつは職場の人たちはすごくうれしい。いや、もちろん、「ぜひ、バカなことをしなさい」と言ってるんじゃないですよ(笑)。
 どういう人が気持ちよく「バカもん!」と言われるかというと、おそらく、動機や行動が純粋で、悪気がないこと。言われたときに打たれ強いかどうかということではないですね。そして、前提として、たとえたしなめたとしても、こちらが「その人の人格を否定してない」ということが相手に伝わっていること。その信頼感がお互いにあるからこそ、安心して「バカもん!」と言えるんだと思います。
 たとえ、知識もスキルもないとしても、「あなたの言うことを受け入れる用意があります」っていうことがその人から伝わってくるなら、できていないことや、やらなければならないことをきちんと言えるし、言われたほうもそれを学ぶことができるんですよね。
 逆に、腫れ物に触るように叱らなくてはならない人っていうのは、「ここからは入ってこないでください」っていうバリアーみたいなものを、周囲に感じさせてしまう人なんでしょうね。そこに踏み込んでしまうと、その人のことを壊してしまうんじゃないかと、まわりの人たちが気づかってしまうというか。その人がなにを大切にしているのかがわかっていれば、安心して「バカもん!」って言えるんでしょうけど、大切なものがなんだかわからない人には、怒ったらその人の大切なものを意図せず踏みにじってしまうかもしれないという恐怖がありますからね。
 怒ったり、説教したりすることって、やっぱり気をつかいますし、それなりに恐怖もある。だから、自分が言うことを新人が受け入れるつもりでいるかどうか、いい顔でこちらを見ているかどうかというのは、とても重要なことだと思います。
 わかりやすくいうと、なるべくなら、「ほんとうにやりたそうにしてる人」に仕事は渡したいんですよ。人間ですからね、嫌そうにしている人に大切なことを任せたい人なんかいないんですよ。
 仕事はやっぱりたいへんだし、嫌なことはいっぱいあります。きっと、我慢もしなきゃいけません。ですけど、おそらく、その人にとって「仕事がおもしろいかどうか」というのは、「自分がなにをたのしめるか」という枠の広さによってすごく左右されると思うんです。
 考えようによっては、仕事って、おもしろくないことだらけなんですけど、おもしろさを見つけることのおもしろさに目覚めると、ほとんどなんでもおもしろいんです。この分かれ道はとても大きいと思います。

プロジェクトがうまくいくとき。

 わたしの経験からいうと、あるプロジェクトがうまくいくときって、理想的なリーダーがすべて先を読んできれいに作業を割り振って分担して、その通りにやったらできました、という感じのときではないですね。とくに、わたしたちの仕事は、人を驚かせたり感動させたりすることですから、事前に理詰めで計画を立てて作業を分担させることが難しい、というのもあるんですが。
 どういうときに企画がうまくいくかというと、最初の計画では決まってなかったことを、「これ、ぼくがやっておきましょうか?」というような感じで誰かが処理してくれるとき。そういう人がたくさん現れるプロジェクトは、だいたいうまくいくんです。逆にそういう現象が起きないときは、たとえ完成したとしても、どこかに不協和音のようなものがあって、あんまりよくないんですよね。
 たとえば、Wiiをつくっているときなんかは理想的で、「ここがちょっと問題だから、やっておきましょうか」っていうことがこれまでのハードのなかでいちばん多かったように思います。きっとそういうムードができていたんでしょうね。
 また、Wiiの開発チームでは、プロジェクトのごく初期のころから、「Wiiはこういうゲーム機にしたいんだ」という話をものすごくたくさんしていました。だから、「こうありたい」というイメージがかなり共有されていたというのも、プロジェクトがうまく運んだ要因かもしれないですね。
 つまり、「こうなりたい」というイメージをチームの全員が共有したうえで、現実的な問題が起こったとき、あるいは起こりそうなときに、誰かが発見して、自然と解決していく。それが理想のかたちなのかもしれません。

