おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(四冊目のノート)
さてレストランに到着しました。
タクシーをおりるや、スタスタ、
彼女は歩いてレストランのドアを押す。
おいおい、真っ先にするのは
料理に手をつけるコトであって、
店のドアに手をかけるコトじゃないんだぞ。
エスコートしようと思っていたのに、もうまったく。
‥‥、と思うももう後の祭りで、
しかも彼女はこう言った。

「予約をしておりました、サカキでございますが」

ああ、予約の名前‥‥、ボクの名前のままだった。
お金を払うはずの奴の名前に変更しとこう‥‥、
と思っていたのに、忙しさにかまけて
その電話をかけるのをすっかり忘れていたのです。
これじゃあサカキさんがお金を払う人じゃないか、
と思われちゃう。
ごめんね、よほど一生懸命
がんばらなくちゃいけなくなった。
そうボクが言うと、
他の2人は小さくガッツポーズを決めて、
よしがんばるぞ‥‥、と勢い勇んで
レストランの中に入っていったのでありました。


案内されたテーブルはこじんまりとした丸いテーブル。
どこが上座でどこが下座でもない、
民主主義的テーブル、でありますネ。
案内をしてくれたお店の人が、
その中の椅子をひとつ、ススッと引いて、
さあどうぞ、と誰かが座ることを促します。
これが上席。
これが今日、このテーブルで文句なく
いちばん良いサービスを受けることが
出来るはずの特等席です。

彼女が自然にストンとそこに座ります。
正解です。
残りの男3人はどこを選んで座ってもかまわない状況で、
でもボクとワインテイスティング係の2人は
もう1人、つまり「お金を払う役」の人物が
座り終わるのを待たなきゃいけない。
ところが彼がなかなか座ってくれないのですネ。
ボクは目配せ。
もう1人はしきりに咳払いをしながら
彼の背広の裾を引っ張って、
それでなんとか彼が座って、
続けてすべての椅子が埋まった。
前途多難でございます。

まずはシャンパン。
そしてメニューが配られる。
彼女がいちばん。
次の1冊を誰に渡そうかと迷ったサービス係が、
こう聞きました。
「サカキ様?」
そのあまりに自然な声に
ボクはハイ、と返事して、ああ、やっちゃった。
予約の名前を変更しておかなかったためです。
これではボクがお金を払う人と思われたままです。
でも今更引っ込みが付くような状況でもなく、
それで2番目のメニューを受け取り
ユックリそれを開いて、
あれこれメニューの内容を聞くコトになる。

ペナルティーですネ。
彼女がそういう。
その通りです。
すっかり残りの2人の存在感がなくなっちゃって、
それでもなんとかメニューを決めて
さあ、ワインはいかがいたしましょうか‥‥、
とワインリストがササッと届く。

そのワインリストがボクの方に差し出されるのを
さえぎるように、ワイン係君がサッと受け取る。
怪訝そうにボクと彼を交互に見つめるサービス係に、
ボクは一言。
「彼、ワインが大好きなんで、
 いつもワイン選びは彼がしてくれるんです」

で、彼。
まるで舌なめずりをするかのような表情で、
ワインリストのページをめくり、
しばし考えるようなふりをして、こう言いました。

もしかしたら2本飲んでしまうかもしれないのですが、
まずは1本。
できれば、ここのご婦人のような
ワインを選んでいただきたいのですけれど‥‥。

ほぉぉ‥‥。
そうきましたか。
いろいろ考えたんだねぇ、
どういってワインを注文するのか。
しかもなかなか気が利いたお願いの仕方。
面白い。

それを聞いたソムリエはこう答えます。
若々しくてチャーミングで、
繊細な味わいのワインでよろしいですか?

彼女はニコッ。

するとワイン係君はこういいます。
いえいえ、力強くてコクがあって
ガツンと来るようなのがいいのですが‥‥。

エッ? というような顔をして、
彼女は彼の方を思い切りにらみつけます。
腕組みまでして、キッと唇を噛みしめるようにして、
どういうコトよ、っていわんばかりの表情で‥‥。

ソムリエ氏は、こう切り替えしました。

とてもうつくしい味わいの、
やさしいのだけれど底力を秘めた
愛しいワインがございますので、
それをご用意いたしましょう!

ますます上手い。
さすがプロです。
彼女と彼はまるで示し合わせたかのような
同じタイミングで、
「そう、それをお願いします」と言う。
あまりの上出来なリアクションに、
テーブルを囲むボクらはみんな思わず笑顔になります。
いい感じです。


しばらくして、
ワインセラーから戻ってきたソムリエさんは、
ワインを2本、手に持ってきました。
同じような性格のワインが2つあったもので、
それでどちらかを選んでいただきたいと思いまして。
あらあら、2本やってきてしまった。
どうしよう。
と、一瞬、緊張。

でもワイン注文担当君は、
腕組みをしていささか困った表情をして、
それでお金を払う担当の目を見る。
そうして、どうしましょうか?
と、彼はたずねたのです。
見事です。

見つめられた彼は落ち着き払ってこう答えます。
1本目ですから、
財布にやさしい方をいただきましょうか。
これまた見事。
彼がお金を払う人なんだ、というコトが
この瞬間、見事にお店の人たちに伝わったのでありました。
 
2006-08-31-THU