5 たまたま世界だった。
糸井
増田さんは、海外の人たちとも
すごく自然につながってますよね。
増田
ぼくは20代から海外に出てたんですが、
海外ではずっとみんなが
「セバスチャンおもしろい、おもしろい」
って言ってくれてたんです。
ただ、当時は何を評価されているのか
わからなかったんです。
でもずいぶん経ったあと、
「そうか、オリジナルということか!」
ということに気づきました。
海外の人たちは、オリジナルに対しての
リスペクトがあるんです。
糸井
「よそにないものが、ここにはある」というのが、
ほんとはいちばん強いんですよね。
とはいえ「よそにない」というのは
自信を持てないことと隣り合わせで
恐いんですけど。
増田
ぼくがはっきりと
「海外の人たちに伝わるんだ」という
確信を持てたのは、
きゃりーぱみゅぱみゅのデビュー曲の
『PONPONPON』のミュージックビデオでした。
YouTubeを通じて、世界中で視聴されたんです。
きゃりーぱみゅぱみゅ『PONPONPON』PV
増田
じつはあの映像のセットには、
外国のお菓子やおもちゃを大量に使ったんです。
もともとミュージックビデオが
YouTubeで世界に拡散されるのは知っていたので、
外国の人たちがわかるもので構成しようと思いました。
あれが「きのこの山」とか「コアラのマーチ」とか
日本のお菓子だったら、
いまほど拡散されなかったと思うんです。
もちろん、きゃりーのために作ったんですが、
「ビジュアル」という道具を使うと
海外の子たちにもメッセージを伝えられるというのは、
やっぱりちょっと計算しましたね。
糸井
それは、任天堂の宮本茂さんの作るゲームが
世界の人に支持されたのと似てますね。
宮本さんが手がけた『ゼルダの伝説』というRPGは、
ことばで理解する必要がないんです。
あのゲームにおける経験値は
「動きが上手になること」。
自分の身体に経験値がたまっていくんです。
そのしくみは、世界共通なわけですよ。
そして、そういうゲーム作りを
突き詰めていった宮本さんは、
のちに、フランスやスペインから
勲章をもらう人になるわけですけど。
増田さんも、そういう道を作っちゃいましたね。
増田
そうなのかもしれません。
ただ、もともと世界へのアプローチについて
ぼくはそこまで計算してなくて、
自分では
「支持してくれたのが、たまたま世界の人だった」
くらいの認識なんです。
糸井
そうなんだ。
増田
応援してくれる人も中にはいましたけど、
やっぱり日本だと、どうしても、
いつでもバカにされている感じがあったんです。
よく言われたのは
「ああ、原宿の、シノラー?」みたいな反応。
篠原ともえちゃんはアイコンのひとりだし、
きゃりーもアイコンのひとり。
だけど、ぼくはぼくでまた、
「自分にしかできないものがある」という思いで、
また別のことをやっているので。
そうやって真剣にやっているのに、
日本の人たちは表面だけ見て、
評価を下すような印象がありました。
だけど外国の人たちは、
そういうことではなく見てくれますから。
糸井
つまり、居心地の悪い場所にいて
声を出しているよりは、
メガホンを使って遠くの良いお客さんたちに
呼びかけるほうがいいということですよね。
増田
そうなのかもしれません。
ちょうどSNSの広がりもあって、
自然とつながりが増えたのもあって。
糸井
そういえば、いま、宮本さんから聞いた話を
ひとつ思い出しました。
なにかというと大勢に支持されるゲームには、
「肉体感みたいなものがある」んだそうです。
そこがないゲームは、
評論家みたいな人には支持されても
実際に遊んでくれる人たちに
届かないそうなんです。
増田
それって、
「若い人向けに作品を作ろうとすると、
絶対若い人に届かない」
というのと一緒ですかね。
糸井
そうなんですか。
増田
ええ、届かないです。
糸井
じゃあ、増田さんは、
どういう人向けに作ってるんですか。
増田
ぼくは「ついてこれるならついてこい」
と思って作ってるので。
糸井
はぁー(笑)。
それはやっぱり、遠くの人に
メガホン使って呼びかけてますね。
増田
だけど遠くの人でも、ちゃんと届くと、
おもしろい展開がはじまったりもするんです。
『6%DOKIDOKI』では、2009年から
世界をまわるツアーをおこなっているんですが、
最初はフランスからのメールだったんです。
「こういうカルチャーはフランスにはないから、
ぜひ自分たちの国に来てほしい」
って。
だけど、そんなこと言われても、
ぼくらにはお金がないし、渡航費もだせない。
そんなふうに返事をしたら、
「じゃあ『6%DOKIDOKI』の商品を
スーツケースにいっぱい持ってきて。
そうしたら、みんなで手分けして買うから。
それが旅費の足しになるでしょう?」
なんて言われて。
といってもぼくら、フランス語だってしゃべれないし、
泊まるところもないんですけど。
糸井
だけど、それほど何もなかったのに、
行ったんですよね?