自分以外の人に敬意を持てるかどうか。

 働くことって、ひとりじゃできないじゃないですか。かならず、誰かとつながりますよね。会社というのは、ひとりではできないような大きな目的を達成するために、いろんな個性が集まって力を合わせていく仕組みとしてできたものです。
 もしも、経営者がなんでもできるんだったら、ひとりで全部やればいいんです。自分がいちばん確実で、自分がいちばん当事者意識があって、自分がいちばん目的を知ってるんですから、自分ですべてできるなら自分でやればいいんですけど、そんなことをしていたら、ひとりの時間とエネルギーの限界ですべてが決まってしまうんですよ。
 だから、会社で働く人は、自分で担当すること以外は仲間たちに任せて、ゆだねて、起こる結果に対して腹をくくるわけですよね。で、その構造が、規模が大きくなればなるほど階層的になり、より幅が広がっていく。それが会社というものですよね。
 そういうふうに、誰かとつながりながら、何事かを成し遂げようとするとき、自分以外の人たち、別の意思と価値観を持って動いている人たちに、「敬意を持てるかどうか」っていうのが、ものすごく大事になってくるとわたしは思ってるんです。
 まず、明らかに自分と意見の違う人がいる。それは、理不尽にさえ思えるかもしれない。でも、その人にはその人の理屈と理由と事情と価値観があるはずなんです。そして、その人たちは、自分ができないことをできたり、自分の知らないことを知っていたりする。だから、すべてを受け入れろとは言いませんけど、自分にはないものをその人が持っていて、自分にはできないことをやっているということに対して、敬意を持つこと。この敬意が持てるかどうかで、働くことに対するたのしさやおもしろみが、大きく変わってくるような気がするんです。
 たとえばわたしは任天堂の社長をやってますけど、絵は描けませんし、作曲ができるわけでもない。立場上、わたしは上司で社員は部下かもしれませんが、ひとりひとりの社員はわたしのできないことを専門的にやっている人たちだといえます。
 そういう人たちに対して、わたしは非常に敬意を持っているんです。というか、そうあるべきだと思って生きてきました。
 ちなみに、わたしのそういった姿勢というのは、自分が30代前半のころに糸井重里さんと会って学んだことなんです。自分より10歳以上年上の糸井さんが、自分の知らないことをできる人にすごく敬意を持って接しているのを見て、「かっこいい。ああなりたい」って思ったんです。
 もっというと、「糸井さんは、自分のできないことをやっている人に対して、素直に感動したり敬意を持ったりしているだけで、それは特別なことじゃないんだな」っていうふうにわかったんです。
 だから、わたしが言ってることって、道徳観じゃないんです。つまり、仕事で出会ういろんな人たちに敬意を持って接することが、自分の仕事をおもしろくしてくれる。それを言いたいだけなんです。
 余談ですが、わたし、いまよりずっと若いころ、自分がものすごく忙しく感じていたころに、「自分のコピーがあと3人いればいいのに」って思ったことがあるんです。でも、いま振り返ると、なんて傲慢で、なんて視野の狭い発想だったんだろうって、思うんですよ。だって、人はひとりひとり違うから価値があるし、存在する意味があるのに、どうしてそんなこと考えちゃったのかなって、恥ずかしく思うんです。
 いまのわたしは逆に、ひとりひとりがみんな違う強みを持っている、ということを前提にして、その、ひとりひとりの、人との違いを、きちんとわかりたいって思うんです。それがわかってつき合えたら、いまよりもっと可能性が開けるって、いつも思ってますね。

◆岩田さんのことばのかけら。その2

ほんとうは得意になる才能を持ってるんだけど、
「オレは苦手だ、わたしは苦手だ」って
本人が勝手に思ってることってあるんですよ。
たとえば、世の中に、
「オレはマネジメントが得意だ」って
最初から思ってる人なんていないんですよ。
マネジメントなんか大嫌いで、
「ものづくり一筋の職人としてやっていきたい」
と言ってたような人が、
「人にものを教えるのは、おもしろいなぁ」って、
変わっていくのをわたしは何度も見てきました。
それは、その人が気づいてないだけで
じつはその人がもともと持っている才能なんですね。
その人自身は気づいてなかった部分を
誰かが探すことができたとき、
人は思いがけない方向に伸びていくことができるんです。

技術者も、絵描きも、「オレがいちばんうまい」という
自信やうぬぼれがないとエネルギーが出ないでしょう。
プログラムをやる人だって、
自分のやり方がいちばんいいと思っている。
そんな人どうしが一緒に開発をすると、
かならず衝突が起こるんです。
だって、クリエイションはエゴの表現ですから。
エゴの表現をし合っている人たちが、
なにもしないで考えを一致させるはずがないんです。
全員が善意と情熱でやっているから
「自分はただしい」と思っている。
全部違う方向を向いているのを、
どうやってそろえたらいいのか。
わたしが会社に入ってすぐに開発の責任者になったというのは、
ある意味では、マネジメントのための
とてもいい訓練になったんです。

