「泣くな」とは、言わない(3月30日)

・ぼくは、「泣くな」とは、言わないほうです。
 泣け泣け、おおいに泣けとも言いませんが、
 無理やり泣くことをがまんすることはないでしょう。
 それは、女でも男でも同じことだと思っています。
 
 いや、もともとは、ただの生意気な男子として、
 泣くのは恥ずかしいというつもりで生きてました。
 ただ、スポーツ観戦などに身を入れていると、
 感極まるとでもいうのでしょうか、
 うわぁっと目から水が出て、息が苦しくなることには、
 気がついてはおりました。
 それはそのうち、スポーツばかりでなく、
 映画や小説などでもあるということがわかり、
 やがては、「泣くのって、なかなか気持ちがいい」
 ということまで知ってしまったのです。

 そして、映画などで泣くようになってから、
 あらためてわかったことは、
 観客が「泣いた」からって、その作品が
 優れているというわけじゃないということです。
 さらには、「泣いた」からって、
 こちらの感受性が優れているわけでもない、
 ということもわかるようになりました。
 
 それを知ってから、ぼくは泣くのが平気になりました。
 寒がりや暑がりのように、「泣きたがり」を考えます。
 「泣いている人ほど愛が深い」なんてことはないです。
 そして、泣いたり騒いだりは、
 他の人がなにかを堪えているような場面では、
 とてもうるさいばかりです。
 泣きたがりの人は、それも知っておくほうがいいです。
 ぼくの場合は、泣くのが好きで、よく泣きますが、
 表現として「わたしは泣いているぞ」
 というふうにならないように気にしてはいます。

 ま、今日は、これだけです。
 このごろは、泣いたり騒いだり鐘を鳴らしたりの音が、
 あちこちから、ひっきりなしに聞えてきますが、
 こころの内側で深く泣いている人のことを、
 すこし想像しましょう。

今日も「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
うん、今日も言おう。東京は、元気です、働いてますよー。

「今日のダーリン」より