ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 気仙沼 斉吉商店 篇
斉吉商店のホームページはこちら 東日本大震災ですべてを失った状態から もういちど、 立ち上がろうとしている企業があります。 その姿を「伝える」ことで 少しでも応援になればと思うと同時に、 その復興のプロセスは、学ぶことだらけの 超実践的な「仕事論」でもあるはず。 そこでまず、長い伝統を誇る「廻船問屋」であり 水産加工の分野でも 「金のさんま」「ぶっかけ海鮮丼」などで 全国にファンをもつ、 気仙沼の斉吉商店に取材させていただきました。 現在は、ほぼ三陸地方にしか残っていない 「廻船問屋」のこと、 秘伝の「かえしだれ」に起きたすごいドラマ、 漁師さんのかっこよさ、気仙沼の海への誇り。 社長の純夫さん、 専務の和枝さんご夫妻が語ってくれました。 担当は「ほぼ日」奥野です。ぜひ、お読みください。
前編 気仙沼随一の廻船問屋。
和枝さん ちょっとこれ、何年前のものなんだか
わかんないんですけど、
先々代のときからの看板なんです。

お店に、かけてあったんですけどね。
── あ、津波で。
和枝さん そう、お店ごと流されてしまって、
どこいったんだか
わからなくなってしまってたんです。

でも、ほんとについこのあいだ、
「ガレキよけてたら
 斉吉さんの家が、出てきましたよー」って
市役所から電話がきたんですよ。
── おおー‥‥。
和枝さん あんなに探しても見つからなかったのにって
思ってたら、
魚市場の前にあった本店の2階が
となりの町まで、出張してまして(笑)。
── となり町ですか!
和枝さん こんどの地震で、気仙沼、焼けましたよね。

で、この家が流れ着いた先の、
おとなりはもう、焼けちゃってたんですよ。
── じゃあ、もうギリギリで。
和枝さん よそのガレキで埋まっていたのを
よけていったら、「あら、斉吉だ」って。
── 埋まっていたから、
なかなか見つけられなかったんですね。
和枝さん いや、それがね、ガレキをよける前にも、
カベは見えていたんです、まるっきり。

でも、そのカベって、津波で流される前は
おとなりさんと
ピッタリ接していたカベなので、
生まれてこのかた、
わたし、見たことなかったんですよ、
そのカベを。
── つまり、ずうっと見えてたんだけど、
気づかなかった、ということですか?
和枝さん そうなんです。

おじいさんとおばあさんが建てた家なので、
うちの人たち、
そのカベを、だーれも見たことなかったものだから、
まさか斉吉の本店だと思わなかったんです。
── 「斉」のほうは‥‥。
和枝さん 「斉」はないの。
だから「吉」はえらい! ‥‥と思って(笑)。
── じゃあ、貴重ですね、これ。
和枝さん ほんとうに、ただのガレキですけど、
私たちにとってはね‥‥社長。
純夫さん 大事なものが見つかりました。
── 再起のシンボルになりますね。
和枝さん ほんとに。
── すみません、ご挨拶を‥‥。
和枝さん あら、ごめんなさい、急に話しはじめて(笑)。
── いえいえ(笑)、
糸井重里事務所の奥野と申します。
純夫さん 斉藤です、よろしくお願いします。
和枝さん まだ今ね、名刺が制作中で。
純夫さん 店も机も流されて、工場も車も流されて、
すみません。斉藤と申します。
和枝さん そして私は和枝です。
── はい、よろしくお願いします。
和枝さん ホボビさん?
── いえ、ホボニチと言います。
和枝さん あ、ホボニチつうんですか。
── ええ、たまに間違われるんですけど(笑)。
和枝さん はじめ、なんてかわいい名前と思ったの、
ホボビさんて。
── ありがとうございます(笑)。
純夫さん 東京からわざわざ、来ていただいて。
和枝さん うちは
陸前高田の八木澤(商店)さんみたいに
200年の歴史があるわけでも
なんでもなくて、
コチョコチョやってきたんですけど‥‥。
── たしか、ながく「廻船問屋」として
やってこられたんですよね。
和枝さん いまは水産加工業が主なんですが、
そうです、はじめは。
── それって、どういうお仕事なんですか?
和枝さん いまは焼津だとか静岡のほうでも
なくなったんだそうで‥‥北海道にもないし。

この三陸沿岸にだけ、残ってるんです。
純夫さん 銚子にもあるかな。
和枝さん あ、そうです。
── いまでは、かなり珍しいお仕事なんですね。
純夫さん はい。
和枝さん 今後、この気仙沼の市場では
物流についても
大きく見直すことになると思いますので、
業態としては
難しい場面になると思うんですが、
ただ、気仙沼の港って‥‥。
── ええ。
和枝さん ‥‥いいんですか社長、
わたし、このまましゃべってて。
純夫さん どうぞどうぞ。
── (笑)
純夫さん 専務がしゃべると、私の必要がなくなる。
── いいですねぇ(笑)。
純夫さん 隙間なくしゃべるから。
── すっごく仲がいいんですね(笑)。
純夫さん そんなことないですけど(やや照れる)。
和枝さん すみません(笑)、ええと、
気仙沼の沖には
世界三大漁場のひとつ、三陸漁場がありましてね。
── え、三陸沖って「世界三大」なんですか、
知りませんでした。

