静かな「ふつう」のもの(5月11日)

・震災のただ中にある地域に、
 支援に入っていたお医者さんと話す機会がありました。
 この震災の大きな特徴が、
 地震でケガをされた患者さんが、
 とても少ないということだったそうです。
 遠くで想像していたぼくらには、
 なにかの下敷きになったり、落下物にやられたりという、
 緊急治療の必要な患者さんがイメージされますが、
 そうでなかったといいます。

 津波の被害は、水によって命を奪われてしまった人と、
 ふつうに生活していく基盤を失われた人と、
 そのどちらかになってしまった。

 病院に通っている生活をしていた人は、
 その医療を受け続けることが必要でした。
 寝ていたお年寄りは、寝ている理由があったわけです。
 出産を控えていた女性もいました。
 激しいストレスと、困難な日常が続いて病気になる人。
 休むこともままならないまま、他人の世話をしている人。
 じっと苦痛をこらえてがまんし続けている人。
 風邪を引いたり、ぜん息だったりして苦しい人。
 そういう人たちのために、
 「近所のお医者さん」的な役割のお医者さんが、
 たくさん必要だったということです。
 それは、いまも同じで、
 「ふつうの生活」ができるようになるのが、
 ひとつの大きな目標ということなのですね。
 いま課題になっているのが、
 被災地からの「支援の引き潮」だと語られました。
 
 どうしても、遠くにいて、報道の映像を見ていたり、
 パニック映画のことを憶えていたりすると、
 これだけの大きな震災のことですから、
 激しく劇的なイメージを持ってしまいますが、
 痛みや傷も、その癒し方治し方も、
 静かな「ふつう」のもののようです。
 ぼくらが少しだけ現地を訪れて感じたのも、
 まったく、そういう感覚でした。
 
・震災の後、さまざまな人たちのつながりが生まれてます。
 そのつながりから生まれるものが、
 次の時代のモデルになるものだと思えます。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。 
土屋耕一さんの本、発表。そしてMITの石井裕さん、登場。

「今日のダーリン」より