ソール・ライター 《足跡》 1950年頃 発色現像方式印画

ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate

これから、この連載でご紹介していく、
とにかくかっこよくて、
デザインされたかのように斬新な構図の、
まるで昨日みたいな雰囲気なのに
何十年も前に撮られた、
じわーっと郷愁を誘う写真の数々は、
歴史に埋もれることを自ら選び、
80歳を超えるまで無名だった老人が、
ニューヨークの自宅周辺で、
60年以上にわたり撮り続けた写真です。

彼の名前は、ソール・ライター。

日本で初の展覧会開催にあたり、
生前の「伝説の写真家」と親交のあった
ポリーヌ・ヴェルマールさんに、
ソール・ライターってどんな人だったのか、
うかがってきました。

担当は「ほぼ日」奥野です。

第3回宗教の影。

I have a great respect for people who do nothing.

私が大きな敬意を払うのは、
何にもしていない人たちだ。

──
ソール・ライターさんが抱いていたという
「罪の意識」って、
具体的には、どういうものだったんですか。
ポリーヌ
ソール・ライターは、厳格な「ラビ」‥‥
すなわち、
ユダヤ教の指導者の家庭に生まれたんです。
ですから、ゆくゆくは
ご本人も「ユダヤ教のラビになる」ことを、
期待されていたんです。
──
つまり、両親の思いに背いた、と?
ポリーヌ
そうです、自分でも文章に書いていますし、
インタビューでも話していますが、
「自分は両親を、
とくに父親を失望させてしまった」って。

──
つまり、ライターさんの家族にとって、
「写真」は、ライターさんを
本来の道から踏み外させる原因だった。
ポリーヌ
さらに、それが、
「他ならぬ写真だった」ということも、
家族にとっては「最悪」でした。
──
どうしてですか?
ポリーヌ
ユダヤ教を含むいくつかの宗教にとって、
「人間の像を表現する」ことは、
信仰に反する行為とされているからです。
とくに、ソール・ライターの家庭環境は、
父親がラビであるほど、
宗教心、信仰心の篤いものでしたから。
──
その状況で撮り続けたことを考えると、
自分を売り込まなかったし、
自分の仕事の重要性を
全面的には受け入れられなかったけど、
反面、相当な覚悟を持って、
写真を、撮り続けていたんでしょうか。
ポリーヌ
覚悟というものは、あったでしょうね。
ソール・ライターは、家族に対して、
決して怒りを抱いていませんでしたが、
その関係性は、
残念ながら一部破綻してしまいました。
──
そうなんですか。
ポリーヌ
彼はそのことに対する「罪の意識」を、
生涯、持ち続けながらも、
でも、写真を撮ること、
そして絵を描くことは、
最後の最後まで、続けていましたから。
──
先ほど、ライターさんの作品には、
日本的な「心」が見て取れる‥‥って、
おっしゃっていましたが、
その点について、
もうすこし、お話していただけますか。
ポリーヌ
わたしは、おさないころの数年間を
日本で過ごしたのですが、
ソール・ライターの写真を見ると、
日本的な「美」や、
日本的な「思考」を感じることがあって。
──
それは、たとえば?
ポリーヌ
まず、ライターの好んだ遠近法の感じや
斬新な構図、垂直の空間構成などに、
広重、北斎、歌麿、宗達などの浮世絵や、
本阿弥光悦や
尾形光琳に通じる美的感覚を、感じます。
──
実際、写真集をめくっていくと、
かなり「タテの写真」が出てきますけど、
じゃあ、それなども‥‥。

ソール・ライター 《床屋》 1956年 発色現像方式印画

ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate

ポリーヌ
あるとき、とあるジャーナリストが
「あなたは、どうして
タテの写真ばかり撮るんですか?」
と質問したことがあるんですが、
そのとき、ソール・ライターは
「わたしのことを
<ミスター・バーティカル>と
呼んでくれ」
としか、答えなかったんですね。
──
つまり「ミスター縦長」と(笑)。
ポリーヌ
ようするに、質問に対して
正面からは答えなかったんですけど、
浮世絵のみならず、
日本の床の間の「掛け軸」なんかも、
基本的には「縦長」ですよね。
ですから、批評家だとか、
彼の人間性を分析したいと思う人は、
そいうところに、
日本文化の影響を見て取ることも、
あるかもしれません。
──
今回の展覧会に関わっている方が、
写真というものには、
「影」が写るのが現実的だと思うけど、
ソール・ライターの写真には、
あまり「人間の影」が写っていない。
そのことも、浮世絵っぽいと思うって、
おっしゃってました。

