『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

<ほぼ日読者のみなさまへ>
きょうは、印象に残った
ひとつの曲の話です。


2千年の希望

深夜に何気なくサッカーを観ていたときのことだ。
イタリアのシチリア島で行われた
フランスとイスラエルの試合、
ユーロ2004の予選だった。
イラク戦争の最中ということもあり、
観客5千人に対して警察官千人が
警備するものものしさだった。

ナショナルチーム同士の対戦では
キックオフの前に国歌斉唱が行われる。
この日は大柄の女性歌手がスタジアムに登場し、
おもむろにある歌を歌い始めた。
ある歌と書いたのは、僕がそれを
イスラエル国歌とわからなかったからだ。
もしかしたらどこかで聞いたことがあるかもしれない。
だが意識して聴いたのはおそらく初めてだった。

不思議な気持ちに襲われた。
悲しげで哀愁漂う調べだった。
歌詞は理解できない。
だがこんな国歌は聴いたことがなかった。
国歌といえばたいていは国威発揚の匂いが漂うものだが、
それどころか厳かな嘆きのような旋律は、
まるで喪に服しているような気分にさせられる。

そのあと演奏された有名なフランス国歌
「ラ・マルセイエーズ」の威勢のよさに、
イスラエル国歌の持つ独自性がより際だつことになった。
試合は2対1でフランスが勝ったが、プレーよりも
イスラエル国歌の強い印象ばかりが耳に残っていた。

 我が希望の光や
 あまねく心照らさぬ
 ユダヤ人が望みや
 いざ東に向かわせぬ

 二千年が望みや
 我が望みは尽きぬ
 シオンとエルサレムや
 かの地を夢見ぬ
 シオンとエルサレムや
 かの地を夢見ぬ

これがイスラエル国歌の歌詞だ。
タイトルは『ハティクバ』、
ヘブライ語で『希望』という意味。
ハティクバは19世紀後半、
ユダヤ人独立国家を目指すシオニズム運動の中で生まれた。
1948年5月14日のイスラエル独立宣言で斉唱され、
その後国歌として歌われる。
まさにユダヤ人がエルサレムに戻る希望を歌った曲なのだ。
希望というにはメロディーがあまりに哀愁を帯びている。
それは2千年におよぶ離散と流浪の歴史、
民族の悲しみがおのずとそうさせているのかもしれない。

一方でこの日イスラエルチームが対戦した
フランスの国歌はこうだ。

 行け 祖国の国民
 時こそ至れり
 正義の我らに旗は翻る
 聞かずや 野に山に
 敵の叫ぶを 悪魔のごとく
 敵は地に飢えたり
 立て国民 いざ矛をとれ
 進め 進め
 敵の血が田畑を染めるまで

レジスタンスの歌からきたとはいえ
『血』という言葉が出てくる国歌もあまりないだろう。
子供が歌うのにふさわしくないのではないか、
歌詞を変えるべきだという論争が
フランス国内でも一時、起きたほどだ。
メドレーも歌詞もあまりに対照的なふたつの国歌が、
シチリア島の地で演奏されたことになる。
サッカーの試合の前に歌うという意味では、
フランスの国歌の方が選手たちの戦闘意欲を
かき立てるのにふさわしいかもしれない。

考えてみると、子供のころから所属する団体には
歌があった。
学校には必ず校歌があった。
たいていは子供にとって面白くもなんともない歌なのだが、
行事のたびに何かと歌った。
というよりは歌わされた。
小学校、中学校の校歌には、
山や川といった地元の自然が盛り込まれ、
明るく清くといった類の言葉が並んでいた。
そして愛校心を高めたいのか、
お約束事のように学校の名前を連呼して終わる。

高校になると少し趣の違う歌詞と遭遇した。
一番の歌詞は次のようなものだった。

 西のみそらに輝ける
 星の徽章(しるし)よ永久に
 光栄(はえ)ある成績(いさお)飾らんと
 海の内外陸の涯
 皇国(みくに)の為に世の為に
 尽くす館友幾多(いくそばく)

この校歌におよんでは
愛校心どころか愛国心の香りもする。
「皇国のために世のために」というフレーズなど
時代錯誤だと思われるかもしれないが、
無理もない部分もある。
黒田藩の藩校から始まった古い学校で、
校歌(われわれは館歌と呼んでいた)は
大正12年に出来たものだ。
当時の日本を考えると不思議でも何でもない歌詞だろう。
第2次大戦後アメリカ側から
歌詞を変えるよう働き掛けがあったが、
OBたちが抵抗して
そのまま残したという話を聞いたことがある。

わが高校は代々、運動会が盛大だ。
準備に3ヶ月以上かけ、その間毎日練習にあけくれる。
受験勉強に迫られているはずの3年生が中心になるため、
親は気が気ではない
(当然というか、多くの3年生が浪人する)。
それだけ精力を傾ける結果、
生徒の多くは運動会で涙を流す。
運動会のしめくくりで校歌を歌う際にも、
泣きながら歌う姿があちこちで見られることになる。
もし外国人記者が取材に来たとしたら、
日本の高校生が「皇国のために世のために」と
号泣しながら歌う姿は、
ちょっと恐いモノがあるかもしれない。

ただ自分が高校生のころ、
「皇国(みくに)のために」と歌うとき、
「みくに」を「皇国」という意識で
口にしていたわけではない。
校歌の歌詞だからそのまま歌っていた、
というのが正直なところだ。
教育的意味があったとすると、歌詞の中身よりも、
ひとつの歌を皆で歌ったことなのかもしれない。

大学時代は「都の西北」で始まる校歌を
コンパや早慶戦などで歌った覚えはあるが、
場違いな気恥ずかしさが最後まで拭い去れなかった。

就職すると、幸運にも歌はなかった。

じゃあ、『君が代』を歌ったことがあるだろうか、
とふと思う。
卒業式などで歌ったかもしれない、
と記憶をたどっても思い出せない。
それは国歌・国旗をめぐる戦後の論争を
ある意味反映しているのだろう。
少なくとも日の丸、君が代を大事にしましょうといった
教育を受けた記憶はない。
それどころか『君が代』を歌うのに
少なからぬ抵抗を感じるのが正直なところだ。

 立ち上がれ
 奴隷に甘んじない人々よ
 われわれの血肉で新しい長城を
 築きあげよう

中国の国歌はこう始まる。
義勇軍行進曲というタイトルで、
最後は次のような言葉でしめくくられる。

 敵の砲火に向かって
 進め、進め、進め

「敵の砲火」の敵とは日本のことだ。
中国の国歌はもともと、1935年に公開された
「風雲児女」という映画の主題歌だったという。
主人公たちが日本の侵略から民族を守るため
ゲリラとして戦うという内容で、
1949年に国歌となった。

サッカー、中国と日本の試合を想像してみる。
選手たちがずらりと並び、
中国選手は「敵(日本)の砲火に向かって進め進め」
と歌い、
日本側はいわば「天皇の世よ永遠に」と奏でることになる。
よくよく考えてみれば、
ちょっと恐ろしい光景ではないだろうか。

おとなり韓国の国歌も、
日本からの独立をめざす民族主義の運動と
深いつながりがある。
もっとも戦後半世紀以上がすぎ、
歌詞のもつ意味も変貌しつつある。
中国国歌の「敵の放火」も、
日本というよりは
「社会主義を脅かす広い意味での敵」に
意味が変わりつつあるという。

当然のことだが、
国歌はそれぞれの国の歴史を反映している。
自分は子供のころから何を歌い、何を歌わなかったのか。
あまりに個性的なイスラエルの国歌に出逢って、
何気なく過ごしていた校歌や国歌というものに
思いを馳せることになった。
2千年の希望。
イスラエルの国歌は雄弁に彼ら自身を物語っている。


*注 歌詞は様々な訳し方があり、
   もっといい訳があるかもしれません。

2003-04-29-TUE

TANUKI
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