人にはポテンシャルがありますからね。
その、人々が持っているポテンシャルを、
なるべく有効に活かせるようにすることは、
組織のほうで助けられるんじゃないかと思います。
逆にいうと、組織のなかで内向きに消えていく力、
無駄な方向へ消費されていくエネルギーって
ものすごくあるわけで、それの向きをそろえるだけでも、
外に対してものすごく有効な力になると思います。

どの程度たいへんかということを漠然と知りつつも、
「なんとかなる」という前提でいる。
リーダーって、そうじゃなきゃいけないんですよ。
「なんとかなる」という前提ですべてが動いているからこそ、
みんなが「なんとかしなきゃ」って思うんです。
それは、わたしもときどきやるんですよ。
たとえばWiiをつくったときに、わたしは
「本体をDVDケース3枚ぶんの厚さにしてほしい」
ってスタッフに言ったんです。
もちろん、そうとうたいへんなのはわかってるんですけど、
わからない振りしてやるんですよ。
難しいに決まってるんですよ。
で、もちろん、そればっかりじゃダメで、
無理難題を言うときと、そうじゃないときと、
メリハリは、つけないといけない。
つねにトップが無理難題を言うばっかりじゃ、
組織が回っていかないですから。

あらためてわたしが思うのは、
やはり目標を定めるのが大切だということです。
たとえ、それが前例のない目標だとしても。
単純に、仕様を積み上げていくことをくり返していくだけだと、
どうしてもマージンが重なって大きくなるだけでしょう。
それよりも、やりたいことが明確にあるのであれば、
「こうしたいんですよ」っていうところから
逆算して目標に向かっていくほうがただしいと思うんです。

やっぱり、社長が「こうしたいんだ」って
一度言っただけでは全員が腹に落ちるわけではないです。
何回も何回もくり返し言われ、
そのなかで、あるとき、言っていたことのなにかが現実になって
「ああ、そういうことか」となって、
ひとり腑に落ち、ふたり腹に落ち、という感じで、
「任天堂はここを目指していて、だからいまこう動くんだ」
ということが全員に浸透していって、
自分たちの目指す近未来のイメージが
共有できるところまで来たのかなと思います。
ですから、まあ、きっと同じことを
しつこく言い続けてきたということにつきるのかもしれません。

説明してそれを聞いた人がわかるのと、
そのわかった人がほかの人に
説明できるほどわかることは、
ぜんぜん別ですから。

自社のシェアがトップのときでも、
非連続な変化を伴う決断ができるかどうか。
シェアがトップのときの舵取りのしかたは、
そうではないときとまったく同じには、ならないと思います。
ただし、まったく同じにならないだけで、
危機感を持ったら、違う方向に走らないと、
時間の過ぎるスピードはものすごく速いですから、
のろのろしていると手遅れになると思うので、
もしこのまま行くと未来はないと感じたら、
トップシェアを取っていても、相当乱暴な方向へ、
「トップなのに、そんなことしなくても、
いまを守ればいいじゃないですか」って
たくさんの人から止められようと、
きっと舵を切ると思いますね。
ただ、やり方は同じではないでしょうけど。

ニンテンドーDSがブレイクし、
Wiiが世界的な評価を得て受け入れられたことは
すごく運がよかったと思ってます。
ただ、ひとつだけ自信を持っていえるのは、
幸運を引き寄せるための努力を、
任天堂という会社全体が
ものすごくしてるということですね。
逆に、同じように努力をしても、
運に恵まれなくて、結果を出せていないものが、
世の中にはたくさんありますから。

大きな組織になるほど、
「今回はこれにこだわると決めた!」
みたいなことが必要になってくるんですよ。
だって、会社にとって、
やったほうがいいことなんて無限にありますから、
誰かが方針を決めないと
パワーがどんどん分散していくわけです。
だから、宮本さんなり、わたしなりが、
「これをやりましょう」って
きちんと選ばないといけない。

