三谷龍二さんのあたらしい場所。[10cm日記]
 


10月22日 
押っ付け仕事と収まり
ヘタウマ領域というのか、
技術を磨いても行き着けない、
そういう魅力的な絵の領域があります。
 
同じように古い家を直す時にも、
そこに住む人が自分で考ながら作ると、
プロにはない、ちょっとこのヘタウマに近いような、
のびのびとした魅力のある空間になることがあります。
もちろんこれは狙って出来ることではないので
(狙うとかえって嫌みになるものです)
運を天に任せながら、自分の感覚に正直に、
自分にとって気持ちのいい空間作りをするのが
いいのでしょう。
 
改装というのは何処を直し、
何処をそのまま直さないでおくか、
そのバランスや、センスがとても大切です。
プロの方は(これは木工の世界で同じですが)
自動的にこうするもの、
というのをすでに身につけているものですから、
どうしてもきれいに直し過ぎてしまう傾向があります。
ところが素人というのはいろいろ知らないことが幸いし、
あるいは自分の感覚だけを頼りに作るものですから、
時としてプロの改装よりも感じのいい、
味わいのある自由な雰囲気の空間を
作ることがあるのです。
それに建物って、住み始めれば
何となくそこの住人の人柄というのか、
癖のようなものが出てくるものですよね。
だから建物って、やはり人があって、
なのだろうと思います。
 
でも、もちろんですが素人が直した家やお店が、
何処もいいかというとそうではありません。
隅々が荒っぽくて、表面的な雰囲気だけ、
というところも実に多いと思います。
ヘタウマの領域というのは、
住み手の自由な精神がそのままでるからであって、
技術ではどうにもならない領域、ということなのです。
だからただ「下手」というのとはぜんぜん違うんですね。
 
どこだったか忘れましたが建築の本で、
「カーテンボックスの処理は重要だ」、
というようなことを読んだことがあります。
カーテンのような柔らかなものは、
そのままではきちっとしないところがあります。
それに金属のカーテンレールや、
フック、ドレープカーテンのうねりなど、
ことに上部の方ではさまざまな要素が
重なって見えるため、
何となくうるさく感じるものです。
こうしたカーテンが収まる細部まで
きちんと考えられていると、
それがいい建築につながる、
とその本では言っていたのだろうと思います。
 
写真は10センチの入り口のところです。
下の部分に既存のカーテンが掛かっていて、
上部にある、横に伸びたボックスが、
カーテンボックスです。
カーテンの位置をこのボックス部分まで上げて、
中に収めるようにしています。
今回の改装では、あくまで出来るだけですが、
こうしたところにも気を配りたい、と思っているのです。
 
僕が素人建築を見ていやだな、と感じるのは
「収まり」に対して無神経なところです。
行き当たりばったり、
無理矢理辻褄を合わせるような仕事の仕方を
「押っ付け仕事」といいますが、
そうして出来上がったものは雑な感じがあり、
きれいではないし、
中にいてもどことなく落ち着かない。
それは素人仕事の良さ、とは違うものだと思っています。
なんというのか、ただ粗いだけの仕事と言うのか。
今回の改装にあたって、
うまくできるかどうか全く自信はないですが、
「押っ付け仕事」にならないよう、
できるだけ「収まり」の
きれいなものになればと思っているのです。

2010-11-05-FRI
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