おいしい店とのつきあい方。
サカキシンイチロウの秘密のノート。
(三冊目のノート)

ちょっとした通説、
というモノがこの世の中にはたくさんあります。
でもって、その通説を信じるがあまり、
失敗をしてしまう、というコトがある。
たいていのマニュアルデートが
ドラマティックなロマンスに向かっていってくれない
歯痒い状況と一緒です。

そのまことしやかなる通説を信じて、
それでちょっとした失敗をしでかしてしまう。
例えばボクは、こんな経験をしたことがあります。


◆これが評判の店だって?!


「初めてのレストランに行くときは、
 まずランチで様子を見て、
 それで気に入ったらディナーに行くと良い」
学生だった頃、つまり好奇心と
自由になる時間はいっぱいあるけれど、
お金がそれほど自由になるわけではない頃のボクに、
そうアドバイスしてくれる人がいました。

たしかに晩ご飯の時間に行くと、
1万円かかりそうなお店でも、
昼ご飯だったら3000円とかで食事ができる。
しかも晩だとワインやお酒をたのまなくちゃ
気まずそうな雰囲気の店でも、
昼間だったら、ちょっと飲めないものですから、
とお水ですましても失礼じゃない。
だからランチ。
初めて行く店はまずランチ。
そう決めて、そう行動していたことがあったのです。

ランチを利用するようになると、
それまで1ヶ月に数軒しかいけなかったレストランに、
一週間に数軒という頻度でいけるようになりました。
値段が手ごろである以上に、
予約しやすい、というのが
その最大の理由だったんでしょう。
開店したばかりで話題の店にも、
昼にならすんなりいけたりするからです。
最初はとてもうれしかった。

‥‥のだけれど、どうにもこうにも好きなお店が現れない。
知っているお店の数はどんどん増える。
けれど、ピンとくるお店に出会う頻度が減ってしまって、
なんのために新しいレストランに
でかけ続けているんだろう、なんてどんどん気が滅入る。
しかも、そうしたお店を紹介している記事の内容と、
ボクが行って感じた印象があまりに違う。
まるで違う店に来てしまったんじゃないか、と思うほど。

例えば日本橋付近。
隠れ家風の、大人が集まる、
グリル料理がおいしいイタリアンレストラン。
「大人の」というキーワードに
まだ20代前半のボクは著しく反応して、
それで平日のランチタイム、それも1時ちょっとすぎ、
という一番落ち着いて食事できそうな時間を選んで、
行ってみることにしたのです。

ドアをあけてまずビックリ、でした。
店の中が煙ってる。
匂いから判断するに、タバコの煙です。
今ほどレストランで喫煙するということが
罪的ではなかった昔のことですから、
まあ、これも「大人のレストラン」の
味付けのひとつかな‥‥、と思いはしました。
ボクも実は、タバコを吸う人でありましたし、
嫌煙者というわけではなかったですし。
が‥‥。
案内されたテーブルの周りを見て、再びビックリ。
ほぼ満席の店内は、ほぼ100%女性客で
しかもみんなまるでタバコを吸うのが
仕事であるかのように、次から次へとタバコを吸う。

百貨店に勤務する人たちでした。
みんな食事を終えたばかりだったのでしょう、
コーヒーを飲みながらタバコをプカプカ。
そのおいしそうなコト、くつろいでみえるコト。
ああ、勤務時間にはタバコを吸えない仕事だから、
こうしてまとめて吸いたくなるんだろうなぁ。
と、そう思いはしたのですけれど、
タバコの煙の中で食べるご飯は、
決して楽しいものではありませんでした。

商品はシッカリしていました。
前菜から始まって、パスタもしっかりとしていたし
メインディッシュの魚のグリルに
デザートの盛り合わせまで気を抜かぬ丁寧な商品作りで、
ランチの値段でコレだけのものが食べられるのは
すごいよな‥‥、と感心しました。
ただ、もう一度、行きたいか?
というと他に行くべき店がたくさんあるからなぁ‥‥、
というのが本心で、
だからすっかりこの店のことは
忘れてしまっていたのでした。


◆ランチとディナーが同じとは限らない!


しばらくして、当時のボクの師匠に
「いい店があるから行ってみませんか?」と誘われました。
イタリア料理で、本当に丁寧な仕事ぶりで
尊敬に値する人がやっている店があるから
一緒に行きましょう、と。
場所はどこですか? と聞くと、日本橋という。
もしかしてこういう名前の店ですか? と、
例の店の名前を言うと、そうだという。
その店ならばボクはもう行きましたし、
二度と行きたいとは思わない店でした、
と生意気にもボクは答えたのでありました。

彼はこう続けて聞きました。
もしかしてランチタイムに行ったのですか?
そうですが‥‥、とボクが答えるやいなや、
それならなおさら是非、行きましょう、
とボクの手を引っ張らんばかりの勢いで、
そのお店に向かっていったのでありました。

ドアをあけてビックリしました。
透き通った空気。
しかもあふれ出してくるシットリとした大人の雰囲気。
案内されたテーブルの周りには、
落ち着いたビジネスマンや熟年夫婦のカップルなど
まさに大人のレストランというのは
こういう場所を指すのだな、と思わせるようなすばらしさ。
「いい店でしょう? 君が思っているのと
 違った店じゃありませんか?」
そういう師匠に、ボクは素直にこう答えました。
ボクが来た店は確かにこの店ですが、
ボクは今までこの店の本当の姿を知らずにいたと思います。

ランチでその実力をイメージできる店と、
できない店の二種類がある。
師匠はボクに、そう教えてくれました。
ちょっと不便でワザワザ行かなくては
いけないような場所にある店は、
たいてい、昼も夜も同じ雰囲気、
同じクオリティのサービスを提供してくれるもの。
そうした店は昼も夜も
同じような人たちが来るわけですから、
だからランチタイムでちょっと様子を見てみよう、
と思うことは決して間違いではないのです。
あるいは、料理のおいしさがそのお店の
最大の売り物であるような店。
例えば天ぷらの専門店とか寿司屋さんとか、
そうした店は昼の手頃な価格の料理で様子を見る。
これも決して間違いではない。
しかし便利な場所にあるお店。
特にオフィス街であったり駅の近くであったり、
あるいはその店のように百貨店の近くにあるような店。
そうした店は昼と夜で雰囲気や商品が
まるで違ってしまうことがあります。

レストランの個性が一番発揮されるのは
やはり晩ご飯の時間です。
タップリと時間をかけて、
ちょっとした非日常を楽しみに
お客様がいらっしゃるのはやはり夜。
そのレストランならではの世界は、夜、開くのですネ。
でも夜の営業だけではもったいないから、
ランチはランチでそのレストランの世界を
少々、犠牲にしても、手軽で楽しい料理を作る。
これが便利な場所のレストランの経営の仕方なんだ、
というコトです。
勉強でした。

「ところでサカキ君、向こうのテーブルの
 お客様をごらんなさい」
師匠に言われて、その目線の先を眺めると
若い女性が三人で食事をしていました。
背筋を伸ばしてしゃんとして、
穏やかな笑顔で、食事を楽しんでいる彼女たちをさして、
師匠はこう言います。
「彼女たち、もしかしたら
 デパートの女性スタッフかもしれませんよネ。
 昼はおなか一杯を楽しむために来ている人たちだって、
 夜にはこうして大人の時間を味わいにくる。
 だから、特定の時間の様子だけを見て
 そのお店のことを判断するのは、
 とてももったいないことなのですヨ。
 気をつけましょう」

その通り、と思いました。
ある側面だけをみただけで
簡単に判断してしまうものじゃない。
レストランのことも、そのほかのことも。
そう教わったのでありました


(つづきます)


Illustration:Poh-Wang


2006-04-13-THU

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