問題は、いつストレッチする(※高い目標に挑むこと)かなんですよね。
天の時と噛み合ったら「勝負」なんですけど、
天の時と噛み合わないときにストレッチすると、
たいてい、破滅が待っているので。

本気で怒る人にも、
本気でよろこぶ人にも出会えるのが、
働くことのおもしろさじゃないですかね。

第三章岩田さんの個性。

「なぜそうなるのか」がわかりたい。

 わたしは、なるべく、「なぜそうなるのか」がわかりたいんです。そうしていないと気が済まないんです。
 なぜこういうことが起こるのか、なぜこの人はこんなことを言ってこんなことをするのか、なぜ世の中がこうなっているのか……。自分のなかで、なるべく「これはこうだからこうなんだよ」とわかりたいんですね。
 そのために、事実を見たら、つねになぜそうなるのかの仮説を立てるんです。仮説を立てては検証して、とくり返しているうちに、より遠くが見えるようになったり、前には見られなかった角度でものが見られるようになったりするんです。
 これはわたしが糸井重里さんに学んだことなのですが、糸井さんはしばしば未来を見通すようなことをするんですね。糸井さんがいいなと言ったものが流行ったり、売れたりする。わたしは実際にそういう場面に何度も居合わせてきました。
 それで、わたしは糸井さんに「なんでこれが流行ることが半年前にわかったんですか」と何度も質問することになるんです。
 そしたらいつもおっしゃるのは、「ぼくは未来を予言していないよ。世の中が変わりはじめたことに、人よりすこし先に気づいているだけなんだよ」ということでした。
 それを聞いて、わたしは自分がそれをできるようになるにはどうすればいいのかと思ったんですね。それで、仮説を立てては検証するということをくり返してきました。そのおかげで、人がまだ変化を感じていないうちに気づくということに関しては、わたしはあの当時よりもいまのほうがずっとできていると思います。
 また、わたしは、ただしいことよりも、人がよろこんでくれることが好きです。
 自分の価値体系のなかには、「まわりの人がよろこぶ」とか、「まわりの人がしあわせそうな顔をする」とかいうことが、すごく上位にあるんですよ。もう、「そのためなら、なんだってしちゃうよ!」というところがあるんです。
 一方、ただしいことというのは、なかなか扱いが難しい。
 ある人が間違っていることがわかっていたとしても、そのことを、その人が受けとって理解して共感できるように伝えないと、いくらただしくても意味がないわけです。
 ただしいことを言う人は、いっぱいいます。それでいっぱい衝突するわけです。お互い善意だからタチが悪いんですよね。だって善意の自分には後ろめたいことがないんですから。相手を認めることが自分の価値基準の否定になる以上、主張を曲げられなくなるんです。
 そしてそのとき「なぜ相手は自分のメッセージを受けとらないんだろう?」という気持ちは、ただしいことを言う人たちにはないんですね。
 逆にいうと、コミュニケーションが成立しているときって、どちらかが相手の理解と共感を得るために、どこかで上手に妥協をしているはずなんです。

