矢沢永吉の開けた新しいドア。
「ほぼ日」特別インタビュー2003。
「ほぼ日」は、かつて「53」というタイトルで、
青年期を終えた人々の走り方を考えようと、
矢沢永吉の生き方をとりあげました。

そのときは、「走り方」と表現していたのですが、
激しく走るだけでない矢沢永吉の魅力が、
このごろ、彼の新しい世界として
見えてきているように思うのです。
「歩く速度の矢沢永吉」を、
矢沢自身が発見したようなのです。
その新しい世界のドアは、
昨年の東京フォーラムなどでの
「アコースティック・ライブ」から開かれました。

そして、今年、新しい世界を獲得した矢沢永吉は、
激しくロックするE.YAZAWAと共存しながら、
いままでの倍の大きさを生きていくことになりそうです。

そういうエーちゃんの、今年は、こんな初動です。
ディズニー映画『ピノキオ』のDVD化に伴い、
主題歌『星に願いを』のボーカルを担当。
(6月5日夜、ディズニーシーで一曲だけの特別ライブも)
大反響だった2002年のアコースティックライブは、
6月27日に『YAZAWA CLASSIC』として発売されます。

矢沢永吉さんのさまざまな動きは、
公式ホームページ「YAZAWA'S DOOR」でどうぞ!
こちら、毎日に近いほど、頻繁に更新していますよ。


第17回 がんばるだけじゃ、ダメなんだ

糸井 永ちゃん、話を聞いてると、
そんなに時間が経っていない中で、
また、いい意味で、変化したね。
矢沢 あの時、アメリカにパッと行ったじゃない。

向こうで家を買わなきゃいかん、とか、
いろんなことで、お金をもぎとられてたけど、
意地でも、このことで、かみさんに
「生活が苦しい」と思わせたらいけない。

絶対に生活は変えねえ、とか。

だから、張ってるんだよね。
見栄かもわかんないけど……。
糸井 もし生活を変えていたら、
ズルズルと、なんか、弱くなりそうだね。
矢沢 そう。だから絶対ダメだと思った。
それで次、なにしたか?

自分の金で、借金なしに、
女房にすぐにメルセデス買ってやった。
これ、意地よ。
金は、そんなになかったんだよ。
糸井 今更、その話を聞くと、
「やっぱり、ものすごい事件だったんだなぁ」
って、つくづく思うよね。
矢沢 思うよ。
あっという間に5年前だよね。
糸井 そう。
で、永ちゃん、
あっという間に片付けたよね。

昔から、
「オレひとりで何とかする」
っていうとこから、
必ずスタートしているよね……。

小っちゃい時から、
ずーっとそうなんだろうね。
きっと、ギターも
アウトドアをバーンとやっちゃう、
みたいにして、覚えただろうし。
矢沢 うん、したいわけじゃないんだけど、
そうせざるをえなかった。
糸井 なんか、飛びこんでる気がするな(笑)。

オレ、だって今でも憶えてるけど、
一緒に釣りに行った時に、
「糸、結んどいてあげるよ」っていうのは、
釣りの先輩としては、ラクなことなのよ。

「やっといてあげるよ」
そしたら、
「いや、ちょっと待って。
 おんなじように横に並べて、
 オレ、自分でやる」って。

はじめて釣りに来た日に、
あんなこと言うヤツはいないんだよ。

みんなは、ありがとうでおしまいなんだけど、
永ちゃんは、
「ン? ここに糸を通して?」
「オレ、やりたいからさー」って言って。

だから、やっぱり自分で、
作っていったんだろうなぁと思った。
運転もしたがるし、エレキ踏みたがるしさ。

こないだ、
永ちゃんが出てきた時のことを
文章に書いたんだけど……。

(以下、YAZAWA'S DOORに掲載された文章)

「何を言おうが変わることなんかない。
 そういう気分が時代をおおっていた。
 夢中になって夢を語るやつだとか、
 失敗の可能性があるのに
 前に進もうとする人間に対して、
 冷笑しているのが
 クレバーな若者の生き方だったと思う。

