横尾、細野、糸井、3人が集まった日。
最終回
軽くしながら生きている。
糸井
横尾さんは展覧会で
ご自身の日記を展示なさったりしますし、
作品を鑑賞されることによって
レントゲンのように切り取られるような
感覚があるのではないかと思うのですが、
恥ずかしさとかは、ないんですか?
横尾
あれを恥ずかしがっているとさ、
生きること自体も恥ずかしくなるんじゃないかな。
糸井
あぁ、なるほど。
横尾
生きることじたいが、
恥さらしみたいなもんじゃないですか。
糸井さんは恥ずかしくないの?
糸井
恥ずかしいですけど、
横尾さんは、後で見られてもいい人生を送っている、
と感じる。
細野
あ、ぼくもそれを感じる、横尾さんに。
糸井
横尾さんには秘密があるんだろうか?
横尾
車に例えるとね、
排気ガスを出しながら
車は走るじゃないですか。
糸井
はい。
横尾
ぼくの日記や作品は、
ある意味では、
ぼく自身が走るための排気ガスみたいなものなんだよ。
別に、あの排気ガスは
みんなに危害を与えてないでしょ。
与えてるかな?
糸井
いや、与えてないです。
横尾
だと思うんですよね。
あれを吐き出さないと、
ぼくという車が走ってくれないということです。
だから、恥ずかしいとは別に思わないよ。
糸井
はぁ。
細野
絵や日記を観てるほうも、
別に「うわぁ、恥ずかしい」とは
思わないですね。
糸井
たしかにないです。
ただ、自分じゃできないなとは思う。
細野
そうですね。
エネルギーを感じますよ。
圧倒される。
糸井
そうそうそう。
横尾
とはいえ、「発表しない、公にしない秘密」も
ぼくは持つことは大事だと思うんですよ。
だけど、ときには
さらけ出す、吐き出すということも
大事じゃないかと思うわけ。
糸井
そうか。秘密を入れ替えしてるんですね。
秘密に呼吸させてる、というか。
横尾
うん。
音楽もそうだし、絵もそうなんだけれども、
あれは自分の中の、
不透明なものって言ったらいいのかな、
そういういかがわしいものを
絵を通して吐き出すわけですよね。
絵の画面に具体的に吐き出すんじゃなくて、
「描く」っていう行為ね、
行為がそういったものを吐き出してるわけだからね。
だから、言ってみれば絵なんてほんとうに
恥をさらしてるわけです。
細野
それって、エロティシズムに通じますね。
糸井
通じるね。
横尾
だから、絵に何が描かれているのか、
何を意味しているのか、
何を象徴しているのか、
ぜんぜん関係ないんですよ。
テーマも関係ないし、その様式も関係ない。
何を描いてもいいんです。
よく、若い絵描きさんが、
「どういうものをテーマにしたらいいのか」
「どういう表現をしたらいいのか」
と訊いてくるけれども、ぼくは、
何を描くかとか、いかに描くかっていう部分は
興味ないです。
きっと最初はそこから入るんでしょう。
何を描くかというテーマ性を持って描くわけです。
そのうちに、それをどう表現するかという、
造形の問題になっていく。
そうするとね、
「そんなものでもないな」って感じがしてくるわけ。
それからどんどん行って、
結局いったいなんだ? ということになると、
「どういうふうに生きるのか」
ということになってしまうんですよね。
糸井
うん、なってしまう。
横尾
そうしたときに、
生きるということは、ある意味で、
さらけ出して生きるわけで、
恥ずかしいことでしょう。
でも、それを恥ずかしいと決めつけてしまったら、
今度は窒息しちゃいますよね。
糸井
たしかにそうですね。
横尾
だから、絵を描くことは、
さらけ出しながら
生きていくということなんじゃないかな。
糸井
たしかにそのとおりですね。
自分がいちばん生きやすく生きてるところでは
みんな「恥ずかしい」とか言ってないですね。
細野
それぞれの分野ではね。
横尾
まぁ、貯金通帳をさらけ出すとかさ、
そんなことはしないけどね(笑)。
自分にとって気がかりなものというのはね、
なるべく吐き出して、できるだけ
軽くならなきゃだめなんですよ。
重いのは、よくないと思う。
糸井
「軽い」っていうのは、
だいたい馬鹿にされるんだけど
軽いほど大事なことはないんですよね。
横尾
「軽い」とか「いい加減」とかね、
「無手勝流」とかね、
「どうでもええやんけ」みたいなことは、
ラテン系もひっくるめて、
「軽い」で総称できると思うんですよ。
軽いということは
生きやすいということです。
重くなりたければ、理由とか、結果とか、
大義名分とか、そういうものを持てばいい。
糸井
横尾さんは動いてるから、軽いんじゃないでしょうか。
細野
うん、そうだね。
横尾
この世の中に来た理由はそれですよ。
動くために、遊ぶために生まれてきてるから、
できるだけ軽く遊びたいということしか
ないんじゃないかな。
だから、ぼくの絵は重いでしょう?
あの重さはぼくの中にある重さです。
それを出していくんです。
糸井
現物として重くても、
その裏にある横尾さんの軽さが
絶えず見えてるわけです。
横尾
最初から軽いものを設定して描いていくのは、
その人は何も軽くなってないんじゃないかな。
重いものを描くことによって
軽くなっていくという、
それがモダニズムだと思うんですよね。
糸井
「重い・軽い」の話は、
機会があったら、
また話しましょう。
細野
はいぜひ、お相手いたします。
糸井
では、そろそろ時間のようなので。
横尾
終わりですか?
糸井
終わりです。
横尾
どうもありがとうございました。
(おしまいです)
▲控え室にて
2016-12-07-WED