001 思い出に残るくらい、悩んだ。 2010-02-02
002 各チーム、いざ! 2010-02-03
003 なぜ、ほぼ日と作ったか。
今日の更新

編集作業が軌道に乗ったかな‥‥というところで
年が明けました。
本来ならすでに校正時期のはずが、
入稿をそれぞれが引っ張っていました。
とにかく、スケジュールがきつかったです。
だけど、リーダーである総研さんが
なぜか自信満々なんですよ。
大丈夫、大丈夫、って言うから
大丈夫なのかな、と思ってたら
実は大丈夫じゃなかったです。
だって、次の号とおなじタイミングで
レイアウトが回ってましたから。
1月12日
最後に原稿を入れたのは糸井重里でした。
今回の特集の扉ページには
糸井の書き下ろした文が掲載されます。
それぞれの粘りが効いて、
どんな仕上がりになったのか‥‥は、
本屋さんで手に取るまでの
おたのしみでございます。
(この記事を書いている時点では、
 我々も、まだ校正刷りしか見ておらず、
 綴じられたものは手にしていません)
ただひとつ、実感として思ったのは
もし我々ほぼ日だけで
吉本さんの雑誌を作ったら
ぜったいにこうはならないということです。
この正体は何なんだろうと、
編集中、総研さんとも
幾度となく話していました。
BRUTUSは、いい意味で
一般大衆誌だと思います。
ですから、ひたすら読者のことを
考えているんですね。
手に取ってくれる人たちが
ちょっと驚いたり、興味を持ってくれるようにと、
いつも思ってます。
だから、突然違うところに話を持っていったり
斜めに入ったりする視点があるのかもしれません。
この吉本隆明特集の前の号は「走る」特集で、
そのあとの号が「ロック」特集です。
そのまんなかに吉本さんがいる。
これはなかなかBRUTUSっぽくて
おもしろいなぁ、と思います。
我々もよくほぼ日っぽいね、と
言っていただくことがあります。
BRUTUSっぽい、というのは、
どういうことを言うのでしょうか。
ぼくは、Esquireの出身なんですけど、
Esquireがやったとしても、こうはなりません。
BRUTUSっぽいということは、
いろんな面があると思いますけれども、
世の中を触りながらも、
まずは総研さんのやったような
「自分事にしていく」というプロセスは
大切なポイントなのかもしれない。
自分に引き寄せて、
読んでいる人が、自分の中から
答えを出していくというのが
BRUTUSの特徴である気がします。
リベラルであり、当たりはソフトだけど、
読むと深くなっていく。
それは、こういう雑誌の
あるべき姿なんじゃないでしょうか。
定例の会議で、みんなで
年表談義になりましたよね。
ああいったマニアックさをまぜたり、
ページを繰ることによる
遊びの要素を入れるのも
BRUTUSっぽいといえばそうかもしれません。
とにかく、この号は、いままで制作してきた中で、
いちばんドキドキしてやりました。
いま、校了したところですが、
純粋に、反応が気になります。
どう受け止められるんだろう?
まずは本屋さんが
たのしみにしてくれているのがわかったので、
それがうれしいです。
今回のBRUTUS、パラパラめくっていただくと、
ちょっと気づくことがあるかもしれません。
「次のページのタイトルとリードが
 前のページの最後に入り込んでいる」
という箇所があるのです。
これは、新しい形かもしれない、と
総研さんはおっしゃっていました。

