The Apple in My Heart 奈良美智さんの中へ、ほんの少し。

08 自分の中

糸井 ぼくは人を肴にしながら
自分のことを考えるのが好きなので、
今日もこの展覧会を見ながら、
奈良さんがやってることっていうのを感じて、
そこに自分を重ねて、考えてたんです。
自分がつくられている成分ってなんだろう、とかね。

奈良 うん、うん。
糸井 奈良さんは、ずーっとこの色を使ってる。
じゃあ、俺は何してるんだろう、とかね。
ずーっと自分を考えてましたね、案内されながら。
奈良 うんうんうん。
糸井 だから、
奈良美智を借りて自分を見てたような気がしますね。
少年少女が描かれていることも、
そういう要素じゃないかなあと思うんですよ。
つまり、少年ってふるさとじゃないですか、いわば。
まあ、奈良さんの絵の場合は少女だけど、
「変わりようがないもの」っていうのかな。
子どもって覚えていることは少ないから、
少ない材料でいろんなことを感じるわけですよね。
奈良 自分にとってもやっぱり、
これからのことっていうのは不確かだけど、
いままで経験したもの、してきたことっていうのは、
確かなわけなんですよ。

糸井 そうだなあ。
奈良 それってやっぱり自分の実年齢より
下になっちゃうじゃないですか、表現しようとすると。
だから「なんか以上」のものを求めるんじゃなくて、
「なんか以下」の中、そこを掘り返していくと、
なぜかそれが「以上のこと」にもつながるような気がして。
糸井 あああ。
奈良 だから単純な話、宇宙は広くて、莫大に広いけど、
人がどこまで行けるかっていったら、
海の中、地球の中をもぐる広さしかないわけで、
宇宙の広さからするとそれは
比べものにならないくらいちっちゃい世界で。
でもその中だけでも、人が行ける距離としては
限りないともいえるわけじゃないですか。
糸井 うん、うん。
奈良 だから、行けもしないとこだけ見て
広い宇宙に飛び出そうっていうよりも、
ぼくは、中に、中に。

糸井 自分っていうものをつくった材料は、
無限に過去に広がっているわけですよね。
奈良 うん、そう。
だからどんな人でも、
自分っていうのをどんどん探していけば、
なんかいろんな発見があるんだなぁと思って。
糸井 つまり、この「A to Z」に来た人々は、
ぺたぺた自分を触りにきてくれてるわけですよね。
奈良 それはちょっといやなときもあるけど。
ははは。

糸井 でも、それは不快も含めて、自分だもんねぇ。
奈良 そうですね。
糸井 自分からすすんでこんなことしてるんだもんね。
奈良 だからやっぱり、
単純に人が入ってないとさびしいと思うし、
じーっとここで佇んで見てる人を見ると、
やっぱりうれしくなってくるし。



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2006-10-12-THU

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