クロネコヤマトの DNA   ヤマトホールディングス社長、 木川眞さんと興奮の2時間。  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  宅急便でおなじみの『ヤマトホールディングス』さんは、 震災後ずっと、具体的な支援活動を続けています。 たとえばそれは、「宅急便1個につき10円の寄付」。 こうした力強い活動を見ていた糸井重里が、 ヤマトホールディングス社長の 木川眞さんにお会いすることになりました。 じっくりお話をうかがうこと、約2時間。 語られていくエピソードに、 糸井をはじめ同行者全員が興奮し、感激します。 なぜそんなすごいことができるんですか? という問いかけに、 「うちの会社のDNAですよ」と答える木川社長。 同行者いちどう、しばらくのあいだ、 感激の余韻がぬけなかったインタビューです。 ぜひ、お読みください。
木川眞さんプロフィール

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2011年7月某日、
『ヤマトホールディングス』本社の
応接室をおとずれた糸井重里の目に、
1枚の写真が飛び込んできました。

(C)TheAsahi Shinbun Company.

被災地のなかを進む、一台のトラック。
荷台には「クール宅急便」の文字が見て取れます。

「すごいな‥‥すごい写真ですね‥‥
 このドライバーは一生この景色を忘れないだろうね」



同行者全員で、この写真をみつめることしばし。
そこへ木川社長がいらっしゃいました。
インタビューが、穏やかにはじまります。


木川 はじめまして、木川と申します。
きょうはわざわざお越しいただきまして。
糸井 こちらこそ、
たくさんお時間をとっていただきまして。
糸井と申します。
木川 よろしくお願いします。
どうぞ、お座りください。
糸井 ありがとうございます。
木川 クールビズなもので、すみません、
ネクタイを失礼させていただきました。
糸井 こちらなんかもう、こんな具合ですから(笑)。
木川 いやいや(笑)。
糸井 おじゃましてから、
さっそくその写真を見ていたんですが、
ほんとに‥‥すばらしい一枚ですね。
木川 すごい写真だと思います。
ヤマト
の方
このように、『朝日新聞』さんの紙面に。
糸井 ああ‥‥。
ちょっとやっぱり、感動しますね。
木川 それは、3月24日の新聞なんです。
糸井 24日ということは‥‥震災から13日後。
木川 そうですね。
ぼくらが組織立てて支援活動をはじめたのが
3月23日なので、それと同じころです。
糸井 組織立てて。
木川 「救援物資輸送協力隊」といいまして、
トラック200台、人員500人で支援体制を組み、
食料や生活用品などの
救援物資を運ぶチームを設置しました。
糸井 はい、そのことは報道で知りました。
「救援物資輸送協力隊」。
木川 この写真は、
そのチームができてから撮影されたものなんです。
糸井 なるほど。
木川 それで、じつはですね‥‥
この写真が撮られる前、
震災発生の数日後、地元ではもう、
自発的に、
わが社の社員が役場に直談判しに行って、
救援物資の配送をはじめていた。
「何でもやる、やらせてくれ」と。
糸井 自発的に。
木川 自発的に、です。
糸井 その社員のかたも、被災者なわけですよね。
木川 もちろんです。
糸井 ‥‥すごい話ですね。
木川 しかもそれは、
同時に数カ所で起きていました。
相談しようにも
情報網さえ寸断されている中で
自発的に、救援物資を運びだした
ヤマトの社員が何人かいた。
糸井 『ヤマト運輸』の社員は、
なぜそんなすごいことができるんですか?
木川 やっぱり、それはですね‥‥
いや、ちょっと自慢になってしまうのですが‥‥
糸井 してください自慢を(笑)。
きょうはそれを聞きにきました。
なぜ、そんなすごいことができるんですか?
木川 それは、うちの会社のDNAですよ。
糸井 DNA。
木川 しみついているんです、社員のからだに。
(つづきます)


2011-08-17-WED

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