師、忘れ得ぬ写真家。  写真家・上田義彦さんが語る 「有田泰而」と「First Born」のこと




── そもそも、なぜ上田さんは
有田さんの『First Born』をプリントし直し、
写真集をつくろうと思ったんですか?
上田 有田さんが、昨年、亡くなったんですが‥‥。
── ええ。
上田 僕の写真展に来てくださった
文筆家の清野恵里子さんと話すうちに
偶然、
奥様の雅子さんの話題になりました。

有田さんが亡くなられたと聞いたときから
雅子さんと連絡を取りたいと思っていたんですが
確かそのとき、僕の森の写真を見ながら
急に、アメリカの森に住んでいた
有田さんの話になり
そして「First Born」に話がおよんだんです。
── なるほど。
上田 そこで、僕が「First Born」について
思っていることを
清野さんに、お話ししました。

そうしたら、
すでに、写真集の出版や写真展のことが
進んでいることがわかって‥‥。
── じゃあ、はじめは
上田さんとは、関係のない計画だった。
上田 そうなんです。

その後、雅子さんと
直接、メールのやり取りをするようになり、
「世界でいちばん『First Born』を
 愛しているのは僕です。
 だから、
 僕にできることがあれば何でもします」
とお伝えしました。
── なるほど。
上田 そして、雅子さんも写真集や写真展を実現したいと
強く思っていることがわかりました。

ご自身で、写真美術館などに
問い合わせていたらしいのですが、
スケジュールの問題などで難しく、
有田さんの親友の写真家・沢渡朔(はじめ)さんが
力を貸してくださることになっていたようです。
── へぇー‥‥。
上田 でも、大切な「First Born」ですから、
世に出ることをうれしく思う反面、
「どんなかたちになるのだろう?」ということは、
大いに気になるところでした。
── ええ、ええ。
上田 これは「よけいなお世話だ」と言われても
しかたないんですけど
僕は、あの写真が再び世に出る以上、
もっともいいかたちで、出てほしかった。
── そこまでの思い入れが。
上田 だって僕は、「First Born」という作品を
世界でいちばん好きであるという、
そういう‥‥。
── 自信があった?
上田 そう、ものすごい自信が、あったから。

最善を尽くすためであれば
「誰とけんかをしてでも、僕がやりたい。
 僕がやらなければ正確に世の中に伝わらない」
と、思っていました。
── はー‥‥。
上田 その後、しばらくして
雅子さんから突然メールをいただいたんです。

「上田さんに『First Born』のすべてを
 任せたい」
といったような内容でした。
── はい、そのメールの文面を
清野さんと雅子さんの往復書簡を書籍化した
『カメオのピアスと桜えび』で
読みました。
上田 まあ、雅子さんも
元の助手がそこまで思ってるのなら‥‥と
思ってくださったのかもしれない。

ありがたいことに、沢渡さんの側も
「もともと
 有田のところにいた人のほうが適任だね」
とおっしゃってくださって。
── そのような経緯を経て
「First Born」は、上田さんに託された。
上田 はい。
── 何十年かぶりに、
学生時代に夢中になった「First Born」と
再会されたわけですが‥‥。
上田 まあ、有田さんの助手をやっていたときも
師匠の目を盗んでは
ちょくちょく棚から引っ張りだして
眺めてたんですけどね。
── あ、そうでしたか。
上田 僕の記憶では、「First Born」の写真は
当時、
とても立派な革の箱に収められていたんですが
有田さんがいないとき、
その箱のフタを開けては、ずっと見てたんです。
── 本当に、お好きだったんですね‥‥。
上田 極上の時間ですね。助手として(笑)。
── では、そんな思い出の写真を
上田さんが「プリントし直す」というのは
どういう作業だったんでしょう?
上田 どういう?
── つまり、オリジナルに忠実になさったのか、
あるいは、そこには
上田さんによる「解釈」が入ったのか‥‥。
上田 有田さんのオリジナル・プリントが
きちんと残っていれば、
それを見せるのが
当然、いちばん「いいこと」なんです。
── ええ。
上田 でも、おそらく‥‥なんですが
晩年、広大な森の一角を手に入れて
ご自分たちの手で
家を建てられるまでの一時期過ごした、
テント生活の「湿気」が
写真にとっては「致命的」だった。

つまり、僕が引き取ったときには
カビだらけの状態の写真もあって。
── 修復できないくらいに。
上田 無理でした。

で、すべてを整理した結果、
もういちど焼き直さなければならないと
思いました。
── なるほど。
上田 そのときは‥‥うーん、そうですね、
「他の写真家の作品を焼く」ということって
どういうことなんだろうと
けっこう、考えるのもしんどかったです。

