光の方向を向いていよう(3月13日)

・じぶんになにができるのかも、よくわからないのに、
 テレビのニュースから目が離せず、
 ツイッターからの情報にも揺れ動いてしまう。
 まともなリズムで眠ることもせずに、
 ない頭をしぼってみたり、こころを痛めてみたり。
 「おちついて」と、おやじぶって言ってますが、
 ぼくにしたって、芯のところは情けないものです。

 ただ、情けないなりになのですが、
 光の方向を向いていようと思ってきました。
 
 ぼくも、ほっとけば、暗くなります。
 悲しいニュースや、悲惨な報告が、
 尽きることなく流れてきますし、
 それをまた、見ることが義務であるような
 不思議な心持ちでいますから。

 深い悲しみや恐怖や、強い刺激に、
 人間のこころは、とらわれやすいんですよね。
 ほっとくと、暗いところばかりに目が行くし、
 そのほうが、ちゃんとしているような気になりやすい。
 だけど、洞窟の闇のなかにいようが、
 射してくる光を見つけないと脱出できない。
 その光の穴から、空気も、希望も出入りするんです。
 
・現地で、外国の人も含めて、たくさんの人たちが、
 自らの不安や恐怖を振りはらって、
 救助や、復旧、安全の確保にあたっています。
 そして、被害の少なかった地域の人たちは、
 「なにをしたらいいですか?」と手を差しのべてます。
 それが光であり、それが希望なのだと思うのです。
 目をそっちに向けよう。
 そこから、じぶんのできることを探そう。
 闇の深さではなく、光の明るさを数えようと思います。
 お見舞いの気持ちと、哀悼の気持ちを持ちながら、
 光の見える方向で、できることはあります。
 まず、現地で救援している人たちの役に立つことです。
 ここではオリジナリティなんか不要です。
 「助け」の助けになることを、しようと思います。
 
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
また、予定されていた企画を、予定のまま更新しています。

「今日のダーリン」より