「箱入りじいさん」の94年。 やなせたかし×糸井重里
 
 
その2 そんなつもりはなかったのに。
糸井 ぼくはやなせ先生を初めて強く意識したのは、
じつは『まんが入門』っていう本だったんです。
やなせ ああ、古い!
糸井 古いでしょう。あの本を読んで、
定規だとかケント紙だとか買いました、
そういうきっかけがあって、
漫画家になろうと思ったんです。
結局、ならなかったんですけどね。
あの本のやなせさんっていうのは、
今考えてみたら、外国の漫画とかを
ずい分紹介なされてましたよね。
やなせ あれは、ひじょうに不思議な本でね。
糸井 不思議な本でした。
やなせ 華書房っていうね。
糸井 ちっちゃい会社なんですよね。
やなせ ベストセラーを出していた会社にいた女の人が
独立して、華書房っていうのを作ったんですよ。
そうして、『まんが入門』という本を作りたいって
うちへ来たんですね。
私、まだ漫画を書き始めたばっかりでね、
ちょっと無理なんじゃないかなって言ったんだけど、
「いや、ぜひ描いてください」って言うんでね。
糸井 そうだったんですか。
やなせ ところがですね、
けっこうあれを読んでる人が多いんです。
糸井 ぼくもそのひとりです。
やなせ いまの漫画家にも読んでる人が多くて、
盲目のイラストレーターのエムナマエも
あれを読んでいたんです。
やっぱりそういうもんかな、
迂闊に本は書けないなと思いました。
あれがね、じつはぼくの
いちばん最初の本なんですよ。
糸井 そうですか。
やなせ あのあとにもああいう本は書いていない。
その編集者の女性も不思議な人でね、
占いをやるんですよ。
サンリオの本社にまで来てね、
私を副社長にしろって言うんです。
「運命がそうなってる!」って。
サンリオの辻さんは断ったんだけれども、
ひじょうに不思議な人でした。
その後どうなったか、ちょっとわかりませんけど。
糸井 あの本はもういまじゃなかなか
見つけられないでしょうね。
やなせ いまは、ないでしょう。
古本屋に行って探せば、残ってるかもしれない。
糸井 自分が中学生の時でした。
やなせ そうなの? そうかぁ。
ぼくは糸井重里さんが出て来た時ね、
いやぁ、すごいやつが出て来たなと思ってね。
糸井 ほんとですか?!
やなせ いや、ほんとうにね、
あの頃、絵本描いたり、いろいろしてましたよね。
糸井 はい、湯村輝彦さんとやってたんです。
やなせ 「こりゃかなわねえ」と思った。
あの頃の人には、俺は全部かなわないと思った。
糸井 そういうタイプなんですね。
「かなわない」と思うタイプなんですね。
やなせ ぼくは兵隊に行って帰ってきて、
1年間高知にいてから1947年に上京して、
三越の宣伝部に入ったんですね。
そのうち独立して仕事をしようとは思ってたんだけど、
その頃にいろんな連中と知り合ったわけ。
いずみたくにも、永六輔にも、
前田武彦とか青島幸男とか。
糸井 放送系のひとたちですね。
やなせ その時も同じ。
「全部かなわない、こりゃダメだ」と思ったねえ。
あなたのもそうですよ。
読んでね、感覚がもう違うんだよね。
こりゃかなわない、この連中と戦うことはできない。
どこか別のところへ行かなくちゃいけない。
あれやこれやと探してるうちに、
やっとこうして子どもの仕事へ落ち着いたんです。
けれども、ぼくは自分の決心として、
子どものものは絶対やるまいと思ってたのよ。
糸井 もともとは?
やなせ なぜかと言うとですね、
その頃の幼児絵本というのは、
「くまちゃん でてきて ころころ」とかですね、
「ぶらんこ ぶらぶら うれしいな」
みたいなやつなんですよ。こんなものは描けねえ。
糸井 それこそ子どもだましですよね。
やなせ だからこれは絶対やらないと思ってたら、
ほんと不思議なことに、
フレーベル館という本屋で仕事するようになっちゃってね。
これには長いお話があるんだけど、
結局はそこでアンパンマンを描くことになった。
最初は、フレーベル館の中でもすごい不評でね、
「やなせさん、もうあんなものは描かないでください。
 せっかくいい才能を持ってるのに、
 こういうくだらない本を描かれると困る」
って言われたんですよ。
ところが、幼稚園の3歳児が認めてしまったんですよ。
幼稚園に行くとね、子どもが騒ぐんだよね。
そうしてついに俺は幼児絵本に行くことになったんだ。
糸井 そのつもりはなかったのに。
やなせ いやぁ、不思議ですね。
絶対行くまいと思ってたところへ行ってしまった。
現在も幼児絵本で、子どもの仕事してるでしょう。
小学校3年生からね、感想が来るの。
「やなせさんの描くものは
 ちっちゃい子どもが読むものと思っていましたが、
 私程度の年齢の者が読んでも面白いです」
って。小学校3年生にナメられてるんだよ。
糸井 “ちっちゃい子ども”じゃないんだ、3年生は。
やなせ 情けねえ。あっはっは。

(つづきます)
2013-08-07-WED
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(C) HOBO NIKAN ITOI SHINBUN
 
ようやくお目にかかることができました。『アンパンマン』の生みの親である、やなせたかしさん、94歳の登場です!