僕が「こうだ」と思って焼いても
世の中が、どう受け止めるのかわからないし。
── それも、単なる他人じゃなく
「師匠の写真」なわけですものね。
上田 だから、軽い気持ちで「焼き直そう」とは
思えなかったんですが、
それでもやはり
「僕が、やらなければならない」と思った。

そう決心してからは、
一気に、すごいスピードで焼き直しました。
── それでも、
2ヶ月くらいかかったと聞きました。
上田 ええ。ネガを探して、見当たらなければ
雅子さんにメールして
「こういう画像があるはずだから」って。
── 記憶の中の「First Born」を呼び起こして。
上田 そのたびに、雅子さんは探してくださった。
── 出てくるたびに、送ってくださって?
上田 そう、そうなんです。

まあ、前置きが長くなりましたが、
先ほどの
「他人の作品をプリントし直すこととは?」
という質問に戻りますと、
技術的に言えば、僕は有田さんのところで
「紙焼き」を習ったんです。
── ええ。
上田 「ピンセットで印画紙をつまんで
 揺らすんじゃなく、
 現像液のほうを動かすんだ」とか、
暗室の中でめちゃくちゃ感動したんですが‥‥
ようするに
僕は、有田さんにゼロから学んでるんです。
── なるほど。
上田 だから、ほとんどいっしょなんですよ。
── 写真の仕上げかたが。
上田 一瞬、自分のネガを焼いてるんじゃないかと
錯覚するくらい。
まったく、違和感がありませんでした。

粒子の調子とか‥‥ルーペで見てもね。
── そうだったんですか。
上田 まあ、自分の師匠ですし
なにしろ、ゼロから教わったわけですから。
── でも、「写真の粒子の調子」とか
そこまでミクロな部分に
「師匠」の痕跡を感じることができるって‥‥
「師弟関係」とは
何というか、そういうものなんですね。
上田 ただ‥‥。
── はい。
上田 有田さんは「First Born」を撮った当時、
まだ「30代」だったんです。
── ええ。
上田 つまり「やっぱり、まだ30代」でした。
── ‥‥と、言いますと?
上田 僕はもう、その年齢をとっくに越えて
50歳を過ぎています。

それなりに、経験を積んできましたし、
写真の研究も重ねてきました。
── ええ、ええ。
上田 現像液や引き伸ばし機なども、進化してます。
── はい。
上田 つまり、総合的に、いろんな意味で、
僕のプリントのほうが
有田さんの残したオリジナル・プリントより、
クオリティが高いと思う。
── ‥‥なるほど。
上田 なおかつ僕は、「First Born」に対して
「客観的な見かたのできる立場」にいます。
── つまり、「人の写真」だから?
上田 そうです。

「ここは、ネガに
 もっと調子を出す能力がある」と思ったら、
どんどん出していきました。

だから、有田さんのプリントより
本来、ネガの持っていた情報が出ているはず。
── そうなんですか。
上田 もちろん、そうせずに
あえて「オリジナル・プリントの状態」に
仕上げることもできました。

でも、それだと「もったいない」んです。

あくまで「有田さんの写真」から逸脱せずに
僕自身が
「より、感じられる」写真に仕上げることを
心がけて、プリントしました。
── それは、こういう言い方が適当かどうか
わからないのですが
師匠と弟子の、
40年の時を超えた「コラボレーション」、
というようなもの‥‥なのでしょうか。
上田 結局、写真を見てくださる人たちは、
そっちのほうが「信用できる」と思うんです。
── 上田さんが、納得してやっているほうが。
上田 そう。

2012年という時代に
有田さんを「忠実に再現」したとしても
たぶんそれは
「1970年代の有田さん以下」ですから。
── 写真にする技術は同じなんだけれども
クオリティをオリジナル以上に高めた‥‥と。
上田 プリントしている僕が
「ああ、なんて素晴らしい写真だろう!」と
感動することが重要なんです。

そうでない写真に仕上げてしまったら
見てくれる人に、バレてしまうと思います。
── なるほど。
上田 そんなところに収めるんだったら
カビが生えていようが、ボロボロだろうが
なんだろうが、
有田さんの印画紙を見せたほうが、よほどいい。
── 今の上田さんの力を100%発揮しないで
40年前の、
30代の写真家に合わせるのというのは‥‥。
上田 傲慢ですよね。それは、逆に。


(c)Taiji Arita
<続きます>
2012-11-23-FRI