 傷つかない方法だけを、
 若者たちが憶えていって、
 さらにそれに習熟していく。
 そんな社会がかたちづくられていった背景には、
 60年代後半から70年代にかけての
 世界的な学生反乱と、
 その挫折があったのは確かだ。

 矢沢永吉が『キャロル』という名前の
 ある意味では古くさいロックンロールバンドで
 登場したとき、挫折感に浸っていた人たちには、
 『こいつら、あの負けの歴史を
  知らないんじゃないか?』
 という不思議な集団に見えていたはずだ。

 ロックが音楽であるだけでは足りず、
 思想と共にしか語られなくなったような
 ねじれ方と無関係に、
 名づけようもない何かを表現するために
 汗びっしょりになって叫んでいるバンドが
 奇妙なものに映ったのは、
 当然といえば当然のことだったろう。
 しかし、いまになって考えたら簡単なことだった。
 『キャロル』は学生なんかじゃなかったのだった。
 頭でっかちに、世界のすべては
 変わるかもしれないと考えていた学生たちが
 戦ったり敗れたりしている間、
 学生でない若者たちは
 目の前の仕事をしていたのだ。

 世界の平和でもなく、人類の悲しみでもなく、
 自分自身のよりよく生きたいという
 欲望を語ることが、
 こんなに爽快なことだと、誰も衝撃を受けた。
 しらけた社会とうまくつきあっているつもりの
 若者たちも、おとなも、
 自分には言えないけれど
 なんという気持ちいいセリフなんだと、
 苦笑しつつも心のなかで拍手した。

 しらけてないやつらが、同じ社会のなかに
 『いる!』ということを知っただけで、
 学生気分のまま挫折感と戯れていた人々の
 顔つきが変わったのだった」
糸井 みんなが疲れを感じていた時代に、
キャロルは、疲れてなかった。
学校に行ってなかったヤツは、
学生運動やってないんだから、元気なんですよ。
矢沢 ねぇ。
糸井 あの永ちゃんの登場は、
みんなビックリしたんだよね。
それも、運じゃないですか。
「ボク頑張ります」って
わざわざ無理に学校へなんか行ってたら、
キャロルはデビューしなかった。
矢沢 ぼくは思うけど、
何でもそうだけど、
がんばっただけじゃできないんだ。
糸井 そうだね。
矢沢 がんばっただけじゃ無理。

つくづく思うけどね、
歌手として歌がうまいのは、そんなの当たり前。
歌がうまいのは、まず、当たり前よ。

それで一生懸命、目立ちたい。
そんなもんも、当たり前よ。

だから、やっぱり、
何かの偶然が重なっていったんだと思う。
糸井 偶然を呼び込むでかいお皿とか、
呼吸する力みたいなものが、
運を呼びこんだのかもしれないね。
矢沢 矢沢永吉は、
オレが作ったんじゃないのよ。
自然の何かが、作っていったの。
糸井 偶然ってのは、おっきいよなぁ。
矢沢 ほんとだったら、どっかで、
おかしいことになってたんだろうけど、
矢沢は、消えずにいったんだね。
ジワジワジワジワ、行ったのよ。

(おわり)


第1回 「アメリカは、そんなんばっかりよ」
第2回 見切り発車から生まれた宝箱
第3回 矢沢ひとりじゃ、足りなかった
第4回 80歳以下の人間を信じるな?
第5回 会社にリーダーがいなくなった
第6回 「これから、もっと失敗するよ」
第7回 「80歳も、けっこうハジけてるよ」
第8回 完璧な絵は求められない
第9回 ライブハウスの匂い
第10回 重荷を抱えこむこと
第11回 自前じゃないとダメなんだ
第12回 よく消されなかったよね
第13回 矢沢は、ぜんぶ食わない
第14回 ヤセガマンのススメ
第15回 この話を聴いた後に見ると……
第16回 コンサートの後の時間

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2003-06-30-MON

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