大瀧詠一さんと、トリロー先生の話を。-三木鶏郎を知ってるかい? PART2-
第3回 暗い歌はなんとかしてくれ。 メジャーコードで明るく歌おう!

── 竹松さん、ほかにはどういうものを
鶏郎先生はつくっていらしたんですか。
竹松 この「クラリネットクインテット」と、
あと何曲か組曲を書いていたんですけど、
亡くなるまではクラシックを中心に
打ち込みをしていましたね。
サンフランシスコに行ったときの思い出の‥‥
細野 これ‥‥良いタイトル。
竹松 「桑港(サンフランシスコ)組曲」ですね。
慶一 これが、「彩帆(サイパン)組曲」。
細野 すごい! クラシックだなぁ。
竹松 これは、楽譜のみで、
音にしてなかったですね。
慶一 やらなきゃね。
細野 僕がやりたいな。借りていこうかな、これ。



竹松 そうですか。
じゃ、データは今度お送りしますね。
細野 データがなくても
譜面があれば何とかなるから。
自由に解釈しちゃう。
竹松 是非、お願いしたいです!
細野 ほんとに! いいの?
竹松 はい。お願いします。是非、是非!!
細野 ‥‥これは是非、やろうよ。ほんとに!
竹松 あぁ! ほんとに嬉しい!
慶一 手分けでいいですから(笑)。
細野 手分けで(笑)。
慶一 私がどちらかをやります。
細野さん、どっち?
細野 んー‥‥「サイパン」を聴きたいです。
慶一 じゃ、私は「サンフランシスコ」を。
── これは何らかの形で発表するなり、
目標を決めておいたほうが
いいんじゃないですか。
細野 もちろん。
── またコンサートをやるぞ、とか、
iTunes Music Storeで配信するとか、
CDを出すとか。
細野 CDにはしてほしいね!
こういうものは財産だから‥‥皆の、ね。
僕は売ってほしいわけ。買いたいんだもの。
── さて‥‥ちょっと話が変わっちゃうんですけど、
お二人は同時代的に鶏郎さんの音楽を
聴いてこられたわけですよね。
鶏郎さんの音楽や言葉が
自分の作る音楽の血となり肉となっている‥‥
というようなことを、感じたりはなさいますか。
慶一 うん。なんだろうなぁ。
音楽を始めたときに‥‥
日本語でやるときに‥‥
きっかけも何もないじゃない。
手本にするものはなんだろうかと思ったときに、
漣健児(さざなみ・けんじ)さんの歌詞とか、
鶏郎さんの歌詞が、多分、
うっすらと頭に入ってたんだろうし、
音は洋楽なんだけど、やけに日本的な節回しに
影響を受けていたと思います。
はっぴいえんども、まさに、
非常に日本的な風景なんだけど、音は洋楽。
── 慶一さんや細野さん‥‥
細野さんはちょっと年が上ですよね‥‥
の世代が、
日本語を洋楽的なセンスの中に乗せる
というのをポップミュージックとしては
最初にしたのだけれど、
その前には洋楽を取り入れた歌謡曲があったり、
鶏郎さんがいたわけなんですね。
細野 鶏郎さんも服部良一も、みんな、
もう出来ている世界だよね、僕たちにとっては。
だから、
それとは違うアプローチをしたんですよね。
一回、滅茶苦茶になっちゃった、という‥‥。
だから逆に、乗せるんじゃなくて
乗りにくいことをやってみたり。
で、それをやって一段楽したときに、
僕は、子供の頃聞いていた音楽に
急に戻っちゃって‥‥
例えばそれはマーティン・デニーだったり。
同時期に三木鶏郎の音楽も
ウワーッと思い出してきて。
もちろん、「僕は特急の機関士で」しか
知らなかったんだけど、とにかく、
その音楽をラジオで初めて聴いたとき、
小学生のときに、
すごく興奮したのを覚えている。
それは、グレン・ミラーとか
ジーン・クルーパーのヴギを聴いたのと
同じぐらい。
まったく同じことだから‥‥興奮度が。
竹松 へぇー‥‥
細野 日本の音楽とか外国の音楽とか、
そういう意識はないから。子供は。
“僕は特急の〜”という、あの出だしがね、
残っちゃっているわけですよ。だからその後、
ティン・パン・アレーで
自分の曲の中にそのフレーズを入れたりして。
慶一 エンディングに入っていた。
細野 そのときに山下達郎に
コーラスをやってもらったら、
彼も知っていたわけ‥‥
喜んでやっていたからね(笑)。
竹松 ラジオで‥‥?
細野 そう。冗談音楽をラジオで聴いていたの。
竹松 昭和29年に文化放送で始まった
「みんなでやろう冗談音楽」ですね。
細野 そこらへんだ‥‥7歳だ。
それを聴いていたんだよ。
慶一 私は細野さんより4つ下なんだけれど‥‥
細野 たいして変わらないって(笑)。
慶一 でも、結構、そこの3、4年ぐらいはね‥‥
だいぶ違うんですよ。
細野 あ、そうだね。違うか。



