おさるアイコン
  2006/03/31/FR
 
Vol.4 ニューオリンズでの音楽生活−2
ニューオリンズがニューオリンズたるための音楽


音楽情報誌には載っていないものの、
毎週地元で行われていたものに
「セカンドライン」というものがあります。
セカンドラインとは、
日本ではリズムの一種と思われていますが、
本来リズムを含むダンス、パレードなどの
文化そのものを総称したもので、
ニューオリンズがニューオリンズであるための
大切な文化なのです。
リズムも、実は日本で一般に認識されている
リズムとは異なり、
独特なアクセント(特に4拍目が大事)と
バリエーション豊かなフレージングの、
踊るためのダンスミュージックです。
もともとセカンドラインは
西アフリカのお葬式文化由来で、
ニューオリンズでは今でも人が亡くなったとき、
棺をお墓まで担ぎ歩く道中、
ブラスバンドの演奏とともに練り歩くのですが、
その文化、習慣から所以しているのです。

セカンドラインパレードは、真夏を除き、
毎週ニューオリンズのアップタウンかダウンタウン、
どちらかの黒人街で4時間ほど行われ、
ブラスバンドとともに
文字通り黒山の人だかりが練り歩きます。
観光客は稀で、ほとんどが地元民。
地元の自治会みたいなものが主催しており、
週に一度のうさばらしといった感じで、
みなビール片手に踊り狂っていました。
屋根に上って踊る者が必ず何人かいて、
よく顔を見るといつも同じ顔だったりしました。
高いところの後は、地面を這いつくばり、
高所、低所構わず踊ります。
ビール瓶でリズムを取りながら踊る者も。
演奏もさることながら、地元民のリズムに合わせた
すさまじい踊りを見るのが興味深かったのでした。
小さい子供もいっちょまえに
セカンドラインを踊る姿が微笑ましくもあり、
上手な踊りには遺伝子と環境所以か、と感心しました。

ここで演奏する地元ブラスバンドは、
若手はHot 8、Rebirth Brass Bandなどなど、
ベテランではTreme Brass Bandまでさまざまで、
そのメンバーも常に流動的。
ニューオリンズから世界的に有名になったブラス奏者は、
みな若いころからセカンドラインの
ブラスバンドの中で演奏したりしていたものです。

パレードのルートは、
正直あまり安全な場所でないとされている
地域も含むのですが、
その中を歩いてみるといかにニューオリンズには
貧富の差があるか、
そして、そのことに対外的には蓋をされているか、
ということを実感します。
例えば、観光客の足を踏み入れ得る、
いわゆる表の顔の地域には
清掃も行き届き綺麗に整備されているのですが、
貧しい者の住む地域は清掃車が入らず、
ごみがたくさんたまり、
いかにもうらぶれている感じがするのです。
まだまだ、ここでは書ききれない、
また書くことができない、
たくさんの矛盾する事実があるのでした。

若手ブラスバンドHot8には
トランペット奏者である夫をきっかけに親しくなった
レイモンドさんがいます。
彼はジャッキー・マクリーンなどの
著名なジャズミュージシャンのツアーメンバーとしても
全米で活躍中のトランペット奏者ですが、
セカンドライン文化を知らずして
ジャズを演奏することは出来ないとして、
改めて地元Hot8のメンバーになったという
経緯がありました。
日本では、ニューオリンズの人間というと
おおらかでどんぶり勘定的に
思われているかも知れませんが、
レイモンドさんをはじめ
親しくなったミュージシャン全員から感じたことは、
音楽に対してかなりストイックで
繊細であるということでした。
レイモンドさんの姿を見ると、
暇さえあれば練習しており、
熱が入ると夜を徹することも多々だそう。
レイモンドさんは本当に暖かい人柄で、
でもちょっと犬が苦手で、
うちのおっちゃんというボストンテリアには
最後まで怯えていたところが、
またかわいらしかったです。
彼と当時のイラク戦争等を含む情勢や、
ブッシュが再選された選挙について等々、
いろんな話をしたものです。
彼は、ニューオリンズ滞在中に最も親しくなり、
一生忘れないであろう友人のうちの一人です。

私がニューオリンズ滞在中の最も衝撃的事件が、
このHot 8 Brass Band のメンバーである
当時19歳のジョーに起こりました。
ジョーはCDも発売され乗りに乗っていたHot 8の
中心的なメンバーで、彼の存在があるとなしでは
演奏が全く違って聞こえるというほどの腕を持つ、
将来有望な若者でした。
その彼が黒人街で警察に銃殺されるという
事件がありました。
経緯の詳細はここには書きませんが、
かなりの矛盾を抱えた事件であり
怒りを覚えるのと同時に、
同じ類の事件がこの町では絶えないということに
脱力感を感じました。
お葬式で見たジョーの顔は、
心臓が止まっているということが信じられないほど、
まるで今にも動き出しそうだったのが余計悲しかったです。

その葬儀で泣き崩れて足元のおぼつかない
ジョーの母親を抱えるようにして歩いている
ハーリン・ライリーの姿を見ました。
ハーリン・ライリーは、ジョーのおじに当たり、
地元に拠点を置きながら
リンカーンセンター・オーケストラのメンバーとしても
活躍してきた世界的ドラマーです。
私は彼のドラムから音楽の枠を超えた
非常に大切なものを学びました。
初めて彼のドラムをたたく姿を見たときは衝撃的でした。
小さなライブハウスでしたが、
その精神はそこに留まっておらず、
宇宙の何か大きなものとつながっているように
遠くを見つめ、その目は鋭く輝き、肌は光り、
とにかく、とてつもなく美しいものを見てしまったと、
畏れのような感情を持ちながら
ひたすら演奏を聴いていたことを憶えています。

その後も度々彼の演奏には接しましたが、
ある時彼に、いっしょに演奏することが私の夢です、
と伝えると、いつどのときでも、
いまこの瞬間もウェルカムであると答えてくれました。
彼の言葉のように、ニューオリンズでは
有名無名による音楽家間の上下関係が全く存在せず
一緒に演奏することが普通であり、
音楽家と聴衆の垣根もない、そんな街なのです。
また、彼がニューオリンズ地元文化継承の一環として、
地元の子供にドラムを教える場に参加した際の
彼の言葉が印象的でした。

「音楽がこの世に生まれたとき、
 最初の演奏方法は何だったと思う?」

その場にいた子供らは自信を持って
打楽器であると答えました。
彼は微笑みながら、人間の声だ、と答えました。

ジョーの葬儀で見たハーリンは、
今まで見たドラムをたたく姿とはまるで違い、
怒りと悲しみに満ちているその表情は、
私の胸に強く突き刺さりました。
時間も距離も遠く離れた今なお、
ハーリンのその2つの表情は私の頭に強烈に焼き付き、
言葉なしに多くのことを語りかけてくるようなのです。


(つづきます)

Photographed by Ann Sally

 
ご感想はこちらへ もどる   友だちに知らせる
©2006 HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN All rights reserved.