ご褒美を見つけられる能力。

 人って、あることを続けられるときと、続けられずにやめちゃうときってあるじゃないですか。
 たとえば、「英語くらいしゃべれたほうがいいよな」っていままでまったく思ったことのない人っていないと思うんです。だけど、非常に高い割合で挫折するんですよね。
 そこに、「自分が得意かもしれないこと」を見極めるヒントがあるような気がするんです。じつはこれは、ゲームを開発するときに発見したことなんです。
 ゲームって、すぐにやめちゃうゲームと「なんかやっちゃうんだよね」っていうゲームがあるんです。同じように丁寧に仕上げたゲームでも、本質的なおもしろさとは別の次元で、続くゲームと続かないゲームがある。このことと、いろんな習慣が継続するかということは、すごく似ているんですよ。
 共通することがなにかというと、人は、まずその対象に対して、自分のエネルギーを注ぎ込むんですね。時間だったり、労力だったり、お金だったり。そして、注ぎ込んだら、注ぎ込んだ先から、なにかしらの反応が返ってきて、それが自分へのご褒美になる。
 そういうときに、自分が注ぎ込んだ苦労やエネルギーよりも、ご褒美のほうが大きいと感じたら、人はそれをやめない。だけど、返ってきたご褒美に対して、見返りが合わないと感じたときに、人は挫折する。
 これは「やめずに続けてしまうゲーム」の条件としても成り立ちますし、「英語を学ぶときに挫折しないかどうか」も、同じ理屈で説明ができると思うんです。
 自分の得意なものが、放っておいても、どんどんうまくなることも同じ仕組みだと思うんです。たとえば、絵を描く人は、誰に頼まれるでもなく絵を描いて、それをまわりの人がほめてくれる。そういうくり返しのなかで、どんどんうまくなる。
 あるいは、わたしだったら、むかしはわからなかったコンピュータのことが徐々にわかっていって、わかっていくことでさらにおもしろくなる。
 商品や企画をつくっている人だったら、世の中を見て、自分がおもしろいと思うことをどんどんつくってリリースしていって、それが受け入れられたときに快感が生じて、そういうことがどんどん得意になる。この循環を成立させられることこそがおそらくその人の才能だと思うんです。
 つまり、才能というのは、「ご褒美を見つけられる能力」のことなんじゃないだろうかと。
「なしとげること」よりも、「なしとげたことに対して快感を感じられること」が才能なんじゃないかと思うんですよね。いってみれば、ご褒美を見つけられる、「ご褒美発見回路」のようなものが開いている人。
 たまにね、ご褒美を見つけられる寸前まで行ってるのに、その回路が開いていない人がいるんですよ。そのときに、「こういうふうに考えてみれば?」とか、「だまされたと思ってあと3回我慢してみたら?」みたいなことを言うと、うまくいくときがあるんです。
 自分が注ぎ込んだものよりも、ご褒美のほうを大きく感じる瞬間が来れば、よい循環がはじまるし、それが続くんです。たぶん、人が自分の人生のなかで、「ここが得意かも」って思ってることって絶対ご褒美回路が開いてますよ。
 そして、それがひとつあると、できることがさらに増えていくんです。というのも、そのご褒美回路のそばに、似たようなことで自分がご褒美だと感じられる別の新しいものがあるんです。
 いままで得意だとは思ってなかったことで、「じつは、これも同じじゃん」って思えるようなことが出てくる。たとえば、プログラムをつくることと、会社経営はよく似たところがあるぞって、わたしは発見していくわけです。
 そういったつながりが発見できないときは、得意なことは増えていきません。たとえばわたしがプログラムだけを専門にしていたときは、組織や経営の本を読んでも、つながってないからほんとうの意味では頭に入ってこないんですね。たしかに知識は増えるんですけど、知識が増えるだけだと達成感がないんです。「明日、これがつかえるぞ」っていうことがないんですね。そうすると、「ご褒美」が感じられないわけです。
 自分の身のまわりにあることとつながっていないことを無理に勉強しても、身につかないんですよ。だったら、それに時間を費やすよりも、自分が好きで得意なことをやろう、という優先順位になってしまうんです。

プログラムの経験が会社の経営に活きている。

 プログラムというのは、純然たる、純粋なロジックなので、そこに矛盾がひとつでもあったら、そのシステムはちゃんと動かないんですね。
 機械のなかで間違いは起こらないんですよ。間違いは全部、機械の外にある。だから、システムが動かないとしたら、それは明らかに自分のせいなんです。
 でも、プログラマーって全員、プログラムができた瞬間には、「これは一発完動するに決まってる」と思って実行してみるんです。でも、絶対に一発完動なんてしないんですよね。にもかかわらず、その瞬間だけは、「オレは全部ただしく書いたに決まってる」って思い込んで実行キーを押すんです。
 プログラムの世界は、理詰めです。だから、もしも完動しないとしたら、原因は全部、プログラムしたこっちにある。
 わたしは、人と人とのコミュニケーションにおいても、うまく伝わらなかったらその人を責めずに、自分の側に原因を探すんです。コミュニケーションがうまくいかないときに、絶対に人のせいにしない。「この人が自分のメッセージを理解したり共感したりしないのは、自分がベストな伝え方をしていないからなんだ」と思うようにすると決めたんです。
 それはきっと、プログラムをやっていたおかげですね。だって、システムが動かないときは、絶対に間違ってるんですよ、プログラムが(笑)。
 だから、人と話してうまくいかなかったら、「わからない人だな」と思う前に、こっちが悪かったんだろうと思う。うまくいかないのならば、自分が変わらないといけない。この人に合ったやり方を、こちらが探せば、理解や共感を得る方法はかならずある。いまでも、コミュニケーションがうまくいかなかったら、自分の側に原因を求めています。そう思えるのは、きっと、過去に組んできたプログラムのおかげですね。
 ほかにも、プログラムの経験が会社の経営に活きていることはたくさんあります。たとえば、何層にも重なった複雑な問題を単純化してほぐしていくときには、プログラマーとしての経験がものすごく役立っています。
 問題を分析するというのは、物事を要素に分けて分解して、そのなかで「こうすればこれは説明がつくよね」という仮説を立てていくことです。プログラマーは、なにか問題があるとき、それに対して、いくつも仮説を立てては頭のなかで比べるということを、日常的にくり返しています。
 ですから、複雑な問題に立ち向かうときに、足腰があらかじめ鍛えられているんですね。経験してきたトライアンドエラーの回数が多いですから、それについては毎日筋トレをしているぞ、という程度の自負はあるんです。