ソール・ライター 《郵便配達》 1952年 発色現像方式印画

ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate

ポリーヌ
ああ、たしかに。そうかもしれません。

とっても、おもしろい視点ですね。
──
浮世絵以外には‥‥。
ポリーヌ
日本の音楽も、聴いていたようです。

琴とか長唄、あるいは歌舞伎なども。
──
ずいぶん広い興味があったんですね。

日本の文化に対して。
ポリーヌ
今回、日本でソール・ライター展を
開催することになって、
ソール・ライター財団のマーギット・アーブと
準備のために、
ソール・ライターの遺したライブラリーを
調べてみたんですね。
──
ええ。
ポリーヌ
彼が、19世紀末のパリで活躍した画家の
ボナールやヴュイヤールのことを
大好きだったことは知っていたのですが、
彼の書庫には、
日本美術についての本‥‥
それも、多くは日本語で書かれた書物が、
100冊以上もあったのです。
──
そんなに。
ポリーヌ
そのほとんどは、彼のお気に入りだった
ニューヨークのストランド書店で
買い求めた本のようでした。
他にも浮世絵をはじめとした日本画、陶器、
とりわけ「書」については、
美術の最も崇高な形式だ、と言っています。
──
へぇー‥‥。
ポリーヌ
さらには、鈴木大拙です。日本の、禅の。
鈴木大拙の文章からは
「教えるな、ということを教わった」と、
言っていたようですね。
──
それはまた、哲学的な。
ポリーヌ
わたしは「教えるな、という教え」って、
まさしく
ソール・ライターの人生を表していると、
そんなふうに感じます。

──
と、おっしゃいますと?
ポリーヌ
彼は人に教えることをしなかったんです。
なぜなら、
ライターにとって「写真を撮る」行為は、
生き方そのものだったから。
──
生き方を教えることなど、できないと。
ポリーヌ
つまり「美の瞬間」をとらえることが
自分の人生であり、
写真を撮る行為それ自体が、
一種の人生のフィロソフィーであった。
説くのではなく、ただ見つめる人だった。
そんなふうに、思うんです。
──
その求道的な精神が、
鈴木大拙の禅の考え方と共鳴するように
感じていたんでしょうか。
ポリーヌ
そうかもしれません。
彼は、宗教的な家庭環境で育ちながら、
宗教との関わりを切断しました。
──
はい。
ポリーヌ
にもかかわらず、ライターの作品には
どこか、神秘的な雰囲気を感じます。
──
ええ。
ポリーヌ
そういう意味で、断ち切った宗教の影が、
ソール・ライターという写真家に、
やはり、一面において、
強い影響を与えているのかもしれません。

ソール・ライター 《ペリー・ストリートの猫》 1949年頃
ゼラチン・シルバー・プリント

ソール・ライター財団蔵 ©Saul Leiter Estate

<つづきます>

2017-05-27-SAT

※冒頭のソール・ライターの言葉は
青幻舎刊『ソール・ライターのすべて』から
引用させていただきました。

Amazonのでお求めは、こちらから。

ニューヨークが生んだ伝説写真家 ソール・ライター展

6月25日(日)まで、
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中!

83歳で出版した写真集『Early Color』で
世界の写真界をビックリ仰天させたという、
写真家ソール・ライター。

待望の、日本ではじめての回顧展が、
今、渋谷Bunkamura ザ・ミュージアムで
開催されています。

斬新な構図で、かっこいい写真。

何気ないけど、郷愁を誘う写真。

ふるくは「1940年代」の写真なのに
「色がついている」ことが、
なにしろ、胸にキューンときます。

写真と同じだけの情熱を注いだ絵画作品も、
多数、展示されています。

会期は、2017年6月25日(日)まで。

観覧中、ドキドキしっぱなしでした。

ぜひとも、足をお運びください。

開催概要

会 期:
2017年6月25日(日)まで(開催中)
時 間:
10:00-18:00(入館は17:30まで)毎週金・土曜日は21:00まで
入館は20:30まで)
会 場:
Bunkamura ザ・ミュージアム

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※入場料、オンラインチケットについてなど、
より詳しくは展覧会の公式サイトをごらんください。