谷川俊太郎さんのことを、
あらためて紹介します。
こんにちは、ほぼ日の菅野です。
私はある1冊の本がきっかけで詩が好きになり、
(本については後述します)
好きな詩人もたくさんいますが、
詩人という肩書でもっとも有名な人は、
やっぱり谷川俊太郎さんなのではないかと思います。
教科書に「朝のリレー」が載っていた、
という方も多いだろうし、
(カムチャッカ半島という地名を私はこの詩で知りました)
スヌーピーのまんがのセリフや『マザーグースのうた』、
『スイミー』『にじいろのさかな』などの絵本で
谷川俊太郎さんの訳文を読んだ方も
たくさんいらっしゃると思います。
ご本人はこんな方です。
⬆この動画は2013年にほぼ日で行った「肖像動画企画」で撮影したものです。
今日は、ほぼ日から見た谷川俊太郎さんのことを、
少しだけご紹介したいと思います。
まずは生まれ年などのプロフィールを。
谷川俊太郎さんは1931(昭和6)年、東京生まれ。
お父さんは哲学者で、宮沢賢治研究者としても知られる
谷川徹三さんです。
ちなみに、お父さんも難しい用語を多用しない
「ふつうの言葉」で哲学の文章を書く人だったそうです。
谷川さんはひとりっ子で、母思いの息子として育ちます。
学校はあまり好きではなかったと聞きました。
高校を出て、
それまで詩を書きためていたノートを父の徹三さんに見せ、
それが三好達治さんをはじめとする
詩人たちの目にとまることになり、デビューしました。
最初の詩集は『二十億光年の孤独』です。
谷川俊太郎さんによる詩の名作は、
「二十億光年の孤独」「朝のリレー」「かなしみ」
「生きる」「みみをすます」「かっぱ」
「芝生」「さようなら」「黄金の魚」「そして」など、
きりがありません。
そのうちのいくつかは教科書に載ったり絵本になったり
歌になったりCMになったりしました。
ちなみに、テレビアニメ「鉄腕アトム」の主題歌の作詞も
谷川俊太郎さんです。
これはずいぶん前の1963年のこと。
「鉄腕アトム」の歌詞を書いたとき、
「空をこえて」と「星のかなた」のあいだにはめる
言葉が思いつかず、
(曲が先にあって詞をあてるという制作スタイルでした)
ためしに「ラララ」にしたらそれが好評だった、と
雑談でおっしゃっていたことがありました。
⬆なぜか菅野の写真フォルダにあった谷川さんが部屋で正座なさっている写真。
子どもの頃から模型飛行機を飛ばすのが好きで、
宇宙が好きで、空に憧れをいだき、
ラジオの組み立てや分解が好きだった
「理科少年」の谷川さんは、
鉄腕アトムを身近に感じて
歌詞を書かれたのではないかな、と勝手に思います。
(ご本人から「誰もロボットには身近になれませんよ」と
ツッコまれそうですが)
また、市川崑監督の映画『東京オリンピック』には
カメラマンとしても参加しています。
のちに映画『ヤーチャイカ』も
覚和歌子さんとの共同監督として演出なさいました。
ご子息の音楽家、谷川賢作さんといっしょに
たくさんのステージに立って詩の朗読をしたり、
海外へもどこへでも、どんどん精力的に出かけていきます。
我らがほぼ日のイベントやコンテンツにも
記録を見ただけで少なくとも21回、
出演や協力をくださっていたことがわかりました。
‥‥ということは、この『星空の谷川俊太郎質問箱』は
少なく見積もって22回目のお仕事となります。
⬆いっしょにごはんを食べた日。
パリのカフェみたいなおしゃれな店で
ランチワインを飲んでおられました。
私が詩と谷川俊太郎さんを意識しはじめたきっかけは、
1979年に発行された
茨木のり子さん著の岩波ジュニア新書
『詩のこころを読む』でした。
この本は私に
「詩に描かれていることは、いったい何なのか」を
すっかりわかるように教えてくれた一冊でした。
子ども向けの本ですが、とてもおすすめです。
(詩に関してはもう一冊、都築響一さんの
『夜露死苦現代詩』が、変化球に見える直球で、
こちらもおすすめです)
『詩のこころを読む』で、
茨木のり子さんは谷川さんのことを
「詩の世界でつぎつぎ窓をひらいていった人」と
書いていらっしゃいます。
実際に谷川俊太郎さんとお会いして、私は、
茨木さんがおっしゃっていたとおりだと納得しました。
谷川さんは、後世に古典となるような作品を
19歳ですでに残していて、
その後もずっと名作を生みつづけてきたにもかかわらず、
さらに次のチャレンジとなる「窓」を探しては、
ことごとく開けてきた人だと、
22回目の仕事をしようとしている私は実感しています。
この『星空の谷川俊太郎質問箱』も、
質問を寄せてくださったほぼ日の読者のみなさんと
いっしょに遊ぶようなつもりで、
しかしちゃんと窓を開けるように真剣に向き合って、
しあげてくださった作品です。
⬆これまでいろんな遊びにつきあってくださいました。
⬆2007年に『谷川俊太郎質問箱』を発行したとき。
本屋さんに入って売れ行きを訊いたりしました。
22回の仕事をしてきたので、
いつも機嫌がよくおしゃれでやさしい谷川さんから、
1度や2度くらい、苦言をいただくことがありました。
どういうときに苦言をいただくかというと、
いつもきまって、
「それではつまらないではないか」
という場合でした。
そうです。
谷川さんは、ただひとつ、
「つまらない」ことには意見を言いました。
谷川俊太郎さんが
「戦後詩人の第一人者」となった所以はおそらく、
少年期にすでに持っていた才能はもちろんのこと、
足取りのかろやかさによる仕事量の多さと、
他からは危なっかしいと思えるような数多くの挑戦、
そして、どんな場所でも惜しみなく力を出してきたことに
尽きるのではないか、
だからこそ「つまらない」ことは
やりたくないのではないか、そう思うようになりました。
そして私はこの
『星空の谷川俊太郎質問箱』の編集を通して、
ある視点について谷川さんが
何度も言及していることに気づきました。
『星空の谷川俊太郎質問箱』がいったい
どういう本なのかについては、
「この本のあゆみ。」の項目をごらんください。