ロンドンからやってきた紳士たち。
興奮を隠しもせず、こう言います。

これほどうつくしく整えられたレストランという場所を、
私たちは見たことがない。
畳の座敷も、庭も廊下も。
なによりトイレがこれほどうつくしく、
ピカピカしているというのに感動しているのです。
どれほどのコストをかけてらっしゃるのか。
さぞ、すばらしいメンテナンス業者を
ご存知でらっしゃると感心もいたしました‥‥、と。

女将はいいます。
いえいえ、すべて私達が掃除しておりますのよ。
トイレも庭も。
そうでなくては、ココロを込めることが
できませんから‥‥、と。
私たちにとって、
清潔で掃除が行き届いているというコトも、
お客様をおもてなしするための大切なコトで、
だからみんな私たちで手分けをしていたします。

彼らは驚き、そしてこう言う。

おっしゃることはわかるけれど、
あなたのような人が掃除をするなんて、非合理的。
もっとコストの低い人にそうした仕事を任せないと、
勿体無いではないですか? ‥‥、と。

女将さんはニコリと笑って、こういいます。
私のようにうつくしく掃除をする方法を、
誰かに教えようとしたら
恐ろしいほどのコストと手間がかかって
それこそ、合理的ではございませんでしょう?
それにここからここまでが掃除で、
ここからここまでがサービスなんて、
なかなか線が引けるものではございませんし‥‥。

掃除のスケジュールがある訳でもない。
気づいた人が、気づいたときに、
その場所をあるべき状態に戻してあげるのが
掃除というコトでもございまして‥‥、と、
彼女が話せば話すほど
英国紳士は神妙な顔で言葉をつぐむ。
気まずい沈黙。
文化と文化が衝突をする、
音にならない音が聞こえる‥‥、そんな沈黙。





よいレストランと呼ばれるために、
大切にしなくてはならない3つの要素。
おいしい料理。
ステキなサービス。
そして、清潔がいつもゆきとどいているコト。
この3つの要素は日本もアメリカ、イギリスも変わらぬ
レストラン経営の基本の基本。
それらそれぞれに担当者がいて、
みずからすべきコトを徹底的に実行する。
この役割分担が徹底しているのが
西洋的なるレストランの運営手法。

料理はキッチン。
サービスはウェイターやウェイトレスが
客席ホールですべきコト。
そして、清潔を保つための
下働きの組織がそれら2つの組織を支える。
汚れ物のお皿を下げるためだけに働いている
「バスボーイ」という役割の人を、
西洋のレストランシステムは必要とする。
店の掃除をする。
特にトイレをキレイにするというコトに関しては、
そのためだけの役割の人がとりおこなうのが一般的。
責任者をキチンと決めない限り、嫌な仕事を人はしない。
やらなければならないことを担当者別にしっかり決めて、
それを計画的に行わせることが
レストラン管理者の仕事である‥‥、
と、そう考えるのが彼らの文化。
そして、お店が高級になればなるほど
その役割分担は詳細に規定され、
厳密に守られなくてはならず、
彼らが日本でつくろうとしているレストランも、
まさにそのように運営されるべきである、
と数日前のミーティングでもかたくなに主張していた。
なのに今、目の前にある
この宝物のようなレストランには、
その役割分担を越えた何かがある。
その「何か」が何なのか、
彼らは一生懸命探り当てようとしていたのでしょう。
彼らはボクたちの方をみつめて、
何かのヒントを求めます。

師匠が女将さんにこう聞きます。

「マニュアルとか職務規定とか、
 こう働くべきだというような
 書類がおありになるのですか?」と。

ちょっと考え込んだ女将さんは、
もしよろしければお勝手をご覧になりますか‥‥、と。
厨房をふくむこの料亭の心臓部。
滅多なコトがなくては入れぬところに
お越しくださいと言われて、
断る勇気のある人はレストラン業界にはいないでしょう。
しかもこのお店のこのサービスを可能にしている秘密を
見ることができるのだろう‥‥、と、
期待は否応なく高まります。






ボクらは女将さんの後につき、
厨房を眺める配膳室にやってきました。
完成したばかりの料理がここに運ばれ、
ここからお客様のもとに向かって運ばれる、
レストランで働くすべての人が、
ここを中心にして働く「要」のようなその場所に、
大きな額がかかっていました。

大きな文字でそこに書かれていたのは、
全部で10箇条ほど。
お客様を不快にさせることのないよう、
「やってはならないコト」が簡潔に。
もう50年以上もずっとかわらず、
ここで働く者のココロをつないでいるのは
この約束事だけ。
あとは、臨機応変。
働く人それぞれが自ら気づいたコトに対して、
出来うる限り良い方法でそれに対処していくのです。
そして彼女は、分厚いノートを何冊も、
帳場の奥の棚から取り出しボクらに手渡す。
中にはビッシリ、いろんな人の手になる文字が
書きこまれていた。
ここで働く人ひとりひとりが、
「このようにお客様にしてさしあげたら、
 およろこびになった」
というおもてなしの事例を書きこんで
みんながそれを読めるようになっていたのですネ。
一人ひとりが他のみんなのお手本である。
マニュアルはない。
けれどこうしたみんなの経験、知恵を共有することが
私たちのおもてなしを、
日々、すばらしいモノにしてくれる
唯一の方法なのだろうと思うのです‥‥、と。

そういう間もずっとボクらのかたわらの厨房の中では、
みんな総出で掃除をしている。

みんなが同じようにできるようになる。
それが目標ではあるのだけれど、
そうは言っても、一人ひとり個性があって、
私のように働きなさいと言っても
それはそれで無理なこと。
経験。
性格。
才能。
適性。
サービスだとか調理だとかには、
「感性」という伝えようにも伝えきれない
あやふやな要素がとても大切。
けれど掃除。
道具があって、やる気があって、
あるべきキレイな状態がわかっていれば
誰にでもできるようになるのが
その場をキレイに保つという作業。
だからみんなでやるんです。
互いが分かり合っているかを確かめ合うためにも
掃除をみんなで行う。
自分の役割を果たすだけでは
作り出すことのできない特別は、
こうして生まれるのじゃないかしらと
思うのですよ‥‥、と。

そういう女将は、こう付け加えます。
クラークさん。
ヒルマンさん。
生意気なことを申しました、
どうぞお許しくださいませ‥‥、と。

思い返してみれば、
女将と英国紳士が名前を告げあって
ずっと女将は彼らの名前を呼ばなかった。
すっかり忘れてしまっていたのかと思っていたら、
最後の最後。
許しを乞うため名前を呼んだ。
彼らはそれにまたビックリして、
なぜなのですかと聞いた理由がまた凄かった。
そのおはなしはまた来週。

ちなみに彼ら。
日本的なるこの曖昧を、完全に理解できたかというと
やはり西洋的なる役割分担と
計画運営に対するこだわりを、捨てることはしなかった。
けれどどうすれば、その西洋的と日本的を
融合させることができるか‥‥。
それが実際、お店を作るボクらの一番の課題になった。
やりがいのある、ステキな課題でありました。
なにより彼ら。
レストランの立地選びの1項目に、
「トイレの掃除を他人任せにしなくてすむよう
 共用でなく、専用トイレを設置できる
 場所でなくてはならない」
という、一風変わった条件を作ってニンマリ。
京都の旅は程よき旅であったわけです。



2011-08-25-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN