BASEBALL
スポーツ新聞を
読みつくすんだ!

第3回
ジャイアンツ史上はじめて?
入来、杉山のバッテリー

4月14日の巨人広島戦の中継を見ていたときだった。
半月前のちょっとふるい話でスイマセン。
やや、こりゃジャイアンツ史上
はじめての出来事じゃないか、
そう思ったことがあったんですよ。

翌日、
いつも以上になめるようにスポーツ新聞を読んだけど、
その出来事にふれていた記事はありませんでしたね。
気がつかなかったか、記事にするほどのことではないと
判断したか、そのどっちかなんでしょう。
で、その出来事とはなんなのだ。
たいしたことじゃないっすよ。
スポーツ新聞に載ってないんだから。

先発は入来祐作。
キャッチャーは、その前の週に村田真一が
顔面への死球で負傷してしまったんで、杉山直輝。
このバッテリーこそ、その出来事の主役でした。
そうです。
ジャイアンツ史上はじめての、ヒゲのバッテリー。

僕の記憶によれば、巨人で最初にヒゲ問題が勃発したのは
ジョン・シピンでしたよね。
すこし上の世代の野球ファンなら
誰もが憶えているこの名前。
若い人は知らないんでしょうか。
ボブ・ホーナーのことを若い選手が知らなかったんで
驚いたという雑感記事があったもの。
そうか、ホーナーを知らないか。
なら、シピンはもっと知らないだろう。

シピンは、72年から6シーズン、
大洋ホエールズでプレーした。おなじくセカンドを守り、
去年までで6シーズンプレーしているローズの数字と
くらべてみると、安打数シピン822本、ローズ915本、
ホームラン数シピン166本、ローズ109本。
すばらしい数字です。

長島監督が実はこのローズをほしがっていた
という記事が以前あった。いいものはなんでもほしい。
この人は昔も今もいっしょですね。
でも、セカンドを守れて3割25本なら、
ほしくない監督なんていないか。
だから、シピンもほしがった。
ところが、シピンといえばのばし放題の髪とヒゲ。
見た目はほとんどヒッピー。ついたあだ名がライオン丸。

ちょっと話がそれますけど、
ナントカ丸というあだ名の選手って、
みんな個性派の人気者なんですよ。
牛若丸、ライオン丸、ブンブン丸。
まだいた。アニマル。
あれは超個性派だったけど、「丸」とちがうか。
でも引退後の芸名は亜仁丸とかじゃなかったっけ。
まだいたよ、源五郎丸。
スイマセン、ちょっとボケてしまいました。
若い人にはわからないかな。
誰か阪神ファンのおっちゃんに聞いてください。
ウルフもいいんだけどさ、いまジャイアンツには
ナントカ丸的なキャラクターが
ほしいような気がするなぁ。

シピンが巨人に来る。
でも、あのアタマとヒゲはどうなるの?
78年、スプリングキャンプのために来日した
シピンをみてみんな驚いた。
髪は短く刈り込まれ、ヒゲもきれいさっぱり。
ありゃ誰だ。

シピンはヒゲを剃ってきたが、
83年のレジー・スミスは剃らなかった。
彼こそジャイアンツ史上ヒゲ第1号でしょう。
スミスのヒゲについて、球団は、
ヒゲは彼のキャラクターの一部だからとかなんとか、
たしかそんな説明をしたように憶えている。
なんだか苦しい言い訳だなあと思いましたね、
そのときは。

スミスさんがこわいから剃れと言えませんでした、
とでも言っときゃいいのにね。
実は、14日からすこしたって、
アレ、ジャイアンツ史上はじめてというのは
ちがったかなと不安になってきた。
というのは、昨シーズンかその前か、
口ヒゲをたくわえていた弁慶捕手・村田の顔が
ふっと浮かんできまして、そうすると、
ガルベス先発ならヒゲバッテリーですもんね。
そっちが第1号ってことになりますね。
ただ、日本人バッテリーで、しかもチョビヒゲじゃない、
ショウキサマみたいなヒゲとなると、
4月14日の入来祐、杉山がはじめてでしょう。

彼らのヒゲは不精ヒゲではなく、
よく手入れされたものであることは
テレビの画面を通してもよくわかる。
彼らは紳士ですよ。
その試合で、杉山と清原がアタマに死球をくらった。
村田の死球のあとだから、そりゃカッとなるだろうけど、
報復をほのめかすようなことを言っちゃまずいよ。

翌日の新聞で、ヒゲバッテリーにふれた記事がなかった
なんてのはどうでもいいことです。
でも、ほのめかす発言を冷静に批判した記事が
ひとつもなかったのは、なぁそれでいいのかよ、
という気持ちでした。
清原さんがこわいから書けませんでした
と言ってる場合じゃない。
でも、こわいか、やっぱり。
こわくても、もうちょいシャキッとしてくれなくちゃ。
新聞なんだもん。

1999-05-03-MON

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