The Apple in My Heart 奈良美智さんの中へ、ほんの少し。

05 運命

糸井 この会場は、何かの工場だったんですか?
奈良 日本で最初のシードル工場なんです。
糸井 関わったすべての人がいなければ
「A to Z」は成り立たなかったという意味でいうと、
この工場だって、そうですよね。

奈良 そうですね。ここの持ち主の人が、
使っていいよって言ってくれなかったら、
何もはじまってなかったかもしれない。
糸井 もういまじゃ、この場所以外考えられないね。
奈良 この場所があって、このくらいの大きさの町で、
自分がそこ出身で、いまこのくらいの年齢で‥‥
どの条件が欠けていても、
「A to Z」はできなかったと思う。
糸井 この場所は、ふだんは何に使われてるんですか。
奈良 何も。

糸井 え、じゃあ、ふだんは閉まってるんですか。
奈良 そう。もう、何もない。
ぼくはここで2回ほど展覧会をさせてもらったんですけど、
市が「使いたい」って言ってきても全部断ってるそうです。
持ち主の方は僕より3回りも年上なんですけど、
この倉庫に対する信念があって、ぼくらみんな大好きなんです。
糸井 ‥‥いい話だなあ。
そんな人とよく出会いましたね。
奈良 たまたま本屋さんでぼくの本を見て
ぼくの絵を気に入ってくださって、
「青森県弘前市出身」って書いてあったから
ぼくの関係者に突然電話してきたんです。
糸井 え、直接?
奈良 そうなんです。
「赤煉瓦の倉庫っていえばわかるから」って(笑)。
でも、会場があっても、展覧会にはお金がかかるし、
それだけではやっぱりむつかしいなと思っていたら、
ぼくの昔の友人たちが、その話を聞きつけて。
捨てたはずのふるさとの人々が
放蕩息子の帰還を祝ってくれるように、
みんなで実行委員会をボランティアでつくってくれて、
2002年に、はじめてここで
展覧会をすることができたんです。
糸井 2002年。思えば、最近だね。
奈良 それと並行して、grafと出会って。
一緒に台湾やタイ、ロンドン、ニューヨークと
世界のいろんな場所を回りながら小屋をつくっていった。
知らない場所でやるわけですから、
当然、いろんな問題が起こりました。
その問題を、ひとつひとつクリアーしながら来て‥‥。
だから、そういうすべての経験があって、
この時期に、この場所で、
すべてがぴったり合って、できた感じなんです。
糸井 簡単に言いたくないけど、運命だね。

奈良 はい。はじめてgrafといっしょに組んだとき、
「S.M.L.」っていう3つの小屋をつくったんです。
そのとき、酔っ払って冗談で
「AからZまで全部の小屋をつくろうよ」
とか言ってて、それは本当に冗談だったんだけど、
もしその場で、誰かが急に
「うちにすごいでっかい倉庫があって、
 お金もいっぱいあるから
 AからZまでつくったらいいじゃない」
って言ったとしても、できなかったと思う。
やっぱり、いろんなところで、
少しずつ作ってきたことがたまっていって、
それがあってはじめてここで実現できたことだから。
糸井 流れた時間っていうものの存在が、
ものすごく大きいってことですね。
奈良 ええ。これまでのすべての経験が
この展覧会に活きてるんです。



・・・・・「06 美空ひばり」へ続きます
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2006-10-09-MON

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