親鸞の
還相について

  • 時間

    122
  • 音質

    東京本願寺
    「課題別育成研究会」での講演。
    反響音があるが、
    内容はクリアに収録。

  • 講演日:1988年11月1日
    主催:真宗大谷派東京教区教化委員会
    場所:真宗大谷派東京教区会館
    収載書誌:春秋社『未来の親鸞』(1990年)




僕は死んだ後に実体として浄土があって、
そこに自分たちが行くんだというふうに
少しも信ずることができません。
不信な一般大衆といいましょうか、
煩悩のさかんな凡夫という場所にいる現在の人間は誰も、
たぶん至心に信仰して念仏を唱えれば
浄土へ行けるとは信じていないだろうと思います。
それは、大乗教の世界的思想家である天親とか曇鸞とか
親鸞が一生懸命、末法の時代でも
信仰のうえでわかりやすく説いてくれた教え方を、
僕らはまるごとつかむということが
できなくなっているということがいえるわけです。
そうしますと、いまどういうことが
起こっているかといいますと、
比喩としてしかわからなくなっているのが
実情じゃないかと思えます。
〈還相〉、還りの姿とは何なのか、
浄土とは、人間の「死」とは何なのか、
ぜんぶ比喩としてしかわからなくなっているんです。