The Apple in My Heart 奈良美智さんの中へ、ほんの少し。

14 中と外

糸井 話してるとわかるんですけど、
奈良さんは自分の中で、
いろんな整理がすごくできてますよね。
それは、ひとりでいる時間が長いというか、
その時間を大切にしているからじゃないかな
と思ったんです。
奈良 ひとりでいる時間。

糸井 ぼくもどちらかといえば、許されるなら、
ひとりでずっと家にいたいっていうタイプなんです。
ひとりでいるタイプって、
整理しないと走れないんですよ。
短い距離ならがんばれるかもしれないけど。
長く、きちんと走るときには、とくに。
奈良 出会ったり、ひとりになったりというのは、
旅をしている感覚と近いんです。
ある町のユースホテルで会ったバックパッカーと、
またどこかの町で出会ったり。
つぎにどこで会うかっていう約束はしないんですけど、
お互い旅をしていたら、またどこかで出会う。
そんな感じで、この「A to Z」が終わってからも
grafのみんなとまた出会って展覧会をしていくと思うし。
糸井 旅の中には両方がありますよね。
「ひとり」と「出会い」と。
奈良 だからかな?
車に乗ってる時間って好きなんです。

糸井 それ、「ひとり」なんですよ。
その時間はつくろうっていったって、
なかなかつくれないもんね。
奈良 そうですね。
だから、ここに来るのも
新幹線で来たら楽なんだけど、いつもわざと車で来る。
東北道ってそんなに混んでないから、
考えごとしながらでも、平気で運転できちゃうんで。
糸井 みんながいる場所に、ひとりで考えながら行く。
そのあたりは自分でもすごく共感しますね。
で、そうはいっても、
チームプレーって、やっぱり最高なんですよね。
奈良 それはもう、そうですね。
やっぱり、「やったー!」って言うときに、
ハイタッチできる相手がいるという
あの、なんかこうワクワクする感じ。
やっぱり人間って、
社会的な生き物なんだなって思う瞬間で。
糸井 他人が何かを成し遂げたのを現場で見るっていうのは、
お客さんの立場にもなれるわけだから、幸せですよね。
奈良 うん、うん。
会場づくりのボランティアの人たちが壁を塗っていって、
少しずつそれが仕上げられていくのを見ているのは、
自分が目撃者になってるみたいで、すごくおもしろい。

糸井 それは奈良さんの姿であると同時に、
無名の誰かでもあるわけですよね。
奈良 そうそう。
糸井 だいたいのことが、
ふたつの極端なところを往復しながら
両方をいっぺんに表そうとしているんですよ。
たとえば「作家性、オリジナル」っていうものがある。
「そこ変えると困るんだよね、俺じゃなくなるから」
っていうところは当然あるし、
この展覧会でも圧倒的に感じることができる。
でも、それと同時に、ベースとして、
「俺じゃなくていいんだよ」っていうのもある。
奈良 うん、うん。
糸井 いつでも、ふたつが同時にあるんです。
強固に小さくしたい部分と、
無限に広くしたい部分と、
同時に語ってますよね、だいだい。
奈良 そうそう。
だから、壁塗りなんかは、
絶対自分がやっちゃいけないと思うんです。
糸井 あああ、なるほど。
奈良 ボランティアの人にやってもらいたい。
で、ボランティアの中に、ペンキ職人がいたら、
その人は壁塗りから外さなくちゃいけない。
糸井 あなたは床ね、みたいな。
それは、遊びを考えてるともいえるよね。
奈良 うん。それを遊びととらえるなら、
遊びを考えられるような余裕っていうものが
なんか自分の中にもできたのかな、
と思ったりもする。いま。

糸井 ひとりで作家としてやってるときには
それは、なかったんですか。
奈良 うん。なかったと思う。
たとえば「家」を例にとると、
いままで自分は部屋の中にしか生きてなくて、
部屋の中をいろんなレイアウトにして、
自分の世界を作り上げてて、
人が来たらドア開けて、中に入れて、見せるけど、
その家の外っていうのはまったく意識してなかった。
窓も開けたことがなくて、外を見るにしても、
ガラス越しに見てただけかもしれない。
でも、窓を開けて見たら、家のまわりに壁がある。
家に壁があるんだとしたら、
「外」もなきゃいけないじゃないですか。
「外」がなきゃいけないと感じたんだと思うんです。
糸井 うん、うん。
奈良 それで、家の外に出て、みんなで壁を作って、
それまで部屋だったのが、小屋に変わった。
部屋って「外」はないけど、小屋には「外」がある。
そこではじめて、内と外のあるものになったんだと思う。

糸井 出会いが影響してるんでしょうね。
奈良 出会いは大きかったと思います。
grafの人たちとこういう出会いをしてなかったら、
やってなかった可能性は十二分にあるし。
糸井 そういう出会いによって、
奈良さんの原体験である、子供のときの「家」の姿に、
もう一回戻れたっていうことかもしれません。
奈良 そうですよね。
だから、いつのまにか
内側からしか見ない人間になってたんですよね。
それがちゃんと外側からも見られる、
自分ちを外側からも見られるようになったんだなと思う。



・・・・・「15 旅」へ続きます
←前へ 次へ→

2006-10-19-THU

もどる

(C)YOSHITOMO NARA & Hobo Nikkan Itoi Shinbun