増田
はい、自費でとにかく行きました。
彼らの熱意がすごくて、
会ってみたくなったんです。
行ったら行ったで、宿は彼らが
大学の寮や教会などを紹介してくれて。
糸井
そっか。
増田
あと、そしたら「パリに行く」と言った瞬間に、
ロンドンの子が
「2時間で来れるから、うちにもきて」って。
さらにベルリンの子たちも
「うちにも!」って声をかけてくれて。
それで、こんなにいろんな国から声がかかるなら
「じゃあもう、ワールドツアーとか言って
ぜんぶ回っちゃおう」
みたいにして始まったんです。
糸井
それ、無手勝流に近いよね。
増田
そのときは完全にお金も持ち出しで、
商品をいっぱいに詰めた20キロのスーツケースを、
お店のショップガールたちといっしょに
みんなで担ぎながら行きました。
詰めていった商品を向こうで買ってもらって
旅費の足しにして、
みんなで狭い部屋に雑魚寝しながら。
糸井
ええ。
増田
でも、それで終わりじゃなかったんです。
その後、そのときぼくらを強烈に支持してくれた
ヨーロッパの女の子たちが、
「これはわたしたちのカルチャーだ」
と残ってくれて、
そこから文化の布教がはじまっていったんです。
自分たちはそんな展開、予想もしてなかったんですが。
糸井
それ、もしスポンサーを探して
「旅費出してください」ってやってたら、
絶対そうなってないですよね。
増田
だと思います。
糸井
なんでしょう。
向こうも増田さんたちも、
「やりたいことが先にある」というすごさ。
増田
ある意味きゃりーもそうだったんです。
デビューのときも、大人たちはぼくが参加することに、
基本的には大反対だったと思います。
増田セバスチャンという人は、
いままで経歴もないし、受賞歴もない。
それこそ広告代理店も勤めたことない。
「こんなに誰かわかんない人を入れて、
メジャー業界で売れんの?」
みたいなことを思われても、当然な状況。
だけど、きゃりーは
「いや、わたしが大好きな世界観を作ってる人だから、
絶対いっしょにやりたい」
みたいに言ってくれて。
実際に動き出しても、いろんな場所で
「こいつ何できんの?」みたいな目で
見てた人もいたんじゃないかな。
だけど実は自分はバイト経験が多くて、
テレビ局や広告業界で、大道具さんとしての仕事を
たくさんしてきてました。
だから、スキルはぜんぶあって、
「こうすればできそうだな」はわかってた。
そうやって現場で信頼されるようになって、
だんだん大人たちも認めてくれたんだと思います。
糸井
大道具さんもしてたんだ。
それも、いい仕事ですね。
増田
単純に、食えなかったんです。
原宿で『6%DOKIDOKI』のお店を朝からやって、
店を閉めたあとの時間からバイトできるのは、
テレビ局だったんですよ。
お店からちょうどNHKも近かったし、
大河ドラマのセットを作ったりしていました。
そして、ぼくはなんでも一生懸命なので、
そのうちデザイン設計まで任されたりして。
そのとき培った技術があるので、
いまは本気で
「ワンルームの内装から、
東京ドームのコンサートまで作れます」
って言ってるんですけど。
糸井
はぁー。
増田
あと、プロモーションビデオの製作についても、
過去に現場の下っ端として経験していたから、
ある程度は進め方がわかってたんです。
それで「PONPONPON」のときは
きゃりーを盛り上げるために、
実際に必要な量の倍のセットを作って、
トラック一台分ほどのお菓子やおもちゃ、
アクセサリーを持ってきて、飾りつけたんですよね。
なぜかというと、きゃりーが新人で、大人たちが
「この女の子、どうやったら売れるかな?」
みたいな空気の中で、
ぼくときゃりーは共通の好きなものがあって、
自分だけは勘所がわかる。
そこを徹底的にやることで
周りのスタッフがビビる‥‥
というかビックリするんじゃないかと思って。
糸井
いや、わかる。
そういうの、大事なんですよね。
増田
そのときのやりかたは、じつは藤子不二雄さんの
『まんが道』がヒントになってるんです。
まんがの中で手塚治虫さんが
『火の鳥』を1000ページ描きながら
200ページしか使わなかった、
みたいな逸話があるんです。
それを「ここでやってみよう」とやりました。
糸井
うん、みんな、そういうことを
やってきてるんですよね。
それは「子どもっぽいいたずら心」でもあるし、
「負けられない」というケンカの方法でもあるし。
そういえば永ちゃん(矢沢永吉さん)からも、
若いときのそういう話をたくさん聞きました。
(つづきます。)

2015-12-25-FRI