〈アジア的〉
ということ
──そして日本

  • 時間

    135
  • 音質

    北九州市小倉の書店・
    金榮堂で行われた講演。
    音源は主催者から提供。
    たいへんクリアに収録。

  • 講演日時:1981年7月4日
    主催:北九州市小倉・金榮堂
    場所:北九州市小倉・NRCCホール
    収載書誌:弓立社『document吉本隆明』1号(2001年)




現在、なぜ〈アジア的〉ということが
ことさら問題でありうるのでしょうか。
現在の世界を把握していく場合、
何がかつての時代と違うかを考えてみると、
ふたつのことがあると思います。
ひとつは、欧米の高度な資本主義社会の文明が、
どこへどう行きつつあるのか、
はっきりとつかまなくては、ということがあります。
もうひとつは、かつては〈西欧的〉ということが
世界を考えたと同じだといえたのですが、
現在、世界が高度になってきますと、
世界の最先端をきっている
高度な資本主義社会の文明だけを考えれば
世界を考えたというふうにいかなくなりました。
世界という水平線上に、アジアも、アフリカも、
それから未開あるいは原始にある地域の問題も
並んできたのです。
世界史的な意味で〈アジア的なもの〉を把握することが、
はじめて世界水平線上にあらわれてきた大きな問題です。