慶一 僕は、鶏郎先生の「吟遊詩人の歌」を
何歳で聴いたか覚えていないし、
なんの「吟遊詩人の歌」だったかも
覚えていないんだよなぁ‥‥。
「トリローサンドイッチ」ぐらいに
なっちゃうのかな?
あのね、正月にマージャンをやったときに、
ちょっと実験したのよ。親父がいて、
親戚の72歳の叔父さんがいて。
親父は78‥‥か。
で、BGMでかけたの。
みんな、歌うのよ。びっくりした(笑)
一同 アハハハハ!
細野 知ってるんだ。
── 染み込んでる。
慶一 ずーっと歌いながらやってるんだよね。
── もう、当然のように出てきちゃうんですね。
慶一 ええ。全部、歌うのよ。
竹松 ヘーッ!
佐藤 サビだけとかじゃなくて、全部歌うの?
慶一 全部。
ずーっとリピートしてかけていると、
積極的に歌う曲って決まってくるのね。
叔父さんは「僕はサラリーマン」(笑)。
‥‥親父は「吟遊詩人の歌」を歌ってたな。
── 親子二代(笑)
慶一さんもラジオで聴いたんですよね。
慶一 そう。その記憶はあるんですけど、
何歳かは覚えていない。
河井坊茶さんの歌ですね。
強烈に印象に残っている曲が
細野さんと私とで微妙に違って、面白いですね。
「僕は特急の機関士で」と「吟遊詩人の歌」。
「吟遊詩人の歌」はマイナーな曲なんだけど、
ほんとに湿り気のない感じで‥‥今、考えると。
泣かせるものでもないので。
竹松 初めてのマイナー(コード)な曲なんです。
ほとんど書いてないですからね。
意識的に書かない、という感じで。
── マイナーでも、演歌とは違って湿り気がないですね。
お二人は、その後は、とくに鶏郎さんの
メロディーを意識したということは?
細野 うん。どこかではあるね。
マイナーな曲を書いても乾いていたい、と。
── 意識というより、体に入っている?
細野 うん‥‥“乾いている”とか“湿っている”と
表現できちゃうんだけど‥‥ウーン‥‥
その湿った音楽はなんだろうなぁーというと、
困っちゃうけどなぁ。
竹松 鶏郎先生は“マイナー排除”ですからね(笑)。
とにかく、戦後、「リンゴの歌」とか、
「暗い歌はなんとかしてくれ」ということで、
絶対にマイナーな曲は書かないで、
メジャーで「明るく歌おう」ということが
テーマでしたから。
細野 その影響があるかもね。
僕もマイナーな曲、書けないもの。
── 慶一さんは、ちょっと前に
東京太郎」名義で
「吟遊詩人の歌」を歌っているんですよね。
慶一 86、7年。
── オリジナルと、聞き比べてみましょうか。
いつでも聴けるトリローラジオ
音が聞こえないときはこちらへ!
『トリローラジオ 吟遊詩人の歌』
(オリジナルバージョン)


作詞作曲:三木鶏郎
歌:河井坊茶
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
いつでも聴けるトリローラジオ
音が聞こえないときはこちらへ!
『トリローラジオ 吟遊詩人の歌』
(東京太郎バージョン)

作詞作曲:三木鶏郎
歌:東京太郎
再生して音が出るまでにしばらく時間がかかります。
── このときはどういう気分だったんですか。
慶一 大森さんに教えてもらって、
「あぁ‥‥鶏郎さんの曲か!」とわかって、
それから何年かして、
FMの企画で「好きな曲を2曲カバーしてください」
と言われたので、それじゃ、
「吟遊詩人の歌」と
ビーチ・ボーイズの
「GOOD VIBRATIONS」かな、と。
とんでもない組み合わせですけどね(笑)。
‥‥ただ、レコードにしたのは
十何人編成のバンドでやったので。
このあいだ、鶏郎先生のトリビュートコンサートでは
弾き語りだから、また、全然違う感じですよね。
滅茶苦茶、緊張したよね。
細野 うん。

(つづきます!)
2006-09-20-WED
デザイン協力:下山ワタル
もどる
©2005 HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN All rights reserved.