青黒檀の「わたしのおはし」が生まれたきっかけは、 三角屋の三浦史朗さんが、名古屋の施主のかたから 木造建築の依頼を受けたことからはじまります。 三角屋さんの地元である京都から 木を持って行くのではなく、 地元で良質な材木を、と考えた三浦さんが、 資材を探す中で、木工をなりわいとする 松井純一さんと出会いました。 |
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現在89歳の松井さん。 丹波で生まれ岐阜で育った木工職人です。 25歳のとき、名古屋でこの仕事をはじめました。 |
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松井さんの得意分野は、 紫檀、黒檀、ヒバ、チークや ローズウッドなどの「唐木」(からぼく)。 順調に仕事をつづけ、 全盛期には150人の社員を抱える 大きな会社へと成長させた松井さんですが、 子供たちも巣立ち、70歳近くになったとき、 いったん店を閉める決意をします。 そのときの材木の在庫は、なんと35トン。 けれども松井さんは、それを売りに出さず、 処分をしないまま、20年、保管をつづけました。 |
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松井さんが箸づくりにとりかかったのは、 いまから3年前。86歳のときのことでした。 ストックを眠らせたままではもったいないと考え、 何かつくれないものだろうかと ずいぶん思案したといいます。 |
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唐木はその性質上、 大きな建築部材として使うことができません。 組み合わせても、ちいさな箪笥をつくるのがせいいっぱい。 しかし、お箸であればつくることは可能です。 そこで松井さんは、 竣工や開店の記念にお客様にさしあげたい、 という人にむけて、 桐の箱に入れた唐木の箸づくりをはじめました。 |
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そんななか、出会ったのが三角屋の三浦さんでした。 松井さんの箸づくりと唐木の在庫を知り、 ぜひ「ほぼ日」の「わたしのおはし」の候補にと、 松井さんにお願いをしたのでした。 そして資材庫で、今回使うことになった 青黒檀の原木が眠っていることが判明します。 これほどのものが国内に残っているというのは、 長く仕事をしてきた三浦さんにとっても たいへんな驚きだったそうです。 |
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2月18日(火)更新に続きます。 |