『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

<ほぼ日読者のみなさまへ>
きょうはみなさんのメールが
主役です。


『99日目の夜』その後

以前『99日目の夜』というコラムを書いたら、
皆さんからのメールをたくさん頂いた。
「別の解釈があったら教えて欲しい」と
呼びかけたためでもあるが、
『99日目の夜』に立ち去る兵士の行動をどう考えるか、
その解釈の多様性に改めて驚かされることになった。

きょうは頂いたメールの幾つかを紹介したいと思う。
初めて読む人のために兵士の話を
もう一度簡単に紹介しておこう。
僕の好きな映画のひとつ、
『ニューシネマパラダイス』の中に出てくるエピソードだ。

主人公のトトが青年になってひとりの女性に恋をする。
思いつめるトトに、仲良しの映画技師アルフレードが
ひとつの物語を話して聞かせる。

「昔、ある王様がパーティーを開き、
 国中の美しい女性が集まった。
 護衛の兵士が王女の通るのを見て、
 あまりの美しさに恋に落ちた。
 だが王女と兵士では身分が違いすぎる。
 でも護衛は王女に話しかけた。
 王女なしでは生きていけないと言った。

 王女は兵士の深い思いに驚いて告げた。
 『100日間の間、昼も夜も
  私のバルコニーの下で待っていてくれたら
  あなたのものになります』と。
 兵士はバルコニーの下に飛んでいった。
 2日、10日、20日がたった。
 毎晩王女は窓から見たが兵士は動かない。
 雨の日も風の日も、雪が降っても、鳥が糞をしても
 蜂が刺しても兵士は動かなかった。

 90日が過ぎた頃には、
 兵士は干からびて真っ白になってた。
 眼からは涙が滴り落ちた。
 涙を押さえる力もなかった。
 眠る気力すらなかった。
 王女はずっと見守っていた。
 99日目の夜、兵士は立ちあがった。
 椅子を持っていってしまった」

アルフレードがここまで話したのを聞いて、
トトが意外な顔をして訊ねる。
「最後の日に?」
「最後の日にだ」と言ってアルフレードが締めくくる。
「話の意味はわからない。わかったら教えてくれ」

なぜ兵士はあと一日で100日を迎える
まさに『最後の日』に
バルコニーの下から立ち去ったのだろうか。

<読者メール(1)>

最後の日に去った兵士は
自分の願いが叶ってしまうことが恐かったんじゃないか、
とふと思いました。
ものすごく強く何かを望むような場合って
うまくいって欲しいという思いと同時に
うまくいったらどうしようという思いも
持ってたりしませんか。
大阪市 35歳 みわわ(女性)

<読者メール(2)>
兵士は「待つこと」自体が
目的になってしまっていたのではないか。
王女は自分のもとに来てくれるかもしれない。
でもその先にあるものは?
約束の100日を明日に控えた彼は
そのことに気づいたのではないか。
僕は、王女を100日間待つことに費やした気持ちと
同じだけの気持ちで愛し続けることはできないだろう、と。
だから、立ち去った。
山田由紀 30代

<読者メール(3)>
兵士にとって<恋愛の究極は片思い>だったため。
100日目に女王に心から受け入れられてしまったら、
めでたしで終わってしまう。
その後は、淡々とした日常にとらわれてしまう。
それを避けたかったから。
たら (32歳独身女性)

<読者メール(4)>
兵士はどんなにつらくても
王女への想いが変わらないことを
確認できたのだと思います。
そして立ち去ることでメッセージを残した。
「私はあなたのことを愛してます。
 王女、あなたはどうですか。
 今度は私が問いかける番です。
 あなたは、私のことを愛することができますか。
 私の存在が目の前から消えても
 あなたは私のことを思い続けますか」
28歳女性

<読者メール(5)>

試し試される関係で
人と人は親しくなれるのかということを
最後の日に決断を迫られたような気がします。
言い換えれば「恐怖」なのかもしれない。
結ばれたとしても「また試されるのではないか」
「それでもいいのか」
その答えが99日目の逃亡なのでは。
  30代男性

<読者メール(6)>
松原さんの回りの方の解釈を読んで
それらすべてがあてはまるんではないかな、と
思いました。
99日間、兵士の心の中にそれらは生まれ
過ぎていった考えじゃないかと。
それでは、なぜ99日目の夜に
兵士が立ち去ったのかと言ったら
それはきっと兵士にも説明がつかないと思うのです。
疲れ果てて立ち上がったとしても、
明確な自覚の元に立ち上がったとしても
けど、やっぱり99日目なんだと思います。
イシモダ(女性)

<読者メール(6)>
こんな残酷な方法で愛を確かめようとする王女に対して
徐々に醒めていったのではないか。
そして100日たってしまったら、、
その後は王女を憎まなくてはならなくなる。
王女を憎み、ののしりそうになる前に
兵士は去ったのだと思います。
  シェル

<読者メール(7)>
兵士は自分の『傲慢さ』に
気づいたのではないでしょうか。
人を思う気持ちは時には自己中心的になります。
王女の気持ちを推し量るよりも
自分の気持ちを優先させていたことに
やっと気づいたのではないでしょうか。
兵士は『99日目に』自分の『傲慢さ』に気づいて
本当に王女を愛することができたから
立ち去ったのだと思います。
バルコニーの下に立つことは、
一種の脅迫にも似てますから。
  加藤かえで

<読者メール(8)>

99日目の夜、兵士の中で
『互いの存在が対等』になった瞬間が
あったのではないでしょうか。
100日まで居ることもできるけれども
帰ることを選ぶのも可能という99日目は
兵士の側に選択の余地が生まれました。
さらに100日目には、
逆に王女に約束を果たすように要求できる、
つまり王女の優位に立つ自分が居る。
そう考えた瞬間に、
兵士は王女をただの一人の女性として見るようになった。
対等になって初めて感じたれたことは
いっぱいあるはずです。
で、今までの仕打ちを考えたら
「こんなの愛じゃない」とわかった。
まるで片思いが煮詰まった瞬間です。
Roo 20代大学院生

<読者メール(9)>
彼は立ち去ることで
永遠を手に入れたのではないでしょうか。
100日たってしまうと
彼女への思いが終わってしまう。
99日で立ち去ることで
彼はずっと彼女を愛し続けることができる。
  
紹介したのはほんの一部だ。
他にも様々な内容のメールを頂いた。
これほど解釈が異なるのは
1)人はみな思考が異なるため
2)テーマが恋愛であるため、より多様性が出る
3)このエピソードが多様な解釈を引き出す何かを持っている。
といったところだろうか。よくわからない。
言うまでもないが解釈の正解はない。

日本の小野小町と深草少将のエピソードと
結びつけて考えてくれたメールも頂いた。
確かに設定は実によく似ている。
日本版はこんな具合だ。
「平安時代、絶世の美女だった小野小町に
 ひときわ熱心に恋文を送った深草少将。
 小野小町はこう返事を出す。
 『これほどまでにわたくしのことを思ってくださるのなら、
  今日から百夜、わたくしの家に通って来てください。
  そうすれば、わたしはあなたのものになりましょう』
 雨の日も風の日も少将は休むことなく通い続ける。
 小町はだんだんその熱心さに心をひかれ、
 早く100日目がこないものかと
 待ちこがれるようになっていく。
 そして100日目の夜。
 ところがひどい吹雪になってしまい、
 少将はあまりの寒さに、
 小町の家を目の前にして息絶えてしまう」

これは実際にあった話というよりは伝説や民話の類のようだ。
それにしても確かによく似ている。
1)ニューシネマパラダイスの作者が小野小町の話を参考にした
2)偶然
3)もともと世界のどこかにこうした設定の話があって、
  両方ともそれをヒントにした
4)設定に恋愛の本質的何から含まれているため、
  偶然というより、必然で似た話が出来てしまう。

かつて恋愛や結婚で女性が受け身だった時代には、
男性が自分を本当に思ってくれるか、
大事にしてくれるか、を見極めるのは
女性にとって人生をかけた勝負所だったに違いない。
しかも女性が自由に外に出歩ける時代でもない。
とすると、男性を試すには
1)自分のところに通ってくること、
2)その日数は10日では少ない。20日でも少ない。
  きりのいいところで100日になった
そう考えると、時代も国も違えども
似た話が生まれるのもわからないではないように思える。

ただふたつの話、結論は大きく異なっている。
1)次第に小野小町も100日目を待つようになるが、
兵士のエピソードでは王女の態度は不明
2)深草少将は100日目に死んでしまうが、
兵士は99日目に自らの意志で立ち去る。
のふたつだろう。
この違いはふたつの話を
似て非なるものにしているように思える。

深町少将は今夜こそと、
おそらく勇んで100日目も通ったのだろう。
一方、兵士は『自らの意志』で『99日目』の夜に立ち去る。
これが、このエピソードを単なる悲恋ものにせず
多様な解釈の余地を与えているのだろう。

もうひとつメールを紹介しておく。
<読者メール(10)>
このエピソードは
アルフレッドがトトに考える機会を与えたに過ぎず
結局答えはないのだと思います。
恋愛とは、愛するということは、と
トトに考えるきっかけを与えたのだと思います。
ですが、あえて答えを求めるとすれば
「兵士は王女への愛にさめてしまった。それで退場した」
という単純なものだと思います。
人間は、他人の行動によく解釈をつけたがりますが、
真実は案外単純なものだと思います。
ビデオリサーチ 高田

このメールは
兵士のエピソードが
映画の文脈の中でどんな『役割』を果たしているか
という視点で解釈しようとしてくれている。
兵士の行動そのものの意味を考えるのと
映画の中での役割を考えるのとでは
おのずと違ってくるだろう。

私の知り合いはこう言った。
「ニューシネマパラダイスのテーマは
 『届かぬ思い』。
 求めても求めても、手を伸ばしても届かない。
 愛する映画への、届かぬ思い。
 愛する女性への、届かぬ思い。
 全編にわたってこのテーマが貫かれているから
 トトの愛も最後には成就しない。
 だから兵士のエピソードも
 愛が成就しない結末にならざるをえないと思う。
 100日直前に兵士が去るということは
 王女にとっても『届かぬ思い』に
 なってるんじゃないかな」

確かに、登場人物の届かぬ思いを共有するからこそ
多くの人が『ニューシネマパラダイス』を観るたび、
切なさに涙してしまうのかもしれない。
最後に紹介したメールを送ってくださった
高田さんの言うとおりなのかもしれない。
エピソードは、単にアルフレッドがトトに
愛について考える機会を与えただけの話で、
解釈があるとすると、
兵士は単にさめたから退場したと。

だが、あと1日なのに『99日目』に立ち去るという
意表をついた結末が、
人の心をかき回す何かを持っているのは
間違いないだろう。
そしてそれぞれの解釈に、どこかその人の一面が
潜んでいるように思えるのも興味深い。

メールをたくさんありがとうございました。
さらに意見があったら教えてください。

PS 紹介したメールは、全文掲載したものもあれば
   要約した形にして載せたものもあります。
   お許しください。






『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円


「言い残したことがあるような気がして
 口を開こうとした瞬間、
 エレベーターがゆっくりと閉まった」

「勝ち続けている時は、自分の隣を
 神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
 ・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」


余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)

2002-11-05-TUE

TANUKI
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