ほぼ日刊イトイ新聞創刊15周年! 「ほぼ日手帳」について、 あらためて糸井重里が語りました。
 
  本日、6月6日に「ほぼ日刊イトイ新聞」は 創刊15周年をむかえました。 1998年の創刊以来、数多くの商品や コンテンツが「ほぼ日」から生まれてきましたが、 そのなかでも2002年の「ほぼ日手帳」の誕生は、 「ほぼ日」にとって、大きなできごとでした。 そんな「ほぼ日手帳」について いま糸井が感じていることを聞いてみました。 ほぼ日手帳2013ラインナップ

「手帳は、自分を自由にしてくれるものだと思います」

 

 

「ほぼ日手帳」ができたのは2002年版からだから、
今年でもう11年が経つんですね。
最初からいまのような形になるのを
想定していたわけではなくて、
やっぱり走りながら、考えてきたように思います。

 

最近も手帳についていろいろと話し合っていますが、
常に「使っている人が主役だ」ということを
ベースに考えています。
ぼくたちは、使う人の手助けをしたり、
もっと使いやすくなるように工夫したりしていくだけです。
最近は、そういうことが
落ち着いて考えられるようになってきました。

 

以前、ロフトでイベントを行ったときに、
みなさんの手帳を見せていただく機会がありました。
予想もしないような使いかたをした手帳や
分厚くなった手帳を見せてもらうのも
もちろんすごくうれしいのですが、
その使いこまれた手帳のなかに
「何も書いていないページ」があるのを見たとき、
なんだか「いいな」と思ったんです。
「ここからここまで試験中だから
 書いていないんです」なんて言っていて、
自由にのびのびと使ってくれているのを感じました。

 

 

たまに「ほぼ日手帳を使いこなせません」
という言葉も聞くんですけど、
ぼくは、「使いこなす」ということ自体を
忘れていただいていいと思っています。
真っ白なページがあってもいい。
書かない日があってもいい。
それが普通だと思っています。

 

手帳のつけかたも、枠にとらわれず、
自由に書いていただければうれしいです。
仕事で使う手帳に、家族のことや
個人的な体重のメモが混じっていてもいいんです。
「ほぼ日手帳」は、1日1ページだから、
両方を書くスペースも十分にあります。
だって、1日を振り返ったとき、
ここまではビジネス、ここから先はプライベート、
というふうにきっちりと分けることなんてできないですよね。
仕事中にちょっと家族のことを考えている時間があるように、
公私がかならず混じりあっているものです。
きれいに分類できるはずがない物事を
なんとか分けようとしていたのが、
これまでの「文房具」としての手帳だったのならば、
「ほぼ日手帳」がめざすのは、
自由を受け止められる器のようなものかもしれません。

 

ありがたいことに、はじめて「ほぼ日手帳」を
手に取ってくださった方から
「なんとなく使いやすい気がした」とか
「これなら続けられるかもしれないと思った」
と言ってもらえることがあるんですけど、
それは「この手帳なら何を書いても大丈夫そう」
と感じてもらえたからだと思います。
それは、ほんとうにうれしいです。
それこそが、ぼくたちのめざしてきたところだと思うから。

 

 

ちょっと脱線すると、
実はぼくも、もう2年以上、
仕事で使っている手帳に自分の体重を記入し続けています。
朝晩必ず下着1枚で体重を計ることを
日課にしているんですが、
うっかり計り忘れてパジャマに着替えてしまったら、
「なんだよ」と思いながらも、
また風呂場にもどって、パジャマを脱いで計っています。
それくらい当たり前の「習慣」になってしまうと、
自分でつくったルールに縛られているというよりは
「体重を知っている」ということ自体が
当たり前の「自分」になっていきます。
毎日つけていると、おもしろいですよ。
食べる量を減らしてないのに体重が減ったときは、
ちょっと病気になっていたということがわかったり、
これを食べたら体重が増える、
ということがわかったりもします。
習慣っていうのは、やっぱりすごいです。
ぼくは手帳を使い込んでるわけではないけど、
この習慣だって手帳がなければありえなかったことです。

 

さきほど「使いかたは自由です」という話をしましたが、
もともと手帳というのは、予定を書き込んで、
「何時までに~しなきゃ」だとか
「何日に~があるからがんばらなきゃ」というふうに
書く人を縛る側面があったかもしれません。
でも「ほぼ日手帳」が目指すのは、その反対です。
予定を書き込める機能はもちろんしっかりとあるんだけど、
「書かなくてはいけない」と縛るためのものではなくて、
「人を自由にするためのもの」でありたいと思っています。
大事な予定を覚えておかなきゃ、というのではなく、
「手帳に書いたから大丈夫」というふうに、
書くことで、いったん忘れることができるような‥‥。
そんなふうに、自分を解放するためのツールとして
「ほぼ日手帳」を使っていただけたら、うれしいです。

 

 

2013年6月6日 糸井重里

 

 

 
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