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  2006/02/24/FRI
 
Vol.1
「Bound For Glory」への道
こんにちは、アン・サリーです。
いったいこの私は何者なのか、ご存じない皆様。
私は歌手という顔を持ちながら、
同時に医者として武者修行中であり、
また最近母にもなったという、
ちょっと変り種? な者です。

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昨年末、私はニューオリンズ音楽復興支援を目的に
「Bound For Glory」
(バウンド・フォー・グローリー)という企画をたて、
ニューオリンズ音楽になじみの深い
日本人ミュージシャンらといっしょに
レコーディングを行いました。
なぜ私とニューオリンズが結びつくかという
説明はちょっと後回しにして、
「Bound For Glory」という企画とは
一体何かということについて説明しましょう。

みなさんにとっても記憶に古くないと思いますが、
2005年8月末に大型ハリケーン「カトリーナ」により
アメリカのメキシコ湾岸地域は
歴史的大被害を受けました。
その中でもニューオリンズは
現在のあらゆる音楽に影響を与えたと言える
ジャズの発祥地であり、
街の破壊はすなわち音楽文化の衰退を
不気味に暗示しました。
ニューオリンズ文化を愛する世界中の人々による
その後の街の救済への動きには
目を見張るものがあったものの、
予想をはるかに超えた被害に対して、
今尚復興の作業はかなり難航しているのが現実です。

そんな中で、かつての活気と音楽を街に取り戻すために、
日本にいる我々には何ができるか。
その問いへの一つの答えがこの
「Bound For Glory」なのです。
Gloryには後光、栄光、繁栄、神への感謝などの
多くの意味がありますが、
その「Glory」へ向かっていくことを意味する
この企画のタイトルの元に、
ニューオリンズにとっての
最重要曲である2曲を取り上げ、
たっぷりと気持ちを込めた演奏をしました。
出来るだけたくさんの方々に聞いていただき、
被災地域の人々を、また同じ様な危機に面している
世界中の人々に思いを馳せるきっかけになるように、
という願いを込めて。

さて、ニューオリンズと私アン・サリー。
いったいどう関係があるのか。
この度与えていただきましたこの連載の機会を通して、
私自身がどのようにニューオリンズと出会い、
どのように暮らし、生活から何を得、
そして「Bound For Glory」に至ったか。
その経緯を順にご紹介していきたいと思っています。

まずは自己紹介から。
幼い頃からピアニストになることを夢見ながらも、
医師である父の医学書に興味深く見入り、
いつしかお医者さんにもなりたいという
気持ちを持つようになりました。
その二つの野望を抱えたまま迷っているときに、
小児科医である父からこんな助言がありました。
「音楽家になったら医者はできないけど、
 医者になって音楽をすることはできる」
父自身かつて美術大学と医学との
進路に迷った本人だったということもあって、
妙に納得のいく言葉でした。
もうひとつ、
最終的に医学進学を決めたもう一つの理由。
在日韓国人である父が幼い頃の日本は、
現在よりも外国人として生きるには
まだまだ厳しい世の中だったということがあり、
娘の私に何か特殊な技能を身につけることで
自分の居場所を確保し、
心強く生きて欲しいという願いがあったからです。

こうして医学部に進み、
忙しい日々の中で音楽から離れると、
同時に歌うことへの思いが募り、
その欲求を爆発させるように
数少ないライブで歌っていました。
その後医師となり、
仕事の中でもたくさんの貴重な体験をしました。
初めて多くの人の死に立ち会ったこと、
病気と戦う患者さんと
その家族の鬼気迫る姿を目の当たりにしたこと。
たくさんの意味深いキーワードが頭に飛び込んできて、
その容易に答えの出ない問いを常に頭に抱えている日々。
こんなときには、歌をうたいたくなったものでした。
やはり、医学だけでもなく、音楽だけでもない。
両方と関わることで
自分の平衡が保てるように感じていました。

その後働きながら年に数回程のライブで、
歌への欲求を細々と満たしているうちに、
音楽プロデューサーとの出会いがあり、
勤務医である私に
幸運にも歌手としてデビューするという
機会が与えられました。
しかし、ちょうど同時期、
医学研究という分野の勉強をしてみたくなっており、
アメリカはニューオリンズへの
留学を決心していたのでありました。
よって、CD発売後のデビューライブをもって
音楽活動は開店休業という異例の事態に‥‥!

ニューオリンズへ留学と言うと、
よく音楽の留学でしょ? と聞き返されたものです。
みなさんもなぜニューオリンズなのかとお思いでしょう。
実は、ニューオリンズには
高血圧の権威として有名な先生の所属する
研究施設があるからなのです。
それまで私は患者さんを診察する
いわゆる臨床医という立場で修行していたのですが、
医学と一生付きあって行くからには、
一度はもっと根本的な部分を
見てみたいということで決心した留学なのでした。
同時に、日本という狭い国を飛び出して
外の国を見てみたい、
そこから日本を、韓国を客観視してみたいと思いました。
ましてやその場所がジャズの生まれた街、
ニューオリンズときたら
行かないわけはないということで、
おおいなる好奇心を持ち、
何でも見てやろうとはりきり勇んで
アメリカへ飛立ったわけです。

日本のみなさんにとってニューオリンズといえば、
音楽の都、ジャズの発祥地であり、
ドクター・ジョン、ネビル・ブラザーズにミーターズ。
ザリガニ、ガンボにジャンバラヤ。
毎年の大きなジャズフェスティバル。
この辺りまでが公に流布されている
ニューオリンズ情報でしょうか。
実はこれらはニューオリンズの
ごく表層部分でしかないことを
すぐに知ることになるわけなんですが‥‥。
初めて降り立ったルイアームストロング空港の、
一月にもかかわらずのじっとりと湿気を含んだ
重たい空気の洗礼を受け、
空港から街に向かう夜の高速道路を走りながら、
この闇の向こうに何が見えるんだろう、
これから何がはじまるんだろう、と
期待と不安に胸を躍らせるのでありました。

(つづきます)

 
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