飲食店は「人気を出す」コトよりも、
「継続させる」コトの方がむつかしい。
人とちょっと変わったことをして、
目立てば人気はやってくる。
この店、流行ってるなぁ‥‥、
と誰かがいいはじめるとそれが口コミになって、
人が人を呼び繁盛店ができあがる。
けれどその店がずっと繁盛しつづけるか‥‥、
というとそれは誰にもわからない。
熱狂的な人気が一瞬にして冷めてしまう。
あたかも流行歌の世界に
「一発屋」と呼ばれる人たちが
いつの世にもでてくるように、
飲食店にもいつの間にかなくなってしまうお店がある。
ある、というより
モノの統計によると、
新しく開業したお店の半分以上が
5年以内に潰れてしまう。
それが厳しい現実なのです。



人気のでやすいお店。
継続しやすいお店。
実は、立地やお店の姿形がまるで違います。

目立つ場所に大きなお店を構えれば、
当然、人気がでやすくなる。
いろんな層の、
新しいお客様を呼び込むのに適しているから。
だから多くの人がそうした目立つ場所を探して、
一生懸命になるのです。
ボクたちと契約をした不動産会社も、
そうした場所ばかりを次々、選んでもってくる。
さすがにプロの仕事ってスゴいなぁ‥‥、
と感心させられる「いわゆる」立派な物件ばかり。
けれどそうした目立つ場所にある大きな物件は、
おなじみさんを作りにくい場所でもあるのです。
次々、新しいお客様がやってくる。
いろんな層のお客様がやってくる。
誰を大切にすればいいのか、お店の人は迷います。
お客様の名前を覚えるどころか、
顔を覚えるのも一苦労‥‥、
ではまた来てやろうと思ってもらうのに難儀する。
新しいお客様が一巡して、物珍しさがなくなったとき。
それがそうしたお店の人気の終わり。
繁盛を継続することがとても難しくなってしまうのです。

繁盛が長続きする場所。
それは、そのお店のコトを好きと思ってくれる人にとって
行きやすい場所にあるモノです。
みんなにとって便利なワケじゃない。
ちょっとした町外れ。
あるいはビルの地下や上。
人が沢山集まる街ではあるのだけれど、
ぼんやりしてると通りすぎてしまうような路地の中。
新規オープンのお店の案内をもらって
地図がそうしたワザワザ行かなきゃいけないような
場所をさしていると、いいぞ‥‥、と思います。
大体の検討をつけて探して歩き、
2、3度迷って間違うたびに、
ますますいいぞ‥‥、と思ったりする。
この店は、「ボクを」待ってくれてるんだ!
そんなふうに感じるのです。
ちょっと迷って、そしてやっと辿り着く。
不思議とそのとき、こう思います。
なんだ、こんな分かりやすい場所にあったんだ‥‥、
なんで今まで見つからなかったんだろう。
と、そう思える「絶妙な分かりにくさ」。
二度目からはあっけないほどすぐたどり着く
「絶妙なわかりやすさ」のバランスが、
長いお付き合いができるお店の合図のように
ボクは感じる。

そしてそうやってたどり着いたお店のドアを開けると
中から、「いらっしゃいませ」と明るい声が飛んでくる。
目の前にカウンター。
シェフの気配、あるいは姿がそこにあり、
こじんまりとしてお店の人との距離が近いお店‥‥、
だったりすると確実。
あぁ、この店とはいい付き合いができるかも。
と、気持ちがグインと盛り上がります。
あとは料理やサービスが好きか嫌いかの問題で、
本当におなじみさんになろうと思うかどうかが決まる。

ずっと繁盛しつづけているお寿司屋さんとか、
てんぷら屋さんとか。
ワザワザ行くだけの価値があって、
おなじみさんで店の繁盛がなりたっている
老舗と呼ばれる専門店は
ほとんどこうした場所に
そうしたお店を作って営業している。
だからボクらはそうした場所の物件を探してほしい‥‥、
と、何度も何度もお願いし、
しかも何度か一緒に街をまわって、
こんなお店がいいんだがと。
そしてやっと見つかったのが、
渋谷の町外れにある寿司屋さん。