それが合理的ならさっさと覚悟を決める。

  新しいなにかにぶつかって、いままでのやり方が通用しないようなところに進まざるをえなかったとき、わたしはまず、ほかにいい選択肢がないかを考えます。自分がそうするよりも、もっといい選択肢はないのか。自分じゃない誰かがそれをやるとどうなるか。
 そして、好きか嫌いかではなく、「これは、自分でやるのがいちばん合理的だ」と思えたら、覚悟はすぐに決まります。
 ですから、これまでわたしが取り組んできたことについては、自分がやるのがいちばん合理的だと思ったんでしょうね。少なくともその瞬間に迷いはなくて、自分にかならずできるとは思わないけれど、自分が立ち向かうのがいちばんましであると。
 これもまた、プログラマー的な思考かもしれませんね。
 好きとか嫌いとか、たいへんとかたいへんじゃないとかよりも、「それは合理的であるか否か」と思ってやってきました。いや、だから、できることならしないでおきたかったことは、たぶん、いっぱいありますよ(笑)。
 すごくわかりやすいところでいうと、ステージに立ってスピーチをするというのは、いまでも、好きでも得意でもないと思ってます。しかも、2001年以降は英語でスピーチすることになりました。わたしは幼少期にアメリカに住んでいたわけでもなく、高校時代は英語が苦手でした(笑)。
 でも、ほかの誰かに「やれ」って言うよりは、自分がやったほうがいいなと思うからやってます。その判断があるから、覚悟が決まるんですよ。どうせやらなきゃいけないなら、さっさと覚悟を決めて前向きに取り組んだほうがいいじゃない、っていうことなんでしょうかね。
 同じ意味で、やってないこともいっぱいありますよ。覚悟を決めてやってることもあるけど、してないこともいっぱいあるし、してないことはしないで済むからしてないんですよ。で、やらなきゃいけないことを、やってるんです。
 英語のスピーチに関していえば、まず、誰かがそれをやらなければいけない。わたしがはじめて壇上でスピーチしたときは、まだ社長に就任していないころですから、社長としての当然の任務というわけでもなかったんです。
 ただ、とにかくアメリカで大きな発表の場があって、誰かが任天堂というのはこういう考えでやっているんだということをしゃべらなければいけない。
 宮本さんにやってもらうという選択はありますけど、もしそうするなら、宮本さんにスピーチとプレゼンの練習をしてもらわなきゃならない。わたしは、宮本さんの時間をそこに費やすより、おもしろいゲームをつくってもらうべきだと考えました。だとしたら、自分がやるしかない。そういう判断だったんです。
 そして、とても重要なことは、結果的にそれがただただ嫌なことだったわけではなく、自分がやるという覚悟によって、「できなかったことができるようになる」というおもしろさにつながったということです。
 たいへんだけど、同時におもしろみも見つけることができた。それでわたしは、英語のスピーチなんていう不得意に決まってるものを、いままで続けてこられたんだろうと思います。

「プログラマーはノーと言ってはいけない」発言。

  わたしはむかし、「プログラマーはノーと言ってはいけない」と言ったことがあります。ゲームづくりの過程において、プログラマーが「できません」と言ったら、せっかくのアイディアがかたちにならないだけでなく、つぎの新しいアイディアも出しにくくなります。プログラマーがプログラムしやすいことばかりを考えていたら、枠を超えたすばらしいアイディアなんて出ません。また、最初はできないと思えたことが試行錯誤しているうちに達成できたということもしばしばあることです。
 だから、プログラマーは、軽々しく「ノー」と言ってはいけない。これは、本質的には間違ってないといまでも思っています。ただ、これはわたしの責任なんですが、発言がちょっと独り歩きしている部分があります。
 プログラマーが「ノー」と言ったら可能性を閉ざしていくことになるというのは事実なんですが、あらゆる開発の条件は無限ではありません。ゲームづくりというのは、有限の制約のなかでやるものです。だから、ほんとうにできないことは「できない」と言わなければいけない。
 できる可能性があるとしても、「できるけど、これが犠牲になるよ」とか、「できるけど、これとは両立しないよ」といったことを、きちんと理解し合ったうえで進めていくべきだとわたしは思います。
 そういったことを、「プログラマーはノーと言ってはいけない」ということばとセットにしておいてほしいですね。間違っても、「プログラマーはできないって言うな!」というふうにならないように。

当事者として後悔のないように優先順位をつける。

 人がよろこんでくれる、というゴールさえあれば、どれだけ難しい問題であっても、当事者として取り組み、解決策を考えてしまう。わたしのそういう性質を評して、糸井さんは「それはある種の病だ」とおっしゃいました(笑)。
 たしかに、わたしは困っている人がいたり、そこに問題を抱えている人がいると、その問題を解決したくなるんです。正確にいうと、目の前になにかの問題があったら、「自分だったらどうするだろうな」というのを真剣に考えずにはいられない。助けるというよりは、当事者として真剣に考えてしまう。
 なぜ、そうなるのかというと、その人のことが好きだからでもかわいそうだからでもなくて、その人がうれしそうにするのが、おもしろいからですね。だから、あくまでも理念としてですが、問題が解決されたとき、その人がうれしそうにしてくれるのなら、それは誰であってもかまわないということになります。
 もちろん、時間が無限にあるわけではないですから、その人やその問題と、最終的にどういう時間のレンジでつき合っていくかは、選択していくしかありません。それは、ある種のジレンマでもあります。
 とくに、インターネットが登場してからは、場所とか、距離とか、物理的なスペースとか、そういった制約がいっぺんになくなってしまいましたから、ジレンマを感じることも増えました。
 自分になにができるだろうかということを考えたとき、けっきょく最後は、時間の制約を受けることになります。たとえば、ある1日の仕事ということについて考えると、これまでは、わたしが京都にいる場合は、京都にいる人にしか会えなかったわけです。だから、京都にいる人だけを思い浮かべながら「誰と会えば、いい時間になるか?」と考えていればよかった。でも、いまは、インターネットが普及したことによって、地球の裏側にいる人とも、日常的にやり取りできるようになってしまった。
 また、インターネットは自分の動機を広げることもあります。むかしは、誰かがどこかで困っていても、「自分が助けられることがあるかもしれない」ということを知らないまま生きていけたんですけど、いまは、ひょっとしたら、「自分が役に立てるかもしれない」ということが見えてしまう。しかし、つかえる時間の制約がなくなったわけではないのです。
 つまり、誰となにをするかという選択肢は以前よりも飛躍的に増えたけど、何十人、何百人と、やり取りできるわけではない。だとしたら、どの選択肢を選んだら、1日の時間のつかい方として後悔しないで済むんだろうか、ということがとても難しいテーマになってきたわけです。
 それは、いわゆる、「効率よく働きましょう」というような、真面目な意味ばかりではないんです。だって、すごくくだらないことをぼんやり考える時間だって、絶対に無駄じゃないですからね。
 そうすると、やっぱり、自分の有限の時間やエネルギーをどこに向けるべきなんだろうかということになる。突き詰めて考えていくと、「自分が生まれてきた意味」というところまで行っちゃったりします。
 いずれにせよ、間口を広げてしまうだけだと、なにもできなくなります。会社としての選択もそうですが、漠然とマスに向けた行動になってしまうと、底引き網的にやるしかないので、ひとつひとつに対して丁寧にできないんですよね。すると、深さも出ないし、あと、なにより副次的に生まれるものがない。
 ですからやっぱり、個人においても組織においても、できることをきちんと整理して、後悔のないように優先順位をつけていく。後悔って、するに決まってますけど、できることならしたくないというか、「あのときああしておけばよかった」ということが、ちょっとでも減ったらいいなと、わたしはいつも思ってるんです。

