おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)
それから毎月。
第二月曜日の朝であった‥‥、と記憶します。

朝食会をかねた勉強会は定期的に開催されます。
当時、東京のかなり郊外に住んでいたボクが
その朝食会に参加しようと思ったら、
朝の6時くらいに家を出なくちゃいけなかった。
でもその早起きが苦にならないほどに、
ボクは朝食会が待ち遠しかった。
朝食会が待ち遠しかったというよりも、
グレープフルーツをまた味わいたくて、
それでその日の朝になると目覚ましがなる前に
パチッと不思議と目が覚めました。

最初の何回かは疑い半分。
この前のグレープフルーツは
たまたま甘くてジューシーなのがあたったんだ。
運が良かっただけなんだ。
そう思いながら、今度はどうなんだろう‥‥、
って感じでテーブルにつく。

のだけれど、いつ食べても
ボクの目の前のグレープフルーツは甘い。
しかも、いつ食べても驚くほどにみずみずしく、
これならばジュースの代わりに食べても
決しておかしくはないであろう
ハーフカットグレープフルーツ。
究極にすばらしいグレープフルーツが、
必ず目の前にやってくる。
不思議の気持ちは募ります。

もしかしたら、この勉強会だから
特別においしいグレープフルーツだけを
選って出しているのかなぁ。
厨房の作業台の上に、
出来が良くないグレープフルーツの残骸が
山積みされていたらいやだなぁ。
なんて、そんなことまで思いさえした。

よし。
普通のお客様になって、
ここのレストランでグレープフルーツを食べてみよう。

そう思いました。


最初の朝食会から半年ほどのことです。
思い立ったが吉日。
早速、いきます。
そして何食わぬ顔で、こういいます。

まずは、ハーフカットのグレープフルーツを
いただけませんか?

そして待つ。
まるで覆面調査官のような心持ち‥‥、でありました。

やってきます。
小振りのお皿に銀色のボール。
冷たい水のしずくでミッチリ覆われて、
うやうやしくボクの目の前にストンと置かれる。
スプーンはやはりギザギザのない、
先のクルンと丸まったいつもの形。

いつもの通りの、
いつものグレープフルーツが目の前にある。
当たり前なのだけれど、
不思議な気持ちに包まれて、それで一口。

ボクはうなった。

いつもの通りは見た目だけじゃなく、
いつもの通りの味だったから。
みずみずしい。
プルンとやさしいハリのある実。
香り、さわやか。
甘味と酸味のバランスみごとで、
しかも苦味がスキッとしてる。
あまりの完璧に、ボクはゆっくり、ゆっくり、
その完璧を咀嚼するように食べすすめました。
何かを考え込むように、
黙々と食べるその姿がちょっと異様に映ったのでしょうか?
ボクのテーブルの担当ウェイターが近づいてきて、
それでボクに聞きました。

なにか、不都合がございましたでしょうか?

いえいえ、不都合どころじゃございません。
すばらしい。
なぜ、こんなにもおいしいグレープフルーツが
いつも同じようにでてくるんだろう‥‥、
と不思議で不思議でしかたがなくて、
それでぼんやりしておりました。
と、今までのいきさつまで含めて、簡単に説明しました。

本当に、どうしてなのかわかりません。

秘密はなにもございません。
確かにほどよきグレープフルーツだけを
吟味してしいれるようにしております。
そのほどよきモノを、よりよきモノにするための
ちょっとした工夫はしてございます。
よろしければ、その工夫をご覧にいれましょうか?
もし、厨房までご足労いただけるのであれば、
今、すぐにでも。


よろこんで。
お願いしますと、ボクはテーブルを立ち上がりました。
そしてそのウェイター氏に案内されて厨房にゆき、
彼は中のシェフになにかをモゴモゴ、告げました。
シェフはうなずき、ボクの方に軽く一礼。
そしてグレープフルーツを一個手にとって、
まな板にのせ下半分からちょっと上あたりを、
スパッと切ります。
きれいに水平に切り分けて、
下の部分の皮の間にススッと手際よくナイフを入れる。
全体的に少々たわんだ、
つまりグレープフルーツの湾曲したところに
ピタッと沿うような形のナイフ。
外皮を破らぬように細心の注意を払いながら、
実だけを皮から切り取って、
それをまな板の上におく。
房を切り取る。
目立った種を丁寧に取る。
そして再び、元の半球形に整えて、
外皮にそっともどして装う。
氷をしいたボールにのせて、
さあ出来上がり、と思った次の瞬間。

シェフはおどろくべき魔法を、
そのグレープフルーツにほどこしたのです。
まさに工夫。
おいしい技‥‥、でありました。
 
2007-06-14-THU