2020年3月11日 若い3人、気仙沼へ行く。HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN

ほぼ日の永田泰大です。
若い3人の旅に、ほぼ日から、
引率の先生のように着いていくことにしました。
せっかくですから、ぼくも思ったことを。

若さと気仙沼。

東京からの新幹線のなかで、
ぼくの席の後ろには
りゅートリックスさんとかつおさんが座った。
ふたりはともに23歳。
りゅートリックスさんは
フリースタイル・フットボールの技術を披露しながら、
アメリカを横断した経験を持ち、
かつおさんはおもに原付で
全国1741の市町村を回った経験を持つ。

ふたりは実際に顔を合わせるのは
今日がはじめてのはずなのに、
席についた瞬間にもう互いのことについて
どんどん質問しはじめた。
それはまさに同級生の会話で、
ぼくは前の席でそれを聞きながら
「たまらないなあ!」とぐっと来ていた。

夜になると、最近、作家として、
どんどん仕事が入っている岸田奈美さんが合流し、
タメ口のトークはさらに盛り上がっていった。
たぶん、本人たちは自然に話しているだけだと思う。
でも、それをちょっと離れたところから
見守るように聞いているのは、
自分でも意外なほどうれしいことだった。

三人はそれぞれにスペシャリストである。
しかも得意分野がそれぞれにまったく異なる。
りゅートリックスさんはパフォーマンス、
かつおさんは写真、岸田さんは文章。
横で聞いているおじさんとしてうれしかったのは、
三人がそれぞれ素直にうらやましがることだ。
彼らは屈託なく、ときには相手につっこむように、
いいなあ、そんなことできて、と言うのである。

三人がそれぞれ明らかな実力者であるにもかかわらず、
三人とも他の二人を素直にリスペクトし、
自分の未熟なところを冷静に自己分析したうえで、
「いいなあ」とうらやましがる。
もっというと、「どうやってやるの?」
「最初からできたの?」「誰に教わった?」と
一歩踏み込んで具体的に質問し合うのである。
りゅーさんのパフォーマンスを、
かつおさんの写真を、岸田さんの文章を、
三人はぐるぐると質問し合う。
それは社交辞令やお世辞とは無縁の振る舞いで、
憧れと好奇心と敬意に突き動かされた行為である。

その全体をぼくは間近で見聞きして、
これこそが若さなのだと心からうれしく思った。
無理を承知でまねしたい、と思った。

ぼくは思う。
若さとは、気持ちよくうらやましがることだ。
「自分は自分、ひとはひと」という
正しい諦観のなかに落ち着くのではなく、
「どうしてできないんだろう!」と
しっかり身悶えすることだ。

そんな三人と3月11日に気仙沼を旅することができて、
ほんとうによかったと思う。
気仙沼という街にとっても、
そして変な言い方だけれど
東日本大震災という災害にとっても、
いま、きっと若さが必要なのだと思う。

時間が立てばきっとなんとかなるよ、
という正しい諦観に安住するのではなく、
「いま、そうなりたいなぁ!」と
清々しく、背伸びしたり、欲しがったりする。
そんな若さが、街や社会を
おもしろく伸ばしていくのだと思う。

脱線すると、ほぼ日刊イトイ新聞という
創刊から21年が経った
なかなかベテランのメディアにとっても、
彼ら三人が持っている
「元気なないものねだり」みたいなものが必要で、
その意味でもこの旅はほんとうに
やってよかったとぼくは思う。

三人の旅を最後まで追っていただき、
ありがとうございました。

どうでもいいことですが、
三人に気仙沼のことを説明するとき、
自分が完全に「気仙沼側の人間」として、
ちょっと誇らしげに語っているのが、
我ながらおかしかったです。

さて、今度は誰と一緒に行こうかな。

(永田泰大)

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