◆岩田さんのことばのかけら。その3

自分がぜんぜん違う環境にいたら、
もっと趣味に生きていると思います。
わたしは、もともとは、放っておいたら、
おもしろそうなことをやって
ときどきまわりの人にそれを見せて、
よろこばれたらしあわせという人です。

わたしは思うんですけど、
考えてもしょうがないことに
悩むんですよ、人って。
悩んで解決するなら
悩めばいいんですけど、
悩んでも解決しないし、
悩んでも得るものがないものを、
人間って、考えてしまうんですよね。

わたしより若くて社歴が短くて経験が浅くても、
書いたプログラムが短くて速かったら、
それははっきり「いい」とわかるじゃないですか。
同じことをやるのに、
より短くてより速いプログラムがあったら、
そのほうがなにかがいいわけです。
わたしが敬意を払ってその方法から学ぶのは当たり前です。
自分のできないことをできる人のことは、
性格が好きとか嫌いとか、
そういうこととは別に敬意を持てるんです。
わたしは、そういうところは、
公正といえば公正なのかもしれません。

たとえば、ある料理店で、お客さんが
出てきた料理について「多い」と言ってる。
そのときに、「多い」と言ってる人は、
なぜ「多い」と言ってるのか。
その根にあるのは、じつは「多い」ことじゃなくて、
「まずい」ことが問題だったりするんです。
だから、ほんとうはたいして多くもないのに、
「多い」って言われた問題だけを見て、
「まずい」ことに目を向けられなかったら、
量を少なくしたところで解決にはならないんです。
ほんとうの問題が「まずい」ことだとしたら、
「まずい」ことを直さないと、
「多いから少なくしました」というのは、
一見解決してるようで、じつはなにも解決してない。

自分がなにかにハマっていくときに、
なぜハマったかがちゃんとわかると、
そのプロセスを、別の機会に
共感を呼ぶ手法として活かすことができますよね。

ものをつくっていると、毎日の苦労は
「人が苦労してやるしかない」ということと、
「こんなことは機械がやればいいのに」
ということのふたつに分かれるんです。
ですから、わたしは、早い時期から
「機械がやればいいことを自動化する仕組み」を
つくろうと思うわけです。
もともとわたしは単純作業にはすぐに飽きるんです。
らくをしたいし、おもしろいことだけをしたいんです。
だから単純なことで毎日何回も同じ苦労をするのが
嫌でしょうがなくて……。
それを他人にさせるのもすごく嫌なんです。

「年齢性別経験を問わずたのしめるものをつくる」という
任天堂のミッションをこなすときの姿勢と、
「機能はシンプルであるほうがいい」とか、
「わかりやすくあるべきだ」とか、
「その場に選択肢が多過ぎるとお客さんが戸惑うから
単純化したほうがいい」というような
Appleの企業哲学、もっというと、
スティーブ・ジョブズという人の価値観には
一定の共通項があると思っています。
しかし、一方で、明らかに彼らはハイテクの会社で、
任天堂はエンターテインメントの会社ですから、
やはり、優先度の置き方には大きな違いがある。
たとえばわたしたちは、あと0・5ミリ薄くできることより、
丈夫にすることを、間違いなく、躊躇なく選ぶと思いますし、
逆に、Appleが、iPodを自転車のカゴの高さから
何度も落とすような耐久試験をするべきだとは思いません。
Appleと任天堂に共通点があるとすれば、
「シンプルにすることによって魅力を際だたせる」
というようなことじゃないかと思います。
物事は、突き詰めていくと、どんどんシンプルになる。
でも、やっぱり違いますよ。優先順位が違うから。

わたしは、スピーチや講演のときには、原稿を全部自分で書いて、
プレゼン資料まで自分でつくらないと気が済まないタイプなんです。

本の前半3章をお読みいただき、ありがとうございました。
『岩田さん』は全7章の構成となっています。
のこりの4章もとてもおもしろいと思います。
ちなみに第6章は、この本のために特別に取材した
宮本茂さんと糸井重里へのインタビューです。
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岩田さん岩田聡はこんなことを話していた。

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抱きしめられたい。

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糸井重里
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2015年に書いた原稿からことばを集めたこの本には、
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