さて。ちょっと時間は遡りまして、
2009年の晩秋です。
編集チームは、
写真家の操上和美さんとともに
吉本隆明さんのおうちを訪れました。
11月30日
吉本隆明さんの家の近所の
イチョウはまっ黄色。
この特集の最後には、
操上さんの写真とともに、
糸井重里による
吉本隆明さんの1万字インタビューが
掲載されています。
あのインタビューは、まず、
音声を文章に起こすところから
大変でした。その段階で
10時間くらいかかったと思います。
吉本さんと糸井さんの独特の会話は、
繰り返しも思い出したものも
話の筋の中にいくつも入ってるし、
あっちで言ったことがこっちにつながっていて、
合わせるとひとつの文章になっていたりします。
インタビューの前半で、
ものさしの話が出てくるんですよ。
3人を1億人に広げて考える、という内容です。
結局ぼくは、その言葉がこの号の
ゴールになったかな、という気がしています。
吉本さんは、時代的にいえば
ジャストのことは言ってない。
でも、本質的なことをおっしゃってるんですよ。
だから、AKB48のおしゃべりも、
しりあがり寿さんのマンガも、
そのものさしで計れるんです。
最後のインタビューで、
この号のからくりが表現されているようです。
インタビューのなかで、糸井さんが
吉本さんのことを
「本駒込の富士山」とおっしゃっています。
富士山というのは、勉強して見るもんじゃない。
みんなの目の端で、いつも見えているものですよね。
吉本さんという富士山を見ていると
人それぞれに気づけることがあるんじゃないかなと
ぼくは思っています。
こうちゃん(深澤晃平さん)が言っていたけど、
自分の中に吉本さんがいるかいないか、の違いは
すごく大きいような気がします。
きっとこれからも、若い人たちほど、
どうしようもないことをやって、
落とし穴に落ちちゃうことがある。
だけど、吉本さんの言葉を知っていたら、
心の中に吉本さんのハシゴがあるわけだから、
リカバリーは早いんじゃないでしょうか。
吉本さんのお話を読んで、
人生がわかると思ったら大間違いだけど、
リカバリーは早くなるんです、きっと。
そこで、ぼくらが今回、
なぜ、ほぼ日といっしょに
この特集を作りたかったかを言います。

「わかりやすさ」の時代、とか言って、
いちから簡易にして、
講座のように読みくだくのが流行りだそうです。
でも、難しい言葉でしか伝わらないことが
実はたくさん、あると思うんです。

だから、ぼくたちは「吉本さん入門」なんて、
作ったらだめなんです。
わかった気になって、
ひと言ぐらいなら言えるよ、という人を
作るだけですから。
なんとなくわかったら、
もうその先には進まないでしょう。
だから、
ひと言で言うと、とか、
1分でわかる、は、やりたくないのです。

そこで、ひと言で言えないことを
信頼できる人にお願いする、
ということになります。
それが今回は、糸井さんでした。

ほぼ日は、なんでも
わかりやすくしてるわけじゃないと思うんです。
「いまはわからないでもいいよ
(いつかわかるかも、だからね)」
という部分を残して先に進む。
糸井さんと話すといつもそう思うんです。

吉本さんという巨大で偉大なカタマリがあって、
その歩き方を教えてくれる人が、
糸井さんという偉大な人です。
糸井さんは、読み手(作り手)のぼくらが
道を間違えても、見ていてくれる気がします。
崖から落ちそうになっても止めないで、
複雑骨折しても「大丈夫だよ」って
言ってくれてる気がする。
(大丈夫じゃないんだけども・笑)
それをこの特集に、取り入れたかったんですね。

これまで、ぼくも、横目でですが、
ほぼ日の吉本さんのコンテンツは
読んでいました。
ほぼ日で一度めぐった同じ場所を
今度は地図つきでめぐる、
そういう特集にしたいなぁ、ということが、
もうひとつの目標として、
ぼくのなかにありました。
例えば、ゲームをやったあとに、
攻略本を見るときのおもしろさ、ってあるでしょ?
ほぼ日では気づかなかった曲がり角が
どこかに隠れてて、
BRUTUSでそこを見つけ、
座ってお茶を飲んだりできるかもしれませんよ。
いままで、吉本隆明プロジェクト
「ほんとうの考え」
少しでも吉本さんの言葉に
ふれたことのあるみなさんは、その
「ぼんやりした吉本さんの迷路」を、
BRUTUS流の、
向こう岸から触れていこうとする視点や
詳細なガイドをもとに、
もういちど歩く体験ができるかもしれません。

特集の扉ページの文で、
糸井重里が吉本さんを

考えるという海のまん真ん中で、
立ち泳ぎをしているような

と表現しているところが出てきます。

吉本さんは、その海で泳ぎながら、
どこかに向かおうとしているわけでは
ないのかもしれません。
ただずっと、そこであきれるくらいに
立ち泳ぎをつづける吉本さんがいる、
というイメージを持つことは、
なんだか勇気が出るなぁと思います。

これで、BRUTUSとほぼ日の
「いっしょに作った話」はおしまいです。
ありがとうございました!

「ほぼ日と作った、吉本隆明特集」の詳細は
こちらでごらんいただけます。
バックナンバーリストはこちらです。


2010-02-04-THU


(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN