『ぼくは見ておこう』
松原耕二の、
ライフ・ライブラリー。

<ほぼ日読者の皆様へ>
ほぼにちは。
先週はあいさつだけになってしまいました。
きょうは、靖国問題などで
テレビでご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
その人の話です。


A級戦犯の孫に生まれて

小泉総理が靖国神社に参拝した日、
特別番組を組んで靖国から中継で放送した。
メディア各社のカメラがズラリと並び、
キャスターやリポーターがマイクを握る。
周りには参拝客や野次馬などがとり囲んで
その様子を見ていた。

夕方6時を回ったころだった。
そのなかのひとりが声を上げた。
「反国家的放送局はここから出て行け」
次第にその輪は広がり、あちこちから
「そうだ、そうだ」という声が挙がる。
そのうち「出て行け」の大合唱となった。
スピーカーを使って叫ぶ人もいた。
様々な立場の人がこの日、集まっていたということだ。

私は耳にあてたイヤホンを手で押さえる。
マイクに向かって話す声も知らぬ間に大きくなっていく。
もしかしたらこのまま放送を中断させられるかもしれない。
中継に出て本気でそう思ったのは初めてだった。
それほどこの日の靖国神社は騒然としていた。

小泉総理の前倒し参拝を
ひとりの女性が複雑な気持ちで見つめていた。
東條由布子(ゆうこ)だ。62歳になる彼女は、
総理が参拝すると聞いて体の力が抜けたという。
「小泉さんは15日の終戦記念日に参拝すると
 明言していたのに、どうしてそれを翻すのでしょう」

彼女は、開戦時の総理でA級戦犯として
死刑となった東條英機の孫だ。
私は彼女と靖国神社を一緒に歩いて話を聞いた。
暑い日差しが肌を突き刺し、蝉の鳴き声が降り注ぐ。
太陽の光に緑が鮮やかにそよぎ、
石畳を歩く参拝客の足音が静かに響く。
ここが東京の真ん中であることを忘れてしまう。

東條英機の孫として生まれるとはどういうことなのか。
もちろん望んで生まれたわけではない。
だが彼女の人生には
東條英機の孫という視線が常につきまとう。
戦争が終わり家族は静岡県の伊東に逃れた。
兄が石を投げられて
「お前のおじいさんは泥棒よりも悪いことをしたんだ」
と子供たちからなじられる。彼女が6歳の時だった。
東條英機の長男だった父は職を追われ、
一家は住居を転々とする。そんな子供時代を送った。

だが東條家の人々が苦境を語ることはなかった。
戦争で亡くなった人々とその家族の悲しみ、
そして戦争指導者だった祖父の責任を考えると
言えなかったという。
時代は流れ彼女は語るときが来たと思った。
92年には本を出版し東條家の戦後を語った。
しかし親族の反応は冷ややかだった。
彼女は言う。
私は東條家を代表して語っているのではありません。
個人として話すのです。

小泉総理の靖国騒動で、再び彼女は
メディアの注目を集めることになった。
私が会った日も何社かの取材を受ける予定が入っていた。
「手を清めてよろしいですか」
彼女はそう言って大手水舎で手と口を清めた。
鳥居をくぐり拝殿に向かう。
彼女はバッグを賽銭箱のそばに置いて正面に立つ。
賽銭を投げて手を合わせた。

「何を思って手を合わせていたんですか」
階段を降りてきた彼女に私は訊ねた。
「ここに来て思うことはいつも同じです。
 戦死した人たちに申し訳ない気持ちで一杯です」
「それは東條家の人間としてですか」
「いいえ、ひとりの人間としてです。
 ここで祖父の顔が浮かんだことはありません」
彼女と雑司ヶ谷にある東條英機の墓も訪れた。
祖父の顔が浮かび語りかけるのは、墓だと彼女は言う。
靖国神社ではないのだ。

靖国神社の敷地内にある池のそばのベンチに座った。
彼女は穏やかな表情で池の鯉を眺めた。
「なぜ私は東條家に生まれたのだろうと
 思ったことはないですか」私は訊ねた。
彼女は答えた。
「いいえ、それはありません。
 それは宿命だと思っています」

彼女はNPO(非営利団体)を組織し、
南太平洋のパラオなどで日本兵の遺骨収集を行っている。
「東條家に生まれなければ遺骨収集をしていなかった?」
私は訊ねた。
「そうかもしれません。
 でも兵士の骨が帰らない戦後などありません」
彼女は宙を見上げるようにして言った。
こんな思いもある。
祖父も生きていたら遺骨収集をしたのではないか。
これも宿命かもしれないと彼女は笑った。

靖国神社騒動について訊ねてみることにした。
「小泉さんが靖国神社を8月15日に参拝すると
 言ったことに対して、
 近隣諸国から反発が起きています。
 その理由のひとつはA級戦犯が合祀されていることですが、
 東條英機の孫としてどう思われますか」
彼女はしばらく考えてから言った。
「祖父さえ合祀されていなければ、と思うことはあります。
 祖父が合祀されていることで
 こんなに騒ぎが大きくなってしまって。
 他の遺族の方々にも申し訳ない気持ちで一杯です」

合祀は1978年にひっそりと行われた。
しばらくは親族へもその事実は伏せられた。
その後靖国騒動が起きるたび、
彼女は複雑な思いに駆られることになった。
小泉総理が参拝した翌日にも、
靖国神社に彼女の姿があった。
終戦記念日の前日だけあって、
午前中から一般の参拝客でにぎわいを見せていた。
彼女が東條英機の孫だと気付く人はいない。
いつものように彼女は
わざわざバッグを横に置いてから静かに手を合わせた。  
「これからも毎年こうした議論が続くことが
 申し訳なくて。特に今年はそう思います」

この問題に対してはじつに様々な立場がある。
東條の思いもそのひとつだ。
彼女は拝殿に方向に深々とお辞儀をして
ゆっくりと靖国神社をあとにした。 






『勝者もなく、敗者もなく』
著者:松原耕二
幻冬舎 2000年9月出版
本体価格:1500円


「言い残したことがあるような気がして
 口を開こうとした瞬間、
 エレベーターがゆっくりと閉まった」

「勝ち続けている時は、自分の隣を
 神様が一緒に歩いてくれてる、と感じるんです。
 ・・・たいていそういう頂点で負け始めるんです」


余韻を大切にした、9つの人間ノンフィクションですっ。
(ほぼ日編集部より)

2001-08-21-TUE

TANUKI
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