生活のたのしみ展
”かるさ”が命を守る。──mont-bell(モンベル)の根底にある考えかた 辰野勇(モンベル創業者、現・会長)×糸井重里 対談
2. ”かるさ”が命を守る。
糸井
今日のきっかけは、
前回の「生活のたのしみ展」で
傘の店を作らせてもらったことですけど、
そもそもぼくが
モンベルの折りたたみ傘を愛用していたのが
はじまりなんですね。

折りたたみ傘はずっと探していて、
いろいろ買ってみてたんです。
ただ、圧倒的な軽さと耐久性から
あの傘に行き着いて、
ひとりでこっそり使ってたんです。
辰野
ええ、ええ。
糸井
それで、なにかのタイミングで、
「いい傘持ってるよ」って見せたら、
みんなおどろくんですよ。
ものすごく軽いし、丈夫だし。

それで「たのしみ展」で
モンベルの傘だけの店を作ったら、
絶対ちゃんと見てもらえると思ったんです。
街の女の子たちみんながあの傘をさすのは、
おもしろいだろうとも思ったし。

たしか、ものすごく売れたんですよね。
ほぼ日
スタッフ
3日間で500本以上売れました。

それも、いちど買ったかたが
「すごく良かったから」と、
お友達やご家族の分を買いに
再訪してくれることまであって。
辰野
いや‥‥ありがとうございます。

実はあの傘はまさにご指摘のとおり
「軽量コンパクト」が特長なんですが、
これはそのまま、
うちのコンセプトなんですね。
「Light&Fast」という。
糸井
「かるく」て「速い」?
辰野
そのとおりです。
「かるい」と行動が「速く」なりますから。

そしてそれは「安全」にもつながるんです。
糸井
それはつまり、山登りなどでも。
辰野
はい、「かるさ」はものすごく大事です。

この写真はぼくが
スイスのアイガー北壁を登ったときの
ものですけれども、このときも
「余計なものは1グラムも持って行きたくない」
ということから、
荷物を最小限にしぼって出かけたんです。
※辰野勇さんは1969年、21歳のときに
アイガー北壁を、日本人で2番目に登頂成功。
これは当時の最年少記録。
アイガー北壁は登るのが非常に困難な壁で、
その死亡者数の多さから
「死の壁」とも呼ばれている。
糸井
そうですよね。
辰野
そしてこのときは、壁を登る途中でさらに
いろいろなものを捨てました。
3分の2ほど登ったあたりですね。
「このヤバい壁を一刻もはやく抜けたい」
ということで、
荷物を捨てて軽くしたんです。

退却用のロープを捨て、
食料を捨て、カメラも捨て。
みんな捨てたわけです。

「1グラムでもかるくして、
とにかく速く抜けよう」と。
糸井
え? 壁を登っている途中で、
退却用のロープを捨てたんですか?
辰野
はい、途中で
「もう下りない」
って決意しましたから。
糸井
はぁー‥‥。
辰野
アイガー北壁は、
頂上の標高は3970メーターなんですけど、
登るべき岩壁の高さは1800メーター。

これがどのくらいかというと、
東京スカイツリーが
3つ重なる高さなんですね。
糸井
ひどい高さ(笑)。
辰野
そして半分以上のぼると、
下りるよりもむしろ登るほうが楽なんです。

事実、退却途中で遭難して
亡くなった人がたくさんいます。

荷物を捨てたとき、ぼくらはすでに壁の
3分の2をのぼってたんで、
下りるのはもう難しい。

「よし、じゃあ退却用のロープはいらない」
ということで捨てたんです。
糸井
だけど
「退却する手を完全になくしてしまう」
というのは、相当な判断ですよね。
辰野
それだけ切羽詰まっていたんです。
だからカメラもフィルムだけ抜いて、
本体は捨てたんです。

そのときの写真がこれですけど、
なにかのタイミングで
フィルムに水滴が入ってしまってて、
残ったのはこれ1枚だけだったんです。
糸井
これが残っててよかったですね。
辰野
本当にそうなんです。
糸井
この写真は、どういう状況ですか?
辰野
写ってるのがぼくで、
ぼくの相棒が撮ったものです。

ぼくはこのとき、振り子トラバース
(ロープにぶら下がりながらの横移動)で
むこう側に渡っているところという。
糸井
こんな角度なんだ。
辰野
そうですね。
実はここはたくさんの登山家が
ことごとく失敗している難所なんです。

ただ、アンドレアス・ヒンターシュトイサー
というクライマーが、
突破方法を見つけたんですね。

いま写真を撮ってるところから
真っ直ぐ上に登り、
そこに支点となる
ハーケン(かぎ状の道具)を打ち、
ロープをぶら下げて振り子みたいにして、
一気に横方向に飛び移る。

そういう軽業(かるわざ)みたいな
やりかたでいけることがわかり、
ぼくらもその方法で渡りました。
糸井
揺れるようにしないと、
向こうに渡れないんですか。
辰野
そうなんです。

ただ、いまの話の続きをすると、
アンドレアス・ヒンターシュトイサーの一行は、
このトラバースに成功して、
それこそ上まで行けたんです。

でも、彼らは途中で落石に遭って
退却を余儀なくされたんですね。

そして、登るときに
あまりに調子がよかったものだから、
途中で退却に必要なロープを抜いてしまってて、
戻れなくなったんです。

結局彼ら、そのときに全員死んだんですけど。
糸井
うわぁ‥‥。
辰野
アイガー北壁のなかでも、ここはそういう
とくに象徴的な場所なんです。

まあ、この話をすると
全然違う方向に行っちゃうけど。
糸井
いや、このまま聞いていたいくらいです。
辰野
話を戻すと、
山登りって、命がけじゃないですか。
だから軽さも極限まで追求するんです。

変な話、ぼくらは余計な重さを
一切持って行きたくないから、
トイレットペーパーも、
芯まで抜いて持っていくんですよ。
糸井
そんなふうに、いつも命に関わっているところで
発想してるわけですよね。
辰野
そうですね。

いまの話のアイガー北壁は、
最初に登られたのが1938年で、
ぼくがのぼったのが1969年。
そしてこの山ではぼくらが登るまでに、
60人死んでいるんです。
糸井
60人‥‥。
辰野
あと、一緒に登っていた仲間は、
両手両足の指では数えきれないくらい
山で死んでます。

映画のシーンにあるような、
自分の腕のなかで仲間の見開いた目を
閉じさせる経験とかもありますし。

それまでものすごく元気だった
二十歳そこらの若い人間が、
次の瞬間には息をしてないわけです。

そういう状況を目の当たりにしてきて。
糸井
とんでもないですよね。
辰野
そういった経験もあり、
そのほかにもさまざまな思いがあり。

うちのモノづくりのコンセプトは
いまに至るまで、
ずっと一貫して「Light&Fast」なんです。
(つづきます)