ちなみに、他のふたつは‥‥?
和枝さん アメリカの東海岸と、
なにか、ノルウェーのほうみたいですけど。
── たしか、親潮と黒潮が交差するんですよね。
和枝さん そうです。

そのおかげでいろんな魚が捕れるんですけど、
たとえば
もっと南のほうの海でカツオを捕りはじめた船が、
どんどん、
カツオといっしょに北上して来るんですね。
── こっちのほうまで、はい。
和枝さん すると、気仙沼に水揚げするってことが
ずいぶんあるんですよ。
── 自分の県に持って帰るんじゃなくて。
和枝さん そうなんです。

だから、カツオ船で言えば、
南から来た九州や高知県の船主さんたちが
気仙沼に揚げてくれて、
それで
「気仙沼は、カツオの水揚げ日本一」
ということになってるんです。
── はー‥‥、そういうことなんですか。
純夫さん ことしは、サンマも本州でいちばんで、
北海道の次に揚がったんですけど、
サンマの場合も
富山だとか、北海道だとか、いわきだとか、
全国の船主さんが揚げてくれるんです。
── ええ、ええ。
和枝さん 陸からニーパーヨン(国道284号線)で
いらっしゃるかたも、
とうぜん、
気仙沼にとってのお客さまですけど‥‥。
── ニーパーヨンで、はい。
和枝さん 海から船で来る人たちも
私たちにとっては
たいせつなお客さまなんですよね。
── なるほど、なるほど。
純夫さん カツオ船なんか、気仙沼の船というのは
一艘しかないんです。

もう、百何艘とあるなか、一艘だけ。
── じゃ、99%以上が他県船。
和枝さん そういう意味では、
気仙沼って
他県船で成り立ってきた街なんですけれど、
私たち廻船問屋というのは
そうした
他県からの船のお世話をする仕事なんです。

船主代行業というんですけど。
── それはたとえば、どんな‥‥。
和枝さん 獲れた魚を市場に売ったり、
船に食料や油(燃料)や氷、を積んだり、
保険のことだとか、
あとは、乗組員さんにごはんを食べさせたり、
場合によっては
病院なんかへ連れていったり‥‥。
── つまり「よろずお世話係」的な。
和枝さん そうそう。
── 船主さんは他県ということですが、
船に乗り込んでいる漁師さんは‥‥。
和枝さん サンマ船やマグロの船の場合は
ほとんどが、気仙沼の漁師さんですね。
── そうなんですか。
和枝さん この気仙沼の港には、優秀な漁師さんが、
長い時間をかけて、
たくさんたくさん育っているんです。

ですから、北海道の船でも
この気仙沼に優秀な魚捕りの人がいるために、
ここの漁師さんで船を組織するんです。
── すごいんですね、気仙沼の漁師さんって。
和枝さん だから、これを逆に言うと
他県の船の気仙沼への貢献度たるや、
ものすごいんです。

気仙沼の人を雇用して、
気仙沼に
何億と魚を揚げてくれるわけですから。
── あ、そうか、そうか。
すごい経済波及効果ですよね。
和枝さん 船の設備もぜんぶ、冷凍機から何から
気仙沼で入れてますし、
船だって、宮城県で作るんですからね。
── 船頭さんは、気仙沼の人だし。
和枝さん そうそう。
── 聞くところによると、
斉吉さんは
気仙沼いちばんの廻船問屋であったとか。
和枝さん いえいえいえ、そんなアレですけど、
サンマに関しては
日本一だったと思います、廻船問屋では。
── ちなみに創業は‥‥?
和枝さん 昭和16年です。
純夫さん だから、70年くらいですね。
── はー‥‥。
純夫さん 廻船問屋という仕事は、
地域の人たちと
とってもつながりの大きい商売でした。
和枝さん 船に関係するいろんな業者さんと
お付き合いしますし、
わたしがまだ小さいころは
マグロを釣るときの「枝縄」という縄を
家の庭で
漁師さんたちが直していたり‥‥。
── ええ、ええ。
和枝さん 船主さんなんかは、かならず
うちでいっしょにご飯を食べてたんですよ。
── へぇー‥‥。
和枝さん 人の顔を見たら、とにかく
「ご飯、食べたんですか?」って聞くような
おうちで(笑)。
── なんだか、すごく楽しそうですね。
和枝さん そうなんです、人の出入りが多くて。

ぜんぜん知らない人が
わたしのおうちにいるっていうのが、
別にふつうというか‥‥。
── つまり、斉吉商店さんって
「みんなが集まる場所」だったんですね。
純夫さん みんなが「ただいま」って言って、
帰ってくるような場所でした。
── でも、今回の震災をきっかけに‥‥。
和枝さん はい、廻船問屋の部門は分社化しまして、
これまで
廻船問屋部をみていた常務に一任します。
純夫さん 斉吉は、水産加工一本で、やり直します。
<後編へ続きます>
2011-07-19-TUE
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前編
気仙沼随一の廻船問屋。
2011-07-19-TUE
column 和枝さんに聞きました_01
気仙沼の漁師さんはカッコいい!
2011-07-20-WED
後編
金のさんまは、炊けるのだ!
2011-07-21-THU
column 和枝さんに聞きました_02
無事だった「津軽塗り」のお話。
2011-07-22-FRI
 

2011-05-13 ほぼ日ニュース
味噌醤油、さんまの佃煮、天ぷらうどん。
再建への第一歩を踏み出した
東北の食品会社3社を訪問してきました。

 
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