荒木さん。


第3回 うまい写真はダメだ。
糸井
この撮ってる人、池ちゃんっていうんです。
どう? 今日、撮るのイヤでしょ(笑)?

注:この日の対談の撮影は
  写真家の池田晶紀さんにお願いしました。
池田
いえ、光栄です!
荒木
いやあ、なにせ持ってるカメラがいいよ。
写真はカメラで決まるんだから。
糸井
それ、何のカメラ?
池田
ライカです。
荒木
フィルムだからいいんだよ。

俺も、俗に「名作」と言われてる写真は
ライカで撮ったのが多いし。
糸井
荒木さんの写真で?
荒木
うん。
糸井
「アタシ、ライカ嫌いなんだよ」とか、
いつだか言ってませんでした?(笑)
荒木
いや、そうでもないんだよ。

もともとの「うまさ」が出ちゃうんだ、
俺がライカ持つと。
糸井
うまさが出ちゃうと、
ただの写真家になっちゃうんですかね。
荒木
そう、うまいのはダメだね。
糸井
「アラーキー」にならないわけですね。
荒木
わざと下手にってわけでもないけど、
うまさを感じさせちゃうと、
そっちにばかり目がいってしまって、
写ってるものが伝わらなくなる。

だから、なるべく
「素人写真」のほうが、いいんだよ。
糸井
きれいなだけの「美辞麗句」っていうか、
ただ「いい写真」になっちゃうと、
「美しいイメージを、コピーしてるだけ」
になっちゃうんですね。
荒木
ただ、天から才能もらい過ぎちゃってるからさ、
どうしてもうまく写っちゃうんだ(笑)。
糸井
困ったなぁ(笑)。
荒木
困っちゃうよ。

見る人に親近感を持ってほしいけど
どうしても「名作」になっちゃうところが、
俺も、まだまだだよ。
糸井
おかしいなあ(笑)。

でも、ぼくも自分が主役になるのって
ちょっと苦手なんですけど
荒木さんにも、
けっこうそういうところありますよね。
荒木
写真を撮る行為ってのは、
「引っ張り出す」ってことだからね。

「相手の魅力」をさ。
糸井
そうですよね。
荒木
で、いいところを引っ張り出すんだけど、
悪いところも、ちょっと混ぜとく。
糸井
ぜんぜん悪いところがなかったら、
「つくりもの」になっちゃいますよね。

「CGの作品」みたいな。
荒木
だから、さっきも言ったけど
男は悪人じゃないとおもしろくないよ。

撮っててもさ。
糸井
で、その「悪い部分」っていうのは
その人が
その人の人生で憶えてきたものですよね。

つまり、赤ん坊に「悪」はないわけで。
荒木
うん。ない、ない。
糸井
人には、劣等感だとか弱点だとか
いろいろあるけど
みんな、まずは「隠す」じゃないですか。
そのうち「言われてもいいや」になる。

で、どんどんどんどん譲り渡しちゃって、
最後は「何を言われてもいい」と‥‥
なるかと思ったら大間違いで、ならない。
荒木
ならない。
糸井
でも、赤ん坊は平気なんですよね。
荒木
そうだね。

赤ん坊のあのすごみ、あの純真さって、
ほんと魅力あるよ。
糸井
あの、子どもの写真‥‥『さっちん』か、
荒木さんが
あの『さっちん』を撮ったときって
まだ学生ですよね、千葉大の。
荒木
そう(笑)。
糸井
千葉大には、写真の勉強のために?
荒木
あのころ、写真学校ってなかったんだ。

うちの兄貴が調べてくれて、
写真をやるには
日大と、写真短大、千葉大と、あると。
糸井
ええ。
荒木
日大は金のあるやつが行くとこじゃない?
写真短大は2年だから、物足りない。

で、しょうがないから、千葉大に行った。
糸井
しょうがないからって(笑)。
荒木
千葉大工学部に
写真印刷工学科写真映画専攻ってあって、
撮影の技術かなんかを
教えてくれるのかなあと思ってたら、
試験管を振るわけ。授業で。
糸井
化学。卒業できたのが不思議ですね。
荒木
いやね、入ったときから、
アラキという人間をもうひとりつくって、
難しいことは
そいつにやってもらったんだよ(笑)。

代返とか、そういうことじゃなくてね。
だって最初から「アラキ」なんだから。
そいつが。
糸井
ちょっとそれ‥‥何ですか?
荒木
だから、シミズって奴に‥‥。
糸井
え、つまり、
「シミズ」が「アラキ」の役をやってた?
荒木
それが、デキる奴でさあ。
糸井
ようするに、ふたりぶん生きてたの?
その‥‥シミズさんは。
荒木
そう。
糸井
‥‥ひどい(笑)。
荒木
シミズのアラキが
ちゃんと化学実験できるから成績はいい。

でもさ、
どこが試験に出るかは、俺が当てたんだ。
そういう役割分担だったの。
糸井
そんなの、よく思いつきましたね。
荒木
で、卒業するころになって
どうにかして出る方法ないかなと思って、
新しく学部をつくってもらった。
糸井
え、どういうことですか?
荒木
ホラ、そのころって
テレビで映画を見せるのが流行り出して。

そこで、大きな画面用につくった映画を
ただテレビに流してもダメだと、
テレビはテレビの発想で
映画をつくんなくちゃダメだって言って。
糸井
ええ。
荒木
そうやって先生にうまいこと言って、
テレビ映画科ってのをつくってもらった。

近くの戦後からの鉄筋アパートに行って、
ボレックス(映画カメラ)回してたんだ。
糸井
へえ‥‥。
荒木
あの当時は、イタリアン・リアリズムが
流行ってたから
なんだか、影響されたりしてたよ。
糸井
田原総一朗さんなんかが
まだ現役でやってるころですよね。
荒木
そう、そう。
糸井
テレビってものが
謎の、
奇ッ怪なおもしろいものだった時代だ。
荒木
そうそう、まさしく、そんな時代。

ま、ともかくね、そういう時代に
そんなことばっかり、やってたんだな。

<つづきます>
2015-11-09-MON