17 筆跡鑑定人 根本寛さん
第3回 文字で自分を変える?
── 先生は、他人の文字を見続けて‥‥。
根本 22年になります。
── それだけ長い間、
たくさんの文字をごらんになったわけですが
先生から見て
「文字」とはいったい何だと思われますか?
根本 深層心理が抜きがたく刻まれた、
その人の個性そのもの
だと思っています。
── なるほど。
根本 経験的に、そこには必ずや個性があらわれる。
── 例外なく?
根本 出ますね。というのも
文字というのは「脳が書く」ものですから。
── 脳が?
根本 京都大学のグループが研究していましたが、
文字というのは
脳の中の「言語野」がイメージとして
覚えているんですよ。
── つまり、カタチとして覚えている?
根本 そうなんです。

星野富弘さんという、頚椎損傷で
首から下が不自由になってしまった画家が
いらっしゃるんですが‥‥。
── ええ、知ってます。

とってもきれいなお花や草木の絵などを
描かれる方ですよね。
根本 あの方は、口に絵筆をくわえて
絵や文字を書くのですが、
その文字が、手で書いていたころの文字と
そっくりだというんです。
── へぇー‥‥。
根本 わたしが横浜地裁で担当した遺言書問題でも
こういうことがありました。

ある60代の男性が、脳梗塞になってしまい、
右半身が不随になってしまったんです。
── ははあ。
根本 痴呆の症状も出てきてしまったらしく、
奥さんから
「元気なうちに遺言書を書いてください」
と言われて
仕方なく、左手で書いたそうなんですよ。

そしたら、間もなく亡くなってしまった。
── ええ、ええ。
根本 その左手で書いた遺言書が
「本人の自筆であるかどうか」という裁判で
筆跡鑑定したわけです。

当然ですが、もともと右利きの人でしたから、
照合すべき「左手の筆跡」というのが
他にないんです。
── そうですよね、そりゃあ。
根本 そこで、まだ元気なときに右手で書いたという
「遺言書の下書き」と照合しました。

下書きですから
「遺言書」だとか「妻ナントカ子」だとか、
共通する字が、たくさん出てくる。
── なるほど。
根本 結果として「同一人である」と判じました。

たとえば、奥さんの名前のなかに
「美」という漢字が含まれていたんですね。
── ええ。
根本 遺言書では左手で書いているわけですから
当然、直線などもぶれていましたが
4本ある横線の角度がそっくりで、
横線の間隔も「狭い」という特徴が共通していた。
── 左手で書いても‥‥同じなんですか。
根本 そういった共通の特徴を
6つほど積み上げていくことができたので
鑑定したわけです。同一人であると。
── はー‥‥。
根本 ここからもわかるように
脳に記憶されている文字は「カタチ」なんです。

たとえば「東京都」という漢字と書こうとしたとき、
まずはその「カタチ」が想起され、
それを、手が道具となって書くわけです。
── つまり「口」も「左手」も「利き手」も
「アウトプットの道具」という点では、同じだと。
根本 そうです。熟練度が違うだけでね。

だから、星野富弘さんのように口で書いても、
遺言書のケースみたいに
「利き手ではないほうの手」で書いても、
ある程度は、共通の特徴が出るというわけです。
── ひとつの「頭のなかのイメージ」を
元にしているから。
根本 そう。さらに、そのイメージとは
個々人によって、多少の個性があるんです。

ですからわたしたちは、
そういった
「頭のなかにあるイメージ」を
鑑定している
とも言えます。
── なるほど‥‥。それが、
文字に必ずや個性があらわれるとおっしゃる
ゆえんなわけですね。

今日、先生のお話をうかがって感じたのは、
「からだとこころの関係」みたいなことでした。
根本 ほほう。
── いや、詳しいわけじゃないんですけど、
心理学の分野で
「からだとこころの結びつき」に注目して
「からだの動きから
 こころの側をコントロールする」
というような研究が、なされていますよね。
根本 ええ、ええ。
── 今日のお話ですと、
たとえば
「こころ広くありたい」と思っているのに
自分の文字を診断したら
「こころが狭い人の文字だった」
みたいなことって、あると思うんです。
根本 あるでしょうね。
── そういう場合には、
「こころの広い人が書く文字」になるように
心がけて書いていれば
いつか、変わっていけるみたいなことが‥‥。
根本 あると思いますよ。可能性としては。
── そう思われますか。
根本 たとえば、そうだな‥‥ある技術者の人が
40歳になるくらいまで
非常に「頑固一徹」な文字を書いていた。

自分の職業的信念は守り続ける一方で
人の意見なんかは、
なかなか聞き入れない人に特有の文字をね。
── ええ、ええ。
根本 でも、40歳になってから、はじめて部下がついた。
それも3人、4人、5人と増えていく。

すると、頑固一徹ばかりでは
管理者としての役目が務まらないわけです。
── 部下の「上司」にならなければならない。
根本 そうなると、自分と違う意見でも
「待てよ、そうかも知れないな」というね、
他人の意見を聞く「余裕」が、
たとえば、必要になってきますよね。
── そうでしょうね。上司なら。
根本 そのときに
「こころの広い人の文字」を書くよう
心がけてみる。

そうすると‥‥どうなるか。
文字を書くたびごとに「意識する」んですよ。
── あ、なるほど!
根本 つまり、書いて、その字を診断してみた結果、
「問題の所在」を理解しますね。
── ええ。
根本 こころが狭かったら、こころを広く持ちたい。
飽きっぽいなら、粘り強くなりたい。

「嫌だな」と思う部分を自覚することで
「変えていこう」という意志が、出てきます。
── で、本当に嫌だと思っていたら、
きっと「行動パターン」を変えるだろう‥‥と?
根本 「意識して理想的な文字を書く」ことを
1年も続けたら
だいぶ、変わるんじゃないでしょうか。
── つまり「日々の心がけ」ということですね。
根本 そうそう、意識の積み重ねですよね。

文字を書くたびごとに
「ああ、私はこころ広くあろう」と思って
そういう字を習慣づけていけば、
あるときに
ふと「こころの狭い文字」を書いてしまっても
気づくはずなんですよ。
── 「あ、ちがうちがう」と。
根本 そう、「嫌な字、書いちゃったなあ」って。

そうなってきたら
けっこう変わってきている証拠では
ないでしょうか。
── なるほど‥‥おもしろいですね。
根本 ですから、自分の欠点を正そうというとき、
「まず、字を見てみる」ことは
有効な方法のひとつ足りうると思います。

やはり「行動習慣」に影響をあたえるのは
ひとつには、
「深層心理」や「潜在意識」ですから。
── その「変革」を「文字からやる」と。
根本 そうです。
── 「こころを広く持とう」と思っただけでは
つい忘れてしまったり、
いまいち切実になれなかったりしますけど
文字を書くという
具体的な実践が伴うと、
なんか、身体化されやすいような気がします。
根本 そうだと思います。

身体を動かすということは「能動」ですし、
その言葉の意味は
積極的にはたらきかける、ということですから。
── 身体を使うことで
気持ちが前向きになることって
ありますものね。
根本 そういう「広がり」を感じられるところが
「文字の奥深さ、おもしろさ」
なんじゃないかなあと、私などは思っています。
── 筆跡鑑定について、漠然としたイメージしか
持っていなかったのですが
「文字を書く」という「身体的行為」が
「こころ」にも影響する可能性がある、とは
おもしろかったです。
根本 そうですね。

‥‥でもまあ、難しいことは抜きにして
単純に、ご自分の文字をじっくり見てみるのも、
楽しいものですよ。
──

はい、そう思いました。
いろいろ、発見がありそうですし。

根本 まずは、肩肘を張らずに
気軽に楽しんでもらえたらうれしいです。
── 文字を、楽しむ。
根本 そう、楽しいんですよね。文字って。
<終わります>
2013-02-28-THU
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