耳の聞こえない写真家は、いかにして写真を撮るのか。
接点、仲介する者。

沖縄から帰ってきて
齋藤さんのライブ写真ができあがるのを
ドキドキしながら待つあいだ、
ぼくたちは、もうひとつの企画を立てました。

それは
「プロのカメラマンにお願いして
 耳栓をつけた状態で、ロケ撮影をしてもらう」
というものです。



齋藤陽道『感動』(赤々舎刊)より

きっかけは、ふたつあります。

ひとつには、以前、齋藤さんが
そういうワークショップをやったことがあると
話していたからです。

あとから聞いたら
齋藤さんのねらいはまったく別のところに
あったのですが
(そのことも、おいおい語られます)
そのとき、ぼくたちは
耳栓をして、音の聞こえない状態が
写真にどう影響するのか、興味がありました。

そして、もうひとつは
『ダ・ヴィンチ』という雑誌のなかで
糸井重里が
齋藤さんの『感動』について
「写真の情報量が、ちがう気がする」と
コメントしていたこと。



齋藤陽道『感動』(赤々舎刊)より
へぇー‥‥と思いました。

「写真の情報量」とか
「写真の情報」それじたい、について
猛烈に興味が湧いて来ました。

というのも、齋藤さんとの打ち合わせ
(というか雑<筆>談)のなかで
「いいと思う写真って
 どうして、いいと思うんだろうねー」と
たびたび話題に出ていたんです。

が、それは、極めて感覚的なものであって
言葉では
説明し切れないものだと思っていました。

でも「写真の情報(量)」ということに
注目すれば、何か、わかるかもしれない。

そして、うまくまとまりませんが、
耳の聞こえる人が
音という「情報」を遮断された状況で
写真を撮ると、どうなるのか。

それは、いつもの写真と、ちがうのか。

ともかく
このようなことをテーマのひとつとするには、
ぼくだけでは
インタビューしきれないなと思いました。

そこで、ふだんから写真を仕事にしている
プロのカメラマンに
「耳栓撮影」を体験してもらって
座談会に混ざってもらったら、
より多面的な見方ができるのではと考えたのです。



齋藤陽道『感動』(赤々舎刊)より

すぐに「荒牧耕司」というカメラマンの名が
あたまに浮かびました。

荒牧さんは‥‥というか「アラマキ」は
ぼくの大学時代の友人で、
いま、プロのカメラマンをやっています。

彼の撮る写真の色が好きだったので
ぼくが担当している
「21世紀の『仕事!』論」というコンテンツで
撮影を頼んだりもしていました。

ともかく、説明のややこしいお願いごとなので
気心の知れた彼ならば
ぼくらの意図を
スムーズに理解してもらえると思ったのです。

そこで、すぐに電話を入れました。

アラマキは
「完全にはわかってないかもしれないけど」
と言いながら
「おもしろそうだね、やってみたい」
と、引き受けてくれました。

また、齋藤さんのワークショップは
「二人一組で、お互いを撮る」ものだったので
少し前に
アラマキと写真の合同展をやっていた
カメラマンさんにも
「いっしょに、お願いできないかなあ」と
何気なく聞いてみました。

そのカメラマンさんとは面識がなく、
下のお名前も知らなかったほどなのですが
合同展を開催するくらいだから
アラマキと仲がいいだろうということと、
合同展のときに
夕陽の写真が素敵だったことを覚えていたのです。

そしたら、アラマキがこう言いました。

「いいと思うよ。聞いてみる」

そして、こんなことを付け加えました。

「清水さん、難聴なんだよね」



齋藤陽道『感動』(赤々舎刊)より



まったく思いがけないことでしたが
清水久美子さん
(下のお名前は久美子さん、でした)は
「難聴」でした。

ふだんは補聴器をつけていますが
補聴器を外すと、
なんにも聞こえなくなるそうです。

もう知り合いなので、正直に言ってしまうと
そのことを聞いたとき、少し戸惑いました。

齋藤さんのコンテンツのなかに
「難聴」のカメラマンが入ることについて。

齋藤さんのコンテンツは
「体験型」にしたいなと思ってはいましたが
それが、何というか、
言葉はすごく悪いのですが
「実験」みたいになってしまったら
ぜんぜんちがうと思ったのです。

でも、そういう、やってみないうちの
いろんな心配事は
清水さんからのメールで、吹っ飛びました。

「企画内容に、とてもドキドキしています。
 わたしにできること、
 うまく出せるといいなと思います」

清水さんは、企画に賛同してくれました。



齋藤陽道『感動』(赤々舎刊)より

さっそくふたりとお会いし、打ち合わせしました。

齋藤さんのことを改めて説明しながら
ロケ場所の相談をすると
「いますぐには浮かばないので
 ちょっとふたりで話してきます」と宿題にして、
持ち帰っていきました。

それから数日後。
ふたりから、リクエストが届きます。

「遊園地で撮りたい」と。

はたして、楽しげで懐かしげな音楽の流れる
浅草の花やしきで
「耳栓をしたカメラマン」と
「補聴器を外した難聴のカメラマン」が、
それぞれ、写真を撮りました。

そこには
「音のない遊園地」が、写ったのでしょうか。

それとも、
そんなに単純なことではなかったでしょうか。



齋藤陽道『感動』(赤々舎刊)より

前ふりが、やたらと長くなりました。

次回から、斎藤陽道さん、荒牧耕司さん、
清水久美子さんという
3名の写真家による座談会を、はじめます。

写真の情報、ということについて。
どうやってスミンを撮ったか、について。
耳栓をして撮った感想、について。
補聴器を外して撮った写真、について。

それらは、すべて「筆談」で行われました。



齋藤陽道『感動』(赤々舎刊)より

【つづきます】

2012-10-10-WED