最初はわかりづらいけれど、二度目からは行きやすく、
誰かを連れていって自慢したくなる
お店の人とお客様との距離の近い店。
そうしたお店をつくるのにふさわしい場所を手に入れて、
ボクらはホッと一安心。
しかも探し始めてなんと1ヶ月とちょっとで
目当ての場所がみつかった。





実はボク。
やっぱりいろんな人たちに愛してもらったお店を
無くすというコトに、罪悪感に近い気持ちを感じてた。
飲食店を繁盛させたが最後、
その店を出来うる限り長い間、
営業し続けるように努力するのが
経営者としての責務である。
そうボクはずっと思っていたからです。

父は松山という街で1970年代の後半まで、
街で最も人気のあったレストランを経営していた。
最初は熱狂的なファンが日本中からかけつける、
鰻料理の専門店。
そこがまさしく、分かりにくい場所、小さなお店。
けれどお店の人が間近で料理を作り、
人情味あふれるサービスがあった店。
それがあまりにはやりすぎ、お店の横に別館ができ、
大きく立派な支店が次々、
街の目立った場所にできるようになる。
ボクのおばぁさんは、そんな状況を見てこう言った。
オデキと飲食店は大きくなったら潰れるんだ‥‥、と。
そう言って、ボクの父と大げんかして、
彼女は海を渡った別の街で
小さなお店をこさえて逃げてった。
その2年後かなぁ?
会社は潰れた。
大きくなったオデキよろしく、
潰れた跡はあばたよろしく
誰にも使われず朽ち果てるがままの
大きなビルだけ残った。
ボクらも街をあとにして、新たな街で新たな人生。
父が経営していた店で感じたコトや、食べた料理や、
なによりそこで働いていた人たちのコトを
忘れることが前に向かって進むこと‥‥、
と思ってみんなで頑張っていた。

ボクが35才になったときのコト。
松山で通っていた高校の同級生から
手紙が一通、届きました。

「高校を入学して今年で20年。
 卒業20周年を3年後に控え、
 その打ち合わせをかねてみんな集まりませんか。
 いろんな理由で卒業できていない人も、
 これを機会に集まって昔の話ができればシアワセ。
 ぜひ、ご参加をお待ちします」と。

高校2年で転校した、ボクは当然、
卒業名簿には乗っておらず
けれどボクにとっての高校生活の、
思い出はほとんど松山でのコト。
なんてウレシイ企画だろう‥‥、と、
それでボクは松山に行く。

なつかしかった。
20年もたって
顔や姿がすっかり変わっているのだけれど、
不思議なコトに誰が誰だかわかるのですね。
中でも高校時代に仲良くしていた友人と、
会って話をはじめると20年なんてひとっ飛び。
昔のコトが昨日のように思い出される。
その中のひとりがボクに写真を見せる。
お前にこれを見せたくってね‥‥、と。
言いながら渡されたそれは、
ボクの父がやっていた飲食店の前で写した記念写真。
彼とお父さん。
お父さんは彼の妹をだきかかえ、
おかぁさんがちょっと離れたところに立って
みんなニコニコしながら写ってる。

この前、写真の整理を息子と一緒にしてたんだ。
そしたらコレが出てきてネ。
こんなうれしそうな顔をしているお父さんを
初めて見たよ‥‥、って。
なんでこんなにみんなニコニコしているの?
そう言うから、ココのお店はとてもたのしくて
おいしいレストランで、
だからみんなこんなにニコニコしてるんだ。
そう答えたら、ボクもそこに行きたいなぁ‥‥、
って息子が言うんだ。
残念だなぁ、もうこの店はないんだよ。
そう答えたら、
息子がとても哀しい顔をしたんだよ‥‥、って。

人の思い出の舞台となった良いレストランは
絶対潰してはいけないんだ‥‥、
とボクはずっと思ってた。
そして渋谷のボクたちの店。
無くすのでなく、
一緒にそこで働いていた仲間の店が
開業しようとする店の、
どこかにそうした思い出を残せぬモノかと、
それがそれから2ヶ月半の、
お店づくりのテーマになった。
また来週といたします。



2011-09-15-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN