詩人としての
高村光太郎と
夏目漱石

  • 時間

    127
  • 音質

    東京大学三鷹寮委員会の招きで
    三鷹寮寮祭で行われた講演。
    ノイズも多く、ところどころに
    聞き取りづらい個所がある。

  • 講演日時:1967年10月24日
    主催:東京大学三鷹寮委員会
    場所:東京大学三鷹寮
    収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)




文学芸術に関する限り、問題の本質は
手仕事をやるかやらないかということで決まるのです。
手仕事というのは、毎日のように机の前に
原稿用紙をおいて、ペンを持って、机の前に坐って、
なんかやるということです。
何も書くことがなく、気分ものらなくても、
やっぱり原稿用紙を前において、ペンをとって、
そこに坐って、「さて」ということで
やろうということです。
そういうことを持続できるかできないかということが、
文学の創造の中心を決定していくんです。
それをやらなければ、文学芸術、つまり
観念のつくるものが、具体的な現実に
よく拮抗することができないんです。
それに耐えたうえで、文学芸術における思想の問題、
あるいは資質の問題というものが
はじめてあらわれてくるのです。
明治以降の近代文学、芸術のなかで、
確かにそういうことをしたといいうる人は、
わずかに作家としての漱石、それから
詩人・彫刻家としての高村光太郎だけです。