おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)
それはそうと、気がついたらいきなり
話がわき道にそれてしまっていました。
ごめんなさい。
今回は、お酒の話をするはずでした。

お酒の飲み方。

食事の仕方以上に、
20世紀のおわりから21世紀をまたぐ
この数十年の間に、
大きく変わってしまったような気がします。

ボクが子供の頃。
日本の人がお酒を飲むということは、
酔っ払いになる、ということだったように記憶します。
それもオトコだけで。
あるいは、オトコが飲んで女性がサービスをするという、
まるでおばあさまんちの食事の光景のような、
そんな飲み方。
それがボクは嫌いでした。

酒にのまれて、
だらしなくただ時間を浪費するオトコの人たち。
その横で、背筋を伸ばしてりりしい女性の食べ姿。
と、それがボクの中のお酒を飲む場面における原風景。
かなり屈折したものでありました。

親戚の集いにいっても、
もう集まった瞬間にぐでんぐでんになって
真っ赤な顔をしたおじさんであるとか、
飲むほどに子供たちを追いかけて、
キスをしまくる大叔父であるとか。
いわば酒盛り。
酒は大人からお行儀と節操をなくさせるもの。
そうボクはながらく思っていました。


1960年代の場末のスナックの前。
1970年代のクリスマスイブ。
ボクのまわりにはべろんべろんの酔っ払いがたくさんいた。
夜の街は酔っ払いで満たされていた‥‥、
といってもいいかもしれないほどに、
日本のお酒はお行儀悪いものであったのです。

それでは酒そのものが嫌いだったか?
というと、決してそんなことはない。

旨いものが好きなボクの祖父が、すし屋で酒を飲む姿。
ボクはそれがとても好きでした。
カウンターの高い椅子にチョコンと座って、
ビールを瓶からグラスにトクトク注ぐ。
きれいな泡がグラスの口を山盛りに覆って
隠すのを確かめて、ボクに聞きます。

シンイチロウ。
一口、いくか?

うん、と答えてボクがもらえるのは泡の部分だけ。
口をつけフフッとすすって、
口の中に苦い泡が入ってプチプチ、はじけて消える。
おいしくもなく、でもたのしい泡。
それがボクにとっての初めての酒の味であり、
また酒を楽しむということの始まりでした。

おいしいか?
そう聞きボクがきまって、苦いや! と答えるのを、
笑ってすんなり受け流し、
ゴクッと喉を鳴らしてそれを飲む。
やせた首の上で大きな喉仏が、
ゴクンゴクンと何度が上下に動いて止まり、
祖父の手には空っぽのグラス。
カウンターの上にコトンとおいて、
フーッと息つきこういいます。

大人になれば、おいしくなるぞ。

決まって一言。
姿勢を崩さず、寿司つまみつつ
ゆっくりとしたペースでお酒を片付けてゆく祖父。
子供心にかっこよかった。
食事と一緒に酒をたしなむという、
つまりすし屋のカウンターの前の祖父を目指して、
ボクが生まれて初めて自分のお金で酒を飲んだ場所。
それはすし屋でありました。
まだ、大学に入ったばかり。
飲酒年齢には少々足りぬ、
でも希望の大学に晴れて合格をした祝いにと、
学校近くの小さな店の、のれんを押して背伸びして、
ビールを一杯。
コップ一杯と少々で、すっかり気分がよくなった。
もう時効でありましょう。
ほろ苦くもなつかしい初体験‥‥、でありました。


さて1980年代。
ボクが正々堂々とお酒を飲めるようになったとき。
当時の日本はバブルに向かってまっしぐらの頃。
東京に住む若い人たちが夜に遊ぶ‥‥、
といえばそれますなわち
「ディスコあそび」を意味した時代。
ボクらはお酒を楽しむことをそっちのけで、
ミラーボールの下で一生懸命、汗、ながしてた。
踊り疲れて喉が渇くと、バーカウンターに行き
そこで待っていたのは
色鮮やかなトロピカルカクテルでありました。
ジュースのようなお酒をのんで、
再びダンスフロアーにたち汗をかく。
夜中近くに必ず流れる、
「君の瞳に恋してる」をききながら、
それじゃあ、みなさん、また来週。
というようなことがボクらの夜遊び。
そんな時代でありました。

当然のように、ただ酒を酒として
たのしむ習慣にふけることはありませんでした。
つまり高級クラブであるとか、あるいはバーであるとか。
酒を飲みに行くための場所に足を向けることは、
おじさんたちのすることで、
ボクのすべきことではないと思っていた節がある。
とはいえ、ときおりホテルのバーや、
当時、はやり始めた
カフェバーというようなところに行って、
スタンダードなカクテルや水割りを飲み、
今日は大人な雰囲気だねぇ、
と悦にいるようなことはあった。
けれど、それはちょうど週末一泊二日で禅寺にゆき、
精進料理をたべるようなツアーもいいねぇ。
そんな非日常をたのしむ、
ちょっとした心の戯れでしかなかったのです。

なぜなんだろう。
と、今、その理由を考えると、
多分、ボクにすばらしい酒の飲み方を
教えてくれる人がいなかったから。
料理をおいしくするための酒の楽しみ方を教えてくれた、
ボクの祖父のような、
すてきな先輩にボクはたまたま
恵まれていなかっただけだったんだ。
と、そうしたたか思う出来事を、ボクはその後、
不景気真っ只中のニューヨークの街角で
実感するのでありました。
 
2007-07-05-THU