「現在」ということ

  • 時間

    67
  • 音質

    昭和60年度石和町成人講座
    遊・学イベント『た・だ・い・ま』
    での講演。
    吉本隆明をあわせて
    3人の講演会が行われた。
    音源は主催者提供。
    聞き取りやすいが、
    周辺ノイズが入る個所がある。

  • 講演日:1985年3月30日
    主催:山梨県石和町教育委員会
    場所:石和町中央公民館
    収載書誌:思潮社「現代詩手帖 7月号」(1985年)




テレビにおける萩本欽一みたいな
偉大なタレントがもうくたびれちゃったから
番組をちょっと降りさせて休ませてもらうよっていったり、
五木寛之がかつて少し小説を書かないで
休んでいたいよっていったりしましたが、
これは彼らが芸術や文学として
絶えず新しさを求めて競争をする世界で
活動をしてきたからだと思います。
絶えず新しさを生み出すという衝動を何年も続けてきて、
やっぱりくたびれたというところにきたということだと
思います。「
もう降りる以外に自分は存立できない」という危機感を
覚えたときに、偉大なる萩本さんは
番組からちょっと降りて考えたいとか、
休みたいと考えるわけです。
「どうやって登るのか」が問題になる芸能家、
芸術家がいるのと同じように、そこでは
「どうやって降りるか」という、贅沢な悩みですけど、
それはそうとうきわどい悩みなんです。
それは「現在」というものの本質につながる悩みです。
あまり関係のないタレントの問題だよ、
というふうに思わないほうがよろしいと思います。