肉体言語で考えてごらんよ。安宅和人×糸井重里
安宅和人さんをお迎えして、
糸井重里と10年ぶりに対談をしました。

ヤフーやLINEといった会社をグループ化した
Zホールディングスで働き、
新人を積極的にチームに入れている安宅さんは、
同時に慶應義塾大学で学生に指導することも。
デジタルネイティブないまの若者を
よーく見てきた安宅さんと、
これからの時代の若い人の生き方について
糸井重里とたっぷり語り合いました。

ITの世界でデータを扱う安宅さんですが、
ご本人の育ち方は正反対な、自称「野生児」。
全身を使って体験してきたことが、
いまでも役に立っているそうですよ。
※この対談を動画で編集したバージョンは

 後日「ほぼ日の學校」でも公開します。
(2)話し合うべき問題はなに?
糸井
問題について集まって話すときに、
「それぞれが自分の言いたいことを言おうよ。
で、その中から答えを見つけようよ」
というあの発想は、
『イシューからはじめよ』から10年経って、
治っているところもあるんですかね。
安宅
意見を吐き出した方がいいのは事実ですけど、
そこに答えがないことが多々あるのも事実ですよね。
そこに答えがないことがあることを認識せず‥‥、
というより、そもそも考えていることが
根本的にずれていることも認識しないで
議論されてることは多々あります。
ストレートにお答えすると、
あんまり改善はされてないんじゃないんでしょうか。
糸井
どんな年代であっても、
まずは言いたいこと言おうって
発想をしがちですよね。
最初から自由に言いたいことを言ったら
ぶつかるに決まっています。
パイの分け合いみたいな話に
みんな持っていっちゃうんです。
パイを食べるか、食べないかも
決まってないときから。
安宅
何をするのかという話が大事なのに、
パイの分け合いになるのは残念ですよね。
糸井
「とにかく言いたいことをちゃんと言ってさ」
という、あれで費やしている
時間と労力と行き詰まり感がいやですね。
日本では、人生のほとんどを
これに費やされている気がします。
写真
安宅
ああ、同感です。
ぼくは2018年から大学の先生もやっていまして、
当初はぜひ変革をしてほしいと呼び込まれたんです。
そこで、ぼくがフラットに見た感じで
これが問題なんじゃないかと伝えたら、
どうやら自分たちの想像していたものと
ずれていたんでしょうね。
「なんか違う」となってしまうんです。
ぼくは別に何かをやりたいとかではなく、
こうあるべきだと思うという話をしているのに、
そもそもの話がずれているんですよね。
そこで、みんなの意見を聞いているうちに、
一人ひとりが何のためにこの議論をしているのか、
ずれきっていることがわかるんです。
糸井
わかるようにはなりますか。
安宅
まあぼくは、立場柄わかります。
そうやって時間をかけてあげれば、
ちょっとずつ整体的にアジャストするわけですね。
糸井
自分の利権の話をしているわけじゃないけれど、
欲望をぶつけ合えばなんとかなるっていう、
この方法論に無意識で
慣れきっちゃったんだと思うんですよね。
安宅
そんなことなんで、
完全には治らない可能性は
高いと思いますけど。
糸井
ああ、完全には治らないものですか。
でも、これまで安宅さんは
そういう組織の中に入っては、
なんとかできるんじゃないかと思って
問題を探してきたわけですよね。
安宅
ぼくらが取り組んでいる仕事っていうのは、
世の中には解きにくい、
あるいはほぼ解けない問題があるという立場です。
なので、解きやすい方向で解ける、
価値のある問題に注力しようとしています。
糸井
できないことを、
まずできないってわかるのも仕事なんだ。
安宅
問題を変形させることで
うまく解ける問題もあるんですけど、
どうやっても解けそうにない問題については
とりあえず忘れるようにします。
で、もうちょっと基盤的なことで、
簡単だけれど、将来的にいつか
ぶち当たるだろうっていう課題を
先に解決するようにするんです。
そういう課題はちっちゃく見えますが、
3年ぐらいすると意味が出てきたりするので。
糸井
よく似たようなケースがあって、
ぼくはよくミーティングのときに
「もともと、なんでそうしたいんだっけ?」
ということを言うことがあります。
するとみんなが「あっ、忘れてた」となるんです。
誰が喜ぶんだっけっていうのと、
誰も喜ばないし、なんでやってるんだかも
わからなくなっているけれど、
うまく着地することを探しはじめちゃって
途方に暮れるみたいなことがあって。
安宅
ああ、よくわかります。
それはいちばん正しい手の打ち方だと思います。
ぼくがよく出くわすのは、
議論の前提のいちばん根っこにある
事実認識を間違えているケースが多々ありますね。
まずは、決定的に影響するファクトは何だと。
その根っこの部分を固めておくことで、
厳然たる事実であるという前提で進めば、
3か月後とか半年後とかに、
きちんと補正されていくんですよ。
糸井さんがおっしゃった正常な最善手を打って、
ダメな時は根っこの事実認識をはっきりさせる。
議論がまとまらないときは、
最初にすべきだったファクトの整理に
結局戻らざるを得なくなっちゃうので。
写真
糸井
たとえば、台風が近づいてきたときに
「台風を止める方法はないか?」
という議論しても意味ないわけですよね。
どう防ぐかとか、どう逃げるかとか、
起こるべき危ないことに対して
どんな手を打つかとかを話すべきで。
すっごく当たり前の話なんだけど、
いちばん人が感情として怒っているのは
「なんで台風が来るんだよ!」って。
安宅
そうなんですよねえ。
ぼくが体験したことで言いますと、
以前参加したとある会議で、
これは一体何を問題と捉えて議論しているのか
わからないような時間がありまして。
そこで、なんの課題を議論しているのか、
質問を投げかけたんですよ。
すると、その場が凍りつきましてね。
学術の面では優れたご経歴の先生方が
並んでいたわけですけど、
議論すべき内容がずれきっているのに、
誰もわからないまま進んでいくという。
糸井
話がずれていくのはつまり、
得意な話をすると止まらなくなる人たちが
集まっているからでしょうね。
みんな、自分の得意な話に
なんとか持っていきたいんですよ。
その場にファシリテーターみたいな
全体を見通してどうにかする人はいないんですか。
安宅
責任者がいることはいるんです。
ただ、その方も参加している方々との
集団感覚が近すぎて、
議論がずれていったときに気づかないんですよね。
そこにぼくだけが、
ビジネスサイドから座っていたので。
糸井
ビジネスサイドとおっしゃいましたけれど、
そのことばってつまり、
実際的に答えに近づくっていう意味ですよね。
安宅
そういう意味です。
ぼくは実課題を解く側にいるんで、
なんかできないかなと思って。
糸井
「ビジネスサイド」っていうことばは、
ちょっと侮蔑的に使われたりしますよね。
ビジネスサイドからの発想だから
本質的じゃないとバカにされたり。
つまり、プラグマティックであるということと、
イコールで語られがちなんですよね。
本質的なことを解明して
答えを出したいと思っている人たちにとって、
「安宅さんは何を急いで、
そんなに実理的なことをおっしゃっているんですか」
みたいになるんでしょうか。
安宅
うーん、そうなっちゃうんですかね。
糸井
ぼくも、会ったこともないような人から
文句を言われるようなときに、
「あいつはうまいこと立ち回ろうとする」
という批判はされますよ。
つまり、実理を求めようとするから
本質的じゃないんだって。
安宅
ああ、そうですか。
でも、糸井さんがいらっしゃることで、
焦点がシュッと収まるじゃないですか。
わけのわからない多くの議論が、
真ん中にシューッと落ちていくような
勾配が発生しますよね。
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糸井
ああ、そう言われると嬉しいです。
それは、答えに近づきたいからですよ。
ぼくはそういう議論をしながら、
何かしらモックのスケッチをはじめるんですよね。
みんなが見える絵にしましょうよっていうことを
言いたがるんだと思います。
安宅
なるほど、なるほど。
糸井
再来年になっても解決しないような問題は、
いまはちょっと話すのはやめようよって。
安宅
ぼくが先ほど説明したような、
いま、解けないことについて諦めるというのは、
もうまさにそういうことです。
糸井
自分の取り組んでいることについては、
みんな知りすぎているから悩みが大きく見えますよね。
でも、みんなが集まってしゃべるときには、
ちょっとでも前に進むように
共有財産を持ちたいって思うんですよ。
じつは、若い人の方がその感覚が
まだないんじゃないかなって思ったんです。
(つづきます)
2023-05-20-SAT