社長に学べ! おとなの勉強は終わらない。 シリーズ第9弾 「博多 一風堂」店主 河原成美×糸井重里  一風堂のラーメン進化論
 

第1回 ラーメンという「情報」。

糸井 最近、ラーメンを食べにくるお客さんって、
あそこの店はスープがああだ、
そっちの店は麺がこうだ、とか
評論家みたいに
なっちゃってるところがありますよね。
河原 ああ、そういうお客さんは、
多くなりましたね。
糸井 その中で、「一風堂」は商品開発だけでなく、
いろんなことを大胆におやりになってますよね。
行けば必ずあるおいしさを守る一方で、
積極的に新しいことに挑戦していらっしゃる。
その様子を拝見していて、
ラーメンという激戦区の中で、変わることを
ぜんぜん怖がってないなぁっていうのを
「一風堂」に感じていたんです。
河原 ありがとうございます。
糸井 最近では日本蕎麦屋を始められたことに、
ほんとにびっくりしました。
でも実は、もっと前から
驚かされていたんです。
まず、南青山に「一風堂」ができたときに、
しょうゆベースの東京ラーメンがあったんですよ。
河原 東京ラーメン、置きましたね。
(※メニューにない店舗もあります)
糸井 「一風堂」は博多ラーメンなので、
豚骨スープがベース。
その豚骨スープから展開した商品だったら、
得意だと思うのでよくわかるんですけど、
しょうゆベースの東京ラーメンを、
「俺が作れば、しょうゆベースでもできるんだよ」
っていう感じで出されてて、ビックリしました。
河原 うれしいですね。
糸井 で、そのあとに博多つけ麺を出されて。
つけ麺って、ラーメンとは
もうジャンルが別だと思うんです。
別ジャンルに挑んだうえに、
当時は今ほど、
つけ麺は知られていなかった。
でも、今流行してるつけ麺の流れを
みごとに汲んでますよね。
(※メニューにない店舗もあります)
河原 そうなりますね。
糸井 そして、全部おいしいんです。
味をはずしていないですよね。
「一風堂」の味を、
スタッフの方々と言葉で共有できていて、
とってもいい品質にたどりついてらっしゃる。
これは、どんな仕事でも
役に立つ話だなと思ったんです。
河原 ああー、ありがとうございます。
さっき糸井さんがおっしゃったけれど、
最近のラーメンって、
お客さんがみんな評論家みたいになってて、
実際にやりにくくてね(笑)。
糸井 やりにくいでしょうね(笑)。
河原 もうちょっと、
当たり前に食べてくれたらいいのにな、と
思うんですけどね。
ここ5年、10年ぐらいで感じているのは、
ラーメンが「情報」になってしまったこと。
もう、ラーメンを食ってるんじゃなくて、
情報を食ってるんだって。
値段もフランス料理とかに比べたら手頃なので、
情報として食べやすいですから。
糸井 なるほど。
情報をあつめに、評論家たちが
ラーメンを食べにくるんですね。
河原 ラーメンを食べにくる人たちの間では、
「ああ、俺もその店知ってるよ、食ったから」
っていうのが、挨拶になってるんですよ。
ラーメンを食べていくうえで
「その店の味を知ってる」っていうことが、
いちばん重要になっちゃったんです。
糸井 はいはい。
河原 そうじゃなくて、
「俺は、もうそんなにラーメン食わねぇけど、
 あそこの店のラーメンだけは好きなんだよ」
っていうので、いいと思うんですよね。
あそこのラーメン屋さんのファンだとか、
ここのラーメンが好きなんだとか、
そういうのは、ちょっと減ってきましたね。
糸井 たしかに、減った気がします。
河原 俺たちがメディアとかに
どんどん出て行って、
そういうお客さんを
呼んできた部分もあるんですけど。
糸井 なるほどね、
それはおもしろいですね。
河原 「支那そばや」の佐野実さんや、
「麺屋武蔵」の山田雄さん、
「中村屋」の中村栄利さん、
「なんつっ亭」の古屋一郎さんとか、
常にスターが出てますからね。
糸井 うんうん。
スターのつくったラーメンっていうのは、
まさに、情報ですもんね。
河原 そうですねぇ。
糸井 もちろん、河原さんも
スターのおひとりでいらっしゃいますが、
河原さんは、なんでまた、
ラーメン屋を始められたんでしょうか?
河原 えっとですね、
もともと食べ物を作るのは好きで、
学生のときは
飲食のアルバイトばっかりやってました。
で、26歳ぐらいに「AFTER THE RAIN」という
飲み屋を開いて、商売を始めまして。
当時は店が終わってから、
スタッフや常連さんたちと
よくラーメンを食べに行ってました。
糸井 へぇー。
河原 で、2軒目の店を出すときに、
「AFTER THE RAIN」が繁盛してるから、
この2号店を出せばいいじゃないっていうのは、
何かかっこ悪い気がして。
糸井 二番煎じに思えたんですね。
河原 そうそう。
だったら、かっこ悪そうでいて
かっこいいことがしたかったんです。
で、ラーメン屋のオヤジって
かっこいいなって思って。
糸井 ラーメン屋のオヤジがかっこよく見えたから、
なっちゃった。
河原 30年以上前のラーメン屋なんて、
博多ラーメンは屋台ぐらいしかなかったし、
店に行っても、赤いデコラ(机)しかないし。
若い女の子なんて、だれも来ないんですよ。
今は、もう汚いとこでもね、
女性も行くようになってきてるけど、
昔はラーメン屋に女の子がひとりで、
あるいはカップルで、なんていなかった。
糸井 うん、いなかったです。
河原 じゃあ、女の子がいっぱい来るような
ラーメン屋を作ろうと思って。
それでできたのが、「一風堂」なんです。
糸井 たしかに、
「一風堂」は女性でも入りやすいですね。
で、人気店になっていったんですね。
河原 まぁ、当時は俺も若くて、
今はそんなことはないんですけど、
「この野郎、バカ野郎」とか
いろんなこといいながらやってましたよ。
糸井 ちょっと、ワイルドだった?(笑)
河原 ワイルド(笑)。
でもないんですけど、
とにかくおとなが嫌いだったんです。
社会を信用できなくて。
まあ、当時はよくいましたよね。
糸井 はいはいはい。
河原 「おとなはみんな嘘つきだ」とか、
そんな感じでした(笑)。
糸井 ははははは。

(つづきます)
2